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記事No : 2066
タイトル 十界互具と仏
投稿日: 2013/05/24(Fri) 10:33:39
投稿者桃青

> もちろん他者に仏を見出していくというのを聞くのは胡散臭いですね。
> で、他者の中に悪魔を創り上げていく。エクソシストの世界かな。

十界互具ですから、認知症の母に菩薩の片鱗、仏の片鱗を見ることはあります。
同時に、餓鬼畜生の片鱗を見ることもあります。

私は、仏の片鱗、菩薩の片鱗を見て、「母の本態は仏だ。」とは思わないし、かと言って、餓鬼畜生の片鱗を見て「母の本態は餓鬼、畜生だ。」とも思わないのです。
人間は十界互具。様々な相を見せて、やがて、いつか仏になって行く可能性を持っている。
それが、法華経の説く人間観で、私は人間観としてはこれ以上現実の人間というものを捉えている真実はない。と、思っております。

「我が母」が、餓鬼畜生の片鱗を見せることを我を忘れるほど悲しむかたに
「わざわざ餓鬼、畜生になってまで、あなたを法に導く仏である。」
と、説くことも方便としては間違ってはいないと思いますが、
私のように、母も私も十界互具、なので、悲しいことに時に餓鬼、畜生の姿を見せることもあるのだ。
どんなに自分をコントロールしたくても、それができなくなる認知症になった時、私は、どのように己身の餓鬼、畜生に対処していったらよいのだろう。
と悩む、その悩みには、「お母さんは、わざわざ認知症になってまで云々」という言葉は、虚しくひびく。

人間が餓鬼、畜生の時、自分も苦しいが、周囲も苦しめる。
その苦しみを度外視して、「認知症の姿も方便、本態仏菩薩」と説くのは、私はどうも納得が行かない。

と、私は思うのであって、ぽん州さんがお母様に仏を御覧になったことを否定するつもりは、全くありません。
仏に出会われたということは素晴らしいことだと思います。


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