記事No | : 2238 |
タイトル | : 従因至果と従果向因 |
投稿日 | : 2013/08/27(Tue) 10:03:28 |
投稿者 | : 桃青 |
先だって従因至果と従果向因の御話を聞きながら、
これは、もしかしたら、公平と平等の話なのかもしれない。と、私は思った。
日蓮系がしきりに言う従果向因を検索してみるとヒットするページは日蓮系(特に某S学会)と真宗系ばかりだ。
真宗で従果向因を説明している全てのページが昭和の親鸞とも称される曽我量深師の言葉としているので、元々は日蓮系で盛んであった教説なのだろう。
しかし、どうもすっきりしないのは、この従果向因という言葉、日蓮聖人の御遺文中、偽書とされる御口義伝、百六箇抄にしか出て来ない言葉なのだ。
いったい誰が言いだした言葉なのだろう。
講師の説明も、「人間は仏の力によらなければ、成仏できない。」など、一歩間違うと「絶対他力」や「救いは神の恩寵」と同じように受け止められかねない危うさがあった。
それにしても、当地の布教研究会は昨今、当体義抄や御口義伝の研究に熱心なようだが、偽書と定まっているものをわざわざ檀信徒の教化に使う意味とは何なのだろう。
と、こんなことは匿名だからこそ書けるのだが。