記事No | : 1965 |
タイトル | : 立正安国への道 |
投稿日 | : 2013/03/28(Thu) 10:08:16 |
投稿者 | : 桃青 |
> 法華の使命は、立正安国の確立へのまい進ですから。
> もって生まれた使命ではなく、法華を自覚した時からの使命でしょ。
> それは、直ぐに実現しないけれど自分の家庭で、会社で地域で作って
> いくもの?まずは自分の心の環境改善を意味するのでは?
環境改善。が法華の使命。。
そうなんですね。
私が講師が説くファンタジーにもやもやする原因がわかりました!
講師のファンタジーには環境改善に至る途がまったく見えない。
「親は子供の身代わりに認知症になってくださった菩薩である。」
という話には、正気を失ったかたへの対応に苦慮する、その苦慮のありどころを正確に見て解決しようという意志がない。
「仏様に全てをお任せし、御題目を一家が心を一にして唱えれば、
仏に守られて全ては上手く行きます。
ガンも治り、認知症のひとは蘇り、商売もするすると上手く行く。」
という御話には、「環境改善して行くのだ。」という視点が全くない。
どこか、某M教の私と私の家族、私の部族だけがハッピーになれば目的達成というニュアンスに通じるものがある。
「ボランティアをするためにカネ儲けするのだ。」
という話には、ボランティアしなければならない対象が生じる構造的な欠陥があるのならそれを正して行こうという視点がない。
ある女性、半生を法華の伝道に捧げられて、ついには大きな寺まで建てられ開祖となられた。
そこからは、法華らしい良い僧侶も育っておられる。
しかし、この女性の御子さん達は母が伝道に打ち込むあまり、世の母親らしいことは何もしてくれなかったと、母を恨み、亡くなった時には葬式にも参列しなかったという。
講師はどちらかというとこの女性に対して「我が子をないがしろにしてまで」と、批判的な眼を持っておられる。
しかし、私は思う。
そのように子供より法華の伝道を選ばざるを得なかった女性もまた菩薩の働きをされたことは、子供への愛情に生きた女性と同じだろうと。