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日本クモスケ(1999GW・対馬 壱岐)その3

壱岐の海岸線



温泉とウニの一支国・壱岐

フェリーは対馬・厳原港を後にし、壱岐・郷ノ浦港に着岸したのは夕方でした。
ココからは国道をイッキに北上し、湯ノ本温泉を目指す事にしたんです。
なにしろ、対馬で過ごした2泊3日の間は一度もフロに入れず、、
このままではクサいだけでなく、なんだか自分の将来に不安さえ感じそうなほどでしたから。
港から湯ノ本温泉までは、島の中央を貫く国道経由で10キロほどの距離だそうで、
ソッコーで走ればアッというまにたどり着けそうでした。
それだけでも島の半分を縦断してしまう訳ですから、やはり対馬に比べれば小さな島なんだなぁと思います。
いやいや、対馬が巨大すぎるのですよ。

海に面した温泉街に着いてみれば・・・・
なんだか想像とは全く違う、コギレイな円盤状の建物がデーンと構えているぢゃないですか。
コ、コレが温泉っすか? 確かに「クアハウス」と書かれていますけれど。。
いわゆるフツーの立ち寄り温泉やスーパー銭湯よりもゴリッパなタタズマイで、、、
勝手にイメージしていた離島の温泉っぽさはミジンも感じられません。
でも、、、こういう施設は料金だってゴリッパだったりするに違いなく、、、
おそるおそるフロントを覗きこんでみると、、、、やっぱりぇね。。。。
プールやらトレーニングルームやらまでついていまして、、、露天風呂は水着着用? 持ってませんよ。
フツーのフロだけ入っても同じ料金ですか、、さいですか。。。

「ココが気に入らないのならば、アソコに行くがよい」
的な言い方で紹介されたのは・・・・
すぐ近くの、なんとも古びた造りの湯治湯でした。
ううむ、こういうのこそが離島っぽいですって!!
などと身を奮い立たせて向かってみたところ、
「今日は、もう終わりなんです。お湯も落とし始めちゃったし。。。」
なるオコトバ、、コレは想定外の事態でした。
いかに5月の九州は日没が遅いとは言え、ドップリと夕方なのにはマチガイありません。
しかし、ココを逃したらフロにお目にかかるのは明日になるに違いなく、、
「そこをどうにか。とにかく入れればイイんです!」
ムリにお願いし、そしてお許しを得て、、ソソクサと湯船に向かう事が出来ました。
いかにも鉄分が多そうな赤茶けた湯、、、シミジミと漬かるには、思いっきり具合よさそうですよ!
しかし・・・
おっしゃるとおり、お湯が少ない事少ないこと。。。寝湯ですよ、コレでは。
しかも、やたらヌルいんです。。。トホホホホ。
1500年もの歴史のある温泉なだけに、まさか沸かし湯では無さそうで、
要は、源泉の引き込みも止められてしまったのかもしれません。
呆然としているうちにも、徐々に少なくなっていくように思えるお湯・・・・
ココはツベコベ言わずに飛び込んでしまうのがシヤワセへの第一歩なのでしょうね。
そもそも、離島では何が起きてもオドロいてはイケない! それに尽きましょう。
そういう事は、今までの経験で思い知っていますから。
やっと風呂に入れた、、、しかも風情がありすぎる温泉に、、、ソレでイイのです。
この施設、確か「湯ノ本温泉センター」という名前だったと記憶していますが・・・・
すでに廃業してしまった模様で、今ではネット検索をしても全く見当たらないんです。。

ソソクサと身支度したら、ソッコーで出発しなければなりません。
5月の九州は激しく日没が遅く、ふと気を抜いているとオドロくような時刻になっていたりする事もありまして、
この時も、感覚以上に相当にイイ時刻になっていたんです。
テントの設営もしなければならないし、まずはキャンプ場を目指さなければ。。
目指すべきキャンプ場は、島の北端に位置していました。
なにやら広くてコギレイなサイトなだけでなく、しかも料金が無料だと言うのです。
ライダーやチャリダーはハジッコが大好きで、、、しかもタダのキャンプ場も激しく好きですので、、
そういうキャンプ場には必ず同士が集まってくるに違いありません。
ソコでルービやら酒やらを酌み交わせば、対馬の話やこの温泉の出来事だって、
オモシロおかしいサカナになるに違いないハズだったんです。

キャンプ場の手前の勝本という集落で、さっそく小さなスーパーに入ってみました。
まず、目に入ったのは生ウニ。こ、これはソソられますよ!!
東京あたりでは、相応の値段のヤツだってアルコール漬けだったり、しかもイカやクラゲなど他のモノと混ぜられていたり。。
どうせなら、ウニ1本で丼メシにして食べたいぢゃないですか!! ソレはめったに食べられるモノぢゃありませんですから。
などとコーフンしてみたところで、、、、、
ネックとなるのが、その物量だったりするんです。。
いくら単価が安かったって、一人でキモチよく食べる分はたがが知れているのに、何百グラムも買わされて何千円では困ります。
確か知床の羅臼の街でも、同様の事がありました。
羅臼のスーパーで、生ウニの小売単位が大量すぎ、呆然と立ち尽くすワタクシ、、、、
気配を察知した店員が話しかけてきてくれたのですが・・・・
「お客さん! ソレの切り売りも出来ますよ!」
「そ、それはアリガタい!! ぢゃ、ぢゃあ、5分の1くらいにしてもらえれば・・・」
「ごぶんのいちぃ??? せめて半分ぐらいじゃなきゃ。。。」
もちろんそれでは大量すぎて、、そのままムーンウォークで店を立ち去るしかありませんでした。

そして、コチラ壱岐のスーパーでは・・・・・
「あ、あのぉ、コレ、どの位の量から売ってもらえますか?」
おそるおそる店のオバチャンに聞いてみたところ・・・
やっぱり、とてもとてもな答えが返ってきました。
仕方がありません。。諦めてイワシのカマボコを手に取ってレジに向かうと、、、
オバチャンったら、少しばかり怒ったような表情を浮かべ
「しょうがないわねぇ。んもぉ!」
そんな感じで、なんとウニを切り分けてくれたんです。程よい量の分だけ。
「コレも使うでしょ?」
などと言いながら、キザミ海苔やタレまでもつけてくれました。
そして、、、
「ウニ代? 取れないわよ。そんなちょこっとじゃ商売にならないもん」
な、何と言うことでしょう! そんな恩恵にあずかっちゃってイイんでしょうか!
もちろんカマボコ代は払いましたよ、キッチリと。
とにかく、これで生ウニ丼が食べられる! ありがとう、オバチャン!

その夜にキャンプ場でメシを炊き、生ウニをブチ込んで食べましたですとも。
かつて、この手のウニ丼は北海道・釧路の和商市場でも食べた事はあったんです。
ソチラは、まず市場内で白メシを買い、それを手に市場内をウロウロと歩き回り、
好きな店でウニやらイクラやらを購入してブッかけてもらう仕組みでした。
なのでウニイクラ丼とか、イクラとサケとウニとの「親子+イソーロー丼」とか、何でもお好みで作れちゃう訳ですよ。
それはそれで楽し美味しい極楽なドンブリではありましたが・・・・
この壱岐で食べたウニ丼は、それに負けず劣らずのココチよい思い出となりました。
オバチャンの優しさ、遠い離島のキャンプ場で食べたというシュチュエーションなどなど、、、
実際の味覚を超えたウマさを味わう事が出来たからに違いありません。

結局、この日も一人っきりの貸切キャンプだったんです。
日も暮れて来た事ですし、今更ながらヨソのキャンプ場を物色する気にもなりません。
とっととテントを建てねばと思いつつ、、その前に、やる事があるんです。
当時、キャンプする際のワタクシの行動パターンは、

1.キャンプ場に到着したならば、まずはオツカレサマのルービを1缶。
2.テントを設営しながら、つづいて2缶目。。
3.そして、メシの仕度をしながら3缶目。。。
4.いよいよ、メシを食いながら4缶目。。。。

ま、まあ、こんな具合でして、、、まさに、その1缶目を飲み始めたところ・・・・
フイに、一人の訪問者が現れたんです。
キャンプ場にキコキコと迫ってきたのは、D51不況型のボロっちぃママチャリ。
ソレに乗っていたのは、完全無欠なヂィサンですよ。
このキャンプ場の先には民家など無く、帰宅途中の通りがかりという訳でも無さそうですから、
対馬の原チャリおばちゃん同様、キャンプ場の管理人かとも思いました。
「にぃさん、テントは張らないのか?」
「あっ、、これから張ろうと思っているんです」
「そうか、ならばアソコとかソコとか、ココとか、そんなところがイイだろう」
ゆっくりとサイト内を歩き回り、所々を指差すヂィサン。
殆ど真っ平らなサイトですから、どこでも同じように思えつつ、、、
とりあえず、「ハァ」とか「なるほど」とか、テキトーに相槌を打つしかありません。
ひと回りしてきたヂィサンは、ワタクシが座っている木のベンチの隣に座ると、、、
ワタクシの顔を見る事無く、目の前の海に視線を送ったまま話しかけてきました。

「ニィサン、どこから来なすった?」
「えっと、東京です」
ワタクシも、海を見たままでソレに答えました。
「ほぉ、東京かぁ。東京と言えば、日光に行ったことがある。ずいぶん昔ぢゃがのう」
「そうですか」
「日光って、東京ぢゃろ?」
「えっ? 日光は栃木県です」
「そうそう、そうぢゃった! 東京と栃木と茨城の間ぢゃったな」
なんだかビミョーにズレているものの、ソレを訂正したって仕方ないように思え、、、
なにしろココは、ソコからは遠くとぉぉく離れた壱岐の島なんですから。
「東京から来て、どこを回って来られた?」
「四国から九州に抜けて、そして対馬を走ってきました」
「そうか、対馬も見てきたか。でも、コッチのほうがイイぢゃろう」
「・・・・・」
「対馬のニンゲンは排他的でイカん。壱岐のニンゲンのほうが、ひとなつっこくてイイ」
確かに、ソレはアナタを見れば判るような気がします。。。

ヂィサンは、ワタクシのバイクに目をやり
「キミは、カントリーライダーぢゃのう」
などと言い放ちました。
「カントリーライダー?」
どういう意味だか判りません。イナカモノだと言いたいのでしょうか。東京から来たと言ったハズなのに。。
「そうぢゃ。カントリーライダーぢゃ。デコボコのタイヤを見れば解る。山とか、そういう所を走るんじゃろう?」
な、なるほど。オフローダーと言いたかった訳ですね、ヂィサン。
バイクを見て、そのタイプを見抜くのはリッパではありますが・・・・
カントリーライダーなる言い方は、果たしでどこで覚えてきたのでしょうか。
とにかく、聞いた事が無い造語のような語句が、次々と出てくるんです。

「君達みたいにバイクで日本中を回る連中を、日本クモスケという」
「ク・クモスケですかぁ?」
コレは聞いた事があります。クモスケってのは、昔々の街道筋でボッタクリを働いた駕篭かきとかぢゃないですか?
ちょっと前まで、悪徳なタクシーの事を「クモスケタクシー」などとも言いましたし。
もしや、ヂィサンはバイクに対して良いイメージを持っていないのかと思ったら、、
身構えるワタクシの様子を察知したのか、ヂィサンは慌てて補足を入れてきました。
「いやいや! クモスケは悪党だけど、日本クモスケは良い事ぢゃ! 間違っちゃイカん」
「・・・・・」
「そうやって全国を回り、色々と見聞を広めるのぢゃ!! ソレが人生の役に立つ!」
「さ、さいですか。。。」
「でも、そう言う事が出来るのも若いうちだけぢゃのう。せいぜい24とか、いっても28歳とか」
そのハンパな区切りの基準がイマイチ判りませんでしたが、、すでにその歳を越えていたワタクシは、意味不明にドキリとしました。
ヂィサンは、再びワタクシの動揺に気がついたのでしょう。
「キミは独身ぢゃろう? ならばイイ。嫁さんをもらったら出来ない事だしなぁ」
な、なんとか執行猶予を頂戴したのでした。。。

空は徐々にオレンジ色の部分が広がり、次第にあたりが薄暗くなってくると、、、、
ヂィサンは、スクっとベンチから立ち上がりました。
そしてD51不況型のママチャリに跨ると、
「よお! 大将! 良い夢みろよ! そして気を付けてな!!」
そう言い残し、キコキコと来た道を帰っていったヂィサン・・・・
なんだかよく判りませんが、意味不明にキモチの良いヒトトキを過ごさせてもらったように思えました。
まるで、イタイケな独り者の旅人を慰めに現れた壱岐の仙人のような・・・・
そんな神々しさは、全く無かったんですけどね。。


対馬と違って壱岐には高い山はありませんでしたから、最初っから林道走行は諦めていました。
海っぺりをダラダラと走っていると、アチコチで放牧された牛の姿が目に入ってくるんです。
芝生に覆われた小さな岬がありまして、、、ソレは青い海に突き出した緑の道といった様相でした。
ガレた踏み跡が有ったので、思わずバイクで走ってみたりしたところ、、、
牛は、ワタクシの存在など我関せずといったアンバイで、ノンビリと草をはむばかり。
空は思いっきり快晴で、、、、
「こんな絵葉書のような光景が、実際にあるものか!!」
などと叫びたくなる程に、ウソっぽい快適さに満ちていたんです。
もちろんコレは現実、、、ワタクシにとっても牛達にとっても。
その証拠に、島を去らねばならない時刻が迫ってきました。

壱岐からの帰りに乗った船は、印通寺港から九州本土の唐津港に渡るフェリーです。
わずか2時間足らずのローカル航路ですから、フェリーの船体も妙にコジンマリとしていました。
博多航路のソレと比べたら、一回りも二回りも小さい印象でしょうか。
この日は波も穏やかでしたから、博多港から厳原を目指した時の印象
「よぉぉぉぉしっ! はるばる行くぞぉぉぉ!」
的な感覚とは大いに異なり、、、、
ちょっとソコイラまで行ってきます、、、そんな感じでもありました。
「正面玄関から入り込んで、裏口から出て行く旅・・・」
そんなフレーズがアタマをかすめた時・・・・・
「ウマい事言うな、大将!!」
エッ???
フェリーから見おろす岸壁に、あのD51不況型ママチャリ、そしてヂジサンの姿!!
アタリマエですが、それは目の錯覚でした。
どうせ幻覚を見るのであれば、オメガ塔に見送ってもらったほうが嬉しいなぁ。。。。
目の前の山の頭越しから、背伸びをしてコチラを見下ろす姿とか・・・・
「何を言っとる、大将。ソレは対馬ぢゃろう。ココは壱岐!」
うっ!!
日光が東京だと言い張ったリアルなヂィサンと違い、なんとも的確なツッコミ。。。
「まあ、どっちだってイイか。とにかく良い旅しろよ! クモスケの大将!!」
だからクモスケぢゃないんだってば。。

で、でも、、ヂィサンの言うところの「日本クモスケ」であれば、喜んで受け止めようと思いました。
現に、そういう事が好きでアチコチを旅している訳でしたから。
むしろアリガタい称号をもらった様なキモチにすら思え・・・・
これまで以上に良い旅を、そして良い夢を見ようとココロに誓ったワタクシだったんです。
この旅の終わりは、キャンセル待ちに勝負をかけて、どうにか日向発・川崎行きのフェリーに乗れたのですが、、、
そのフェリーの中で、とある女性ライダーとの出会いがありました。
後に、そのヒトとケッコンする事になりまして、、今ではコドモが二人ほど。。
それでも家族で離島巡りをするなど、相変わらずのクモスケ旅を続けていたりするものですから、、、、
ヂィサンは、さぞや呆れている事でしょう。。。

串山キャンプ場



【注意】
この文章は、かなり記憶が曖昧な部分が含まれております。
年月も経過しておりますので現状と異なる部分も多く、旅情報としては不適切です。
マヌケな読み物として捉えて頂ければ幸いです。
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