記事No | : 2297 |
タイトル | : 明るい世界は必ず来ると |
投稿日 | : 2013/11/15(Fri) 11:06:17 |
投稿者 | : 桃青 |
そして、私が母に人間の無常を観じて、次に求めているものとは、
「明るい世界は必ず来る」
と、告げられることなのだ。
「ああ誰か来てわたくしに云へ 億の巨匠が並んで生まれ しかも互ひに相犯さない 明るい 世界はかならず来ると」(宮沢賢治『業のはなびら』)
ああ、本当に、本当に、「明るい世界」は必ず来ると静かに力強く告げられたい。
天台の「止」とは、おのれひとりの禅定安定を得るために修行するにとどまらず、他者に安寧をもたらすような配慮をすることだというではないか。
日蓮聖人も御生涯をかけて、ひたすら社会の安寧を願っておられたではないか。
母の無常が仏に見えて来るように修行して、「ああ、母は本当に仏であります。」が、仏道修行の到達点ではないはずだ。
でもなー。お寺へ話を聞きに来るかたがたは、
介護者が被介護者を「ああ、仏であります。」と、伏し拝む姿を見て「素晴らしい。さすがですわ。」と感動する事を求めて来るんですよねー。