記事No | : 1976 |
タイトル | : Re^2: すれ違う心 |
投稿日 | : 2013/04/03(Wed) 09:52:57 |
投稿者 | : 桃青 |
ぽん州さん
レスありがとうございます。
> 僕もお袋の面倒見てる時に、いつまでこんなことが
> 続くのんだろうか とか思ったし、
ぽん州さんも介護を経験されたのですね。
認知症を介護されているかたの中には
「たとえ手袋ごしにでも、暖かいう○こを掴んだ経験のないかたの話は聞きたくない!」
と、いわれるかたもおられ」ますが、そう言いたくなる気持も解るようになりました。
大小便の始末は理屈でなく身体が反応して嘔吐反応が出るものなのですね。
介護施設のスタッフさんは仕事だから、慣れているのだろう。
と、思うのは間違いですね。
人間ですから、あなたや私が、「嫌だー。」と思うように、その「嫌だー。」の部分は全く同じのようです。
あとは「プロだから。」で、乗り切って行かれているようですが、虐待してしまうスタッフさんの気持ちもわかるような気がします。
劣悪な環境をそのままに、
「菩薩だと思って・・」とか「高度成長時代を支えてきた方々だから。」
と、精神論ばかりを押し付けてもダメなんじゃないかと思うのです。
介護のやる気を引き出すのは、環境の改善のほうが有効だと思います。
始まりにあるべき問い掛けであり、最後まで残る問いかけとは
「経済活動が何もできなくなり、今後も回復の見通しのない者に対して国家社会がどのような視線を持てば良いのか。」
という、つまりは「人間とは何だ。」という問いかけでしょう。
その答えとして、
「あなたを救った菩薩だから。」「高度成長期を支えた人々だから。」
「神から与えられたあなたの使命だから。」
「選択の自由。自己責任。」
というのでは、あまりに浅いのではないかと思うのですね。
浅い答えからは浅い解決策しか出て来ない。
浅い解決策のどこが問題かといえば、それは常に一番立場の弱いところへ苦労を押し付けて「これで問題解決」としてしまうというところです。