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記事No : 1698
タイトル 聖書を読んで自分の弱さを知る
投稿日: 2012/10/16(Tue) 12:35:14
投稿者桃青

某M教のかたで、しきりに「自分の弱さを知れ!」と、書きこむかたがいた。
このかたは、高校生の時、聖書を読んで自分の弱さを知ったのそうだ。

私は、以前此処へ来られたプロテスタントのスパットさんから
「キリスト教の愛を知りたければ、取りあえず仏教を忘れて、
心を尽くして聖書を読んでみてください。
初心者ならマタイから。」
と、教えられ、
教えられた通りに、仏教を忘れて一心に聖書をマタイから読んだことがあった。
すると、読み進むに従って、なんとも言えない恐怖というか、心細さと言うか、真っ暗な荒野にどうしようもない自分が一人ぼっちでいるような感覚がして来たではないか。
思わずイエスに助けをもとめたくなった。
が、頭のどこかで
「ここでイエスを呼んだら仏教へは戻れなくなってしまうが、それでいいのか?」
という思いがわき、仏に信を置く事、大であった私は、そこの時点で一心に聖書を読むことを停止した。
以後、聖書を読む時は、参考書として読むことはあっても、心を尽くして読むということはない。
心を尽くして、すなわち、精神を集中して読めば、またあの恐怖に陥り、イエスを求めたくなってしまう予感がするからである。

「高校生のころに、聖書を読んで自分の弱さを知り、精神を集中して御霊を受けた。」と言われる某M教の、仮に鍋さんに、
私の体験を語り、「聖書を読んで自分の弱さを知った。とは、私の体験のようなことですか?」
と、尋ねたところ
「あんたのは、それまでの知識から来た妄想。
 ワシが知った自分の弱さとは全然違う!」
と、切り捨てられた。

うーん・・・自分の罪深さとか、どうしようもなさ、というかを、
持ちあぐねた心細さというようなもの、イエスにすがるしかないという心細さ、それを自分の弱さ、と言っておられるのかと思ったのですが、違った。

「それはどのようなことですか?」
と、尋ねても、鍋さんは、一切御自分の知った自分の弱さを語るということはなかった。
語りたくないのなら、無理に聞こうと思わないのですが、
この鍋さん、事あるごとに、誰かれに向かって
「ワシは高校生の時に、聖書を読んで自分の弱さを知った。
 自分の弱さを知れ!」
と、説教され、自分を持ちあげてくれない者や自説の誤りを指摘する者に対しては、誰であっても「バカモーン!」「クソターケ!」「とにかく頭を下げろ!」「少しは譲れ!」
などなどという高圧的個人攻撃の言葉を書き連ね、何が何でも意見を封殺しようとされていた。
自分の弱さを知って強くなると、こんなに他者に対して攻撃的になり、恥も外聞もない書き込みをするようになるのなら、
自分の弱さなど知らないほうが良いのではないかと、傍から見ていて思ったものです。
その攻撃の最中にも、相手に向かって「自分の弱さを知れ!」と言われる。

なんでしょうね。
このかたの言われる「自分の弱さを知る。」って・・・。
と、ずーーーーと思ってきたのですが、


じ・つ・は、
長年の疑問に最近、「これかも?」というものが見つかりました。

それは、


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