記事No | : 1748 |
タイトル | : Re: 家系で飾る。 |
投稿日 | : 2012/11/17(Sat) 10:53:21 |
投稿者 | : 桃青 |
さて、「親鸞聖人は京都の貴族の子、日蓮は千葉の田舎漁師の子」の真宗門徒や、先祖一人一人に身代わりのバプティスマを受けさせるために、直系は勿論、傍系の傍系、そのまた傍系まで、たどれる限り調べるうちに、思いがけず有名人につながって飛び上がるほど嬉しくなる某M教会員ばかりが、先祖自慢が好きなのかと言えば、そういうことでもない。
「我はセンダラの子なり。」と、言われた日蓮聖人を祖と慕う日蓮門下だから、家系の飾りには興味がないかと言えば、そんなことはない。
日蓮門下の檀信徒さんも、「私の家はね、」というお話が大好きです。
日蓮系は「因縁を観ずる」が、元々の諸法実相の空を観じるの方向へは行かず、「先祖の行為が子供にこういう結果となって現れた。」という方向へ行ってしまいやすく、それがひいては先祖自慢と結びつきやすいのかな、と見ていますが、話をする御上人がたも、どちらかといえば「因縁」の説明を「先祖の行為が子孫にこういうかたちとなって現れる。」というスタイルで話されることが多いのも、信徒の「因縁」の理解をそっち方向へ向かせてしまう原因なのかな、とも思いますが・・・。
先祖自慢のあほらしさ。実例。
「○○家は昔から、このあたりでは名家と言われてきました。云々」
はぁ?名家?代々小作で、戦後の土地解放で土地をもらった家のどこが、このあたりでは名家?
と、在の者は本人以外は知っているが、親から聞かされて信じ込んでいる本人の顔を見れば気の毒で誰も本当のことを言わない。
そんなことで、コミュニティの人間関係を不快にもしたくないしね。
でも、陰では言い合って笑うのです。
さぞかし、その家の年代記には、「○○家は、××地方では、江戸時代から続く名家で地主であった。」とでもしっかり記録されて行くのでしょう。
先祖の記録に嬉しいことを見つけて喜んでいる某M教会員をはじめとするルーツ探しを生きがいとする皆さん!
先祖の書き残した年代記を見つけたといって喜んでばかりでいいのでしょうか?
実態は案外そんなものかもしれないですよ。(笑)