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要塞島上陸作戦(2004夏・青ヶ島)その2
海と空とを交互にしか見せてくれなかった船の窓からも、その合間に三宝港の姿が迫ってきた。
急な崖を全面的にコンクリートで覆いつくし、そこに建物やらクレーンやらがムリヤリへばりついている感じの、なんともブキミな港だ。
船は海に突き出した一本の岸壁に向かって、なんだか探りを入れるようにユックリと近付いていく。
ココで接岸に失敗すれば、またまた3時間の大揺れ航海が待っている。
いよいよ、運命を分ける勝負なのだ。
窓に顔を押し付けながらキンチョーするワタクシとはウラハラに、ただ1人だけ元気一杯なドリフのリーダーは
「まずはテント張り。買出しは距離があるからタイヘンだなぁ。どうしようか?」
などと、もう着岸を確実視したように陽気な声をあげた。
もっとも、他のメンバーは誰一人それに答える余裕が無く、ビデオカメラを手にセワシナく動き回るリーダーの姿を、黙って目で追うのが精一杯といった様子だった。
徐々に近付いてくる岸壁の上には、ずいぶん大勢の人々・・・・
3〜40人は居るだろうか、とにかく目を凝らして、誰もがコチラを睨みつけている。
このぶんだと、どうにか接岸できそうなフンイキではあるけれど、まだ不安はある。
それは、人から聞いた御蔵島への着岸の話を思い出したのだ。
「自分が見てる前でもせっかくロープを港に繋いだのに、パチーンと見事に切れた。」
なんて事になって、結局は着岸できなかったらしい。
船は、岸壁に寄り添うような位置まで近付いた。
いよいよ問題のロープを繋ぐのだろうか・・・・・
その時、バタバタっと言う感じで、ヘルメット姿の係員が船室に飛び込んできて
「さあ、着きましたよ。いそいで降りてください」
と、早口で我々に告げた。
おおっ、着いたの?
そ・そうだ、係員に報告しなければならない事があった。
「あ・あのぉ、コドモが吐いちゃって、シートを汚しちゃったんですけど・・・・」
「いいからいいから。早く降りて」
係員は怒ったような口調で言い放つと、いきなりオコチャマを抱きかかえあげ、そのまま早足で船室から出て行った。
慌てて荷物を抱えて、オロオロと係員の後を追いかけると・・・・・・
こ・こりは・・・・
船と岸壁の間には1メートル近くも隙間があいていて、黒々とした海面がのぞいているのだ。
しかも船は大きく上下動しているものだから、これで「さあ着きましたよ」と言われても困る。
思わずタジロいでいると・・・・
先ほどの係員が、船と岸壁の高さが等しくなる一瞬を捕らえて、オコチャマを抱きかかえたまま岸壁にジャンプした。
そうか、そういう仕組みなのか。
などと感心していたら、いつのまにか2人の係員から両脇を抱えられ、まるで投げつけられるように上陸させられてしまった。
とにかく、なんとか上陸できた。
係員からオコチャマを受け取り、
「怖くなかったかい? まだキモチワルイ?」
などと話し掛けると
「オナカすいた」
なんて言いながら、元気一杯なのだ。
「おおい!コッチコッチ!」
宿の出迎えらしいオッチャンに手招きされ、荷降しのクレーンが激しく動き回る中、アタフタとそのクルマに向かって走る。
「荷物をクルマに積んで。はやくはやく」
なんだか判らないけれど、急がされてばかりの島なのだ。
「アンタら、今日は来れないかと思ったよ」
「は・はぁ」
「牛祭りの後、もう二日も欠航してたからなぁ。ずいぶん人が居たろ? みんな帰れなかった連中さ」
「そうなんですか。ヒサンっすねぇ」
「今日の船は満員だなあ。いつもは5人ぐらいしか乗らないのに」
走り出したクルマは、すぐに長いトンネルに入った。
火山島ばかりの伊豆諸島の中でも、この青ヶ島だけは特殊な形をしている。
海から見ると一つの山にしか見えないけれど、実はカルデラを持つ複式火山なのだ。
阿蘇山や箱根山を小さくして海に浮かべたような島で、今まさに外輪山を貫くトンネルをくぐっているのだ。
トンネルを出て、一気に目の前が開けた。
「ほぉら、ココからカルデラの中だ。目の前が内輪山の丸山。アソコには地熱を利用したサウナがある」
「へえ、それはオモシロそうですね」
「うん。宿からなら歩いて一時間で来れる」
人口が僅か250人ほどのこの島には、当然ながらバスやタクシーなどは存在しない。
我々旅行者は、離島ならではの『こっそりレンタカー(宿のクルマを有償で借りる)』か、自らの足で歩くしかないのだ。
歩くのは苦にならないけれど、サウナを出た後にもう一汗ってのはちょっと・・・・・
クルマは、外輪山の内壁に沿うように、快調に走りつづける。
「ホラ、そのへんがサツマイモ畑」
「ああ、ソレが青酎になる訳ですね」
青酎とは、青ヶ島特産の焼酎で、全ての材料は島の自家製とのこと。
従って生産量に限りがあり、近年は『マボロシの焼酎』として人気急上昇なのだ。
「最近は大売れだそうですね。島の人が飲む分もないとか聞きましたよ」
「そうそう。小さな島だから畑も小さくてね。でも、ヨソのサツマイモで作ったんじゃ意味が無い」
「そんな状況じゃ入手はムツカシいでしょうね。味見ぐらいはしたいなぁ」
「呑めるよ。酒屋に行けば売ってるよ」
「えっ? ホントっすか?」
「ホントホント。島民には売らないけれど、アンタら観光客なら買える」
「そ・そういう事なんですか。なんだか申し訳無いですね」
申し訳無いという言葉とはウラハラに満面の笑みを浮かべるオトォチャンにつられ、オコチャマも嬉しそうな歓声をあげる。
もちろん、何の意味も判っちゃいないだろうけれど。
「ボーヤ、元気だなぁ。船はヘイキだったかい?」
「ダメでした。ゲロゲロですよ。一時はどうなるかと思いましたよ」
オコチャマがそんなフクザツな答えを出来る訳が無く、もちろんオトォチャンが答えた。
「そうか。でもコドモは吐いちまえばケロっとするからなぁ。船酔いで死んだヤツはいないからダイジョブだ」
「確かに。でも、オトナもヒサンでしたよ。イス席の部屋の客は、ほとんど玉砕でしたね」
「ダメだよ、イス席じゃ。揺れる時は座敷に転がってなきゃ、オレだってイチコロだぁ」
「そうなんすけどねぇ。でも座敷は満員だったから・・・・」
「下の部屋もかい?」
「ええ。下にも座敷があるのは気がついたんですが、『使用禁止』って書いてあったんで」
「なにぃ? そうか、掃除とかするのがメンドーなんで使わせなかったんだな。よし。オレが文句いっといてやる」
なんだか島のヌシのような、妙にエラソーなオッチャンなのだ。
しかし、このオッチャンの力によって、我々は大いに助けられる事になる。
再びトンネルで外輪山を貫き、クルマはカルデラの外に出た。
外輪山の北側斜面だけが比較的に緩やかで、村役場を始め殆どの集落が、この斜面にヘバりついている。
「ココが役場。ココが学校。ソコが青酎を売ってる酒屋。ソコがヘリポート・・・・」
オッチャンからの一通りの案内を受けながら、クルマは宿に到着した。
面白い事に、これらを含む島中の全ての建物や民家には、番地というモノがない。
この島は『青ヶ島村』という一つの自治体なのだけれど、フツーなら
「△△村、大字○○、**番地」
と続くハズの住所が存在しないのだ。
山田太郎さん宛の手紙も、鈴木一郎さん宛の手紙も、
「青ヶ島村 山田太郎様」「青ヶ島村 鈴木一郎様」
としか書きようが無く、新人の郵便局員にはタイヘンな事だ。
実際には、
「青ヶ島村 無番地」
といった感じで、自虐的なような、ウケ狙いのような、そんな書き方がされている。
もっとも、あえて「無番地」と書き足さないと、住所を記載していないのかと判断され、いちいち問い合わせを受けてしまってメンドークサイのかもしれない。
青ヶ島の他に「無番地」という住所が有るのか無いのかは判らないけれど、ココではソレも一つのウリらしく、胸に『無番地』と書かれたTシャツなんかも売られていて、もちろん買ってしまった。
なにしろ、探せば所々にある「番外地」とは別格なのだ。
それは
「フツーは番地があるけれど、この一角だけは番地が無い」
程度の意味の番外地では、村全体に番地が無いという青ヶ島に比べるのも頭が高い。
島には一軒の食堂も無く、宿で用意してもらったヒルメシを食い終わったら、いよいよ探検なのだ。
まずは外輪山の最高峰で、島の最高峰でもある標高423mの大凸部(おおとんぶ)に登る。
集落自体が標高200mくらいはあるので、実際には半分程度の標高差しか登らないで済み、オッチャン曰く
「40分ほどでテッペンまで行ける」
との事だった。
たしかに道はさほど険しくなく、急なところにはキチンと階段が作られていた。
しかし、この道を歩く人はロクにいないのか・・・・・・
道のアチコチがジャングル化し、ヤブコギ状態となっていた。
山に入る前、宿の近くの商店でジュース類を買った際に
「えっ?観光に来たんですか?」
などと店のオネェチャンに驚かれてしまった時点で、そんな苦労を暗示していたのだろう。
悪戦苦闘してヤブを切り開くオトォチャン、それに続く妻子・・・
「おおっ!人生だぁ」
などとホザきながら登りきってみれば、テッペンには、思いも寄らない大パノラマが開けていた。
断崖に囲まれたカルデラ、それを取り巻く外輪山、中央に構える内輪山・・・・・
まるで宿の食堂にあった立体地図そのままの姿で、全ての構造が一望に見渡せるのだ。
阿蘇の外輪山の大観望に立てば、そのカルデラの壮大さにヒシヒシと見惚れてしまうだろう。
しかしそれはカルデラの極一部、大目に見ても半分しか見えていないのだ。
それに対してココは凄すぎる。
そりゃ阿蘇山に比べたらチンチクリンなカルデラではあるけれど、
「アタシ、もう隠すモノなんて何にも無いんだから!」
なんて感じで開き直って両足を開いちゃったような、全てを晒したその一つ一つのパーツが、ウソくさい程にメリハリが利いているのだ。
よくぞ、こんな激しい島に住む気になったものだと眼下を見下ろせば・・・・・
内輪山の麓にあるキャンプ場付近に、豆粒のような5人の隊列が見えた。
おおっ、ドリフの面々に違いない。
それなりに距離があるので、行軍しているのか立ち尽くしているのかは判らないけれど、とにかく全員が無事らしい。
しかし、彼らの試練はこれからのハズだ。
島に2軒しかない商店に辿り付くには、この険しい外輪山を乗り越えて来なければならないのだ。
あのリーダーを中心に、満足のいく、最低でも命に別状のない程度の買出しが出来る事を祈るのみである。
同じく外輪山のテッペンにある、尾山展望公園を目指す。
稜線伝いに横移動すれば良いのかと思ったら、殆どフリダシに戻っての再登山となった。
その登りの、東台所神社への石段が凄まじいのだ。
とにかく急な登りで、石段と言っても、いわゆる階段状にはなっていない。
手放しでは登れないような急な斜面に、足がかりとして大きな丸い石がランダムに、そしてビッチリ埋め込まれているだけなのだ。
大凸部へは自力で登ったタクマシきオコチャマも、さすがにキケンがアブナくてココは1人では登れない。
ほとんどオトォチャンとオカァチャンが引っ張りあげる形で、「捕らわれた宇宙人」状態で何とか登頂できた。
しかし、ココを降りるのは、オトナだけでもカンベンしてほしい。
展望公園と集落の間は、キチンとした車道が続いていた。
その道を歩くうちに、フシギな光景に出くわした。
展望公園よりひとつ東側の外輪山の斜面が、まるで山の上にムリヤリ作り上げたゴルフ場のように、広大な草原地帯になっているのだ。
近付いてみると、その正体は意外なものだった。
山の斜面を覆い尽くす草原に見えたのは、実は緑色をした防水シート。
そのシートの上に降った雨水を集め、簡易水道として供給しているのだ。
コレを作るのに厚生年金などが財源となった旨を示す看板があり、その口調が妙に威張っているのが面白かった。
帰りがけに青酎もゲットでき、これで何も思い残す事も無く、青ヶ島での初日が終わろうとしていた。
宿の屋上から、もう何年ぶりだろうか、海に沈む夕日を見る事も出来た。
明日はどこを探検しようか。
大昔の港だったという「神子の浦」あたりがオモシロそうだろうか。
いまだに処女港だという「大千代港」も捨てがたい。
しかし・・・・
島での平和なヒトトキは、ココまでだったのだ。
異変に気がついたのは、翌朝の7時半だった。
アサメシの前にトイレにでも・・・・
個室に入って座った途端、防災無線風の音声が聞こえてきた
「本日、還住丸の欠航が決りました」
なんですとぉ!
半ケツのまま部屋に戻ると、朱蘭さまも呆然とした表情で突っ立っていた。
昨日のオッチャンの話だと、今日からは波も穏やかになるハズだったし、なにしろ30分前に
「本日、還住丸は通常どおり運行します」
なんて放送があったばかりなのだ。
すぐに、オッチャンもバタバタと部屋に飛び込んできた。
「すぐにメシを食ってくれ。沖縄あたりに発生した台風の影響だ。こりゃ3日4日は船は出ないぞ」
欠航とメシの関係が判らないまま、アタフタと食堂になだれ込み、とにかくメシをかき込む。
オッチャンは、どこかに頻繁にデンワしていて、その合間合間に
「急いで食え」
と繰り返す。
八丈島と青ヶ島の間はヘリコプターが1日1便運行されていて、それは確か朝の9時発の筈だ。
オッチャンがデンワの相手に
「8時半までには行くから」
なんて言ってるので、もしかしたら我々をソレに乗せようとしているのかと思ったら、そうではなかった。
「アンタらが貨物船に乗せてもらえるように話を付けた。早く出航したがっているから、急いでくれ」
そういう事か。
還住丸の他にも、黒潮丸という貨物船が週に1便運行していて、ニンゲンも乗せてくれる事は知っていた。
しかし、今日は黒潮丸が運行する土曜日ではないのだ。
何だか判らないけれど、とにかく3日も4日もココで足止めを喰らったら困るので、言われるがままに急がねばなるまい。
8時半に港に着くならば、遅くても8時に出れば間に合うだろうか。
部屋に戻って荷造りをしていると、ふたたびオッチャンがやってきて、じれったそうに叫んだ。
「急げ急げ! 何でもいいから、とにかくカバンにブチ込んじゃってくれ。8時には出航するって言ってる」
「ええっ?あと15分しか無いっすよぉ」
「波に煽られて、船のロープが2本もブチ切れてるそうだ」
オバちゃんへの挨拶もソコソコに、オコチャマと荷物をクルマに放り込むと同時に、オッチャンはイッキに加速した。
どうやら来る時に通ったカルデラ経由の道ではなく、外輪山の外側の、海に沿った断崖絶壁上の道を走るらしい。
コチラの道のほうが遥かに距離が短いのだけれど、トンネルが出来るまでの旧道で、確かガイドブックには『通行不能』と書いてあったハズだ。
恐ろしいほどのアップダウン、マジかよと思うようなムリヤリなヘアピンカーブ。
昨日に比べて明らかに白波が大きくなった海を、右に見たり左に見たり前方に見上げたり・・・・
まるでジェットコースターに乗っている気分になる。
これでは、おそらく昨日よりも揺れるであろう船に乗る前に、オコチャマが酔ってしまわないだろうか。
幸い小さな島なので、ほどなくブキミな要塞のような港が見えてきた。
ひっきりなしに波に洗われている岸壁の横に、青い貨物船の姿が見えた。
波にクルマを突っ込ませて水しぶきを揚げながら、オッチャンは宿を出てから初めて声を出した。
「間に合った・・・」
ひと待ち顔の作業員数名が駆け寄ってきて
「さあ、乗ってください」
と口々に叫ぶ。
しかし・・・・・
「間に合った」も「乗ってください」もアリガタいけれど、どうやって乗れと言うのだ。
還住丸よりも遥かに大きな青い船は、まるでロデオのように激しくノタウチまわっていて、昨日の飛び降りどころのレベルではタチウチできそうもない。
係員どおしで顔を突き合わせて
「アレで乗せちまおう」
と指し示した先は、あの大東島仕様の大きなトリカゴではないか。
図らずも、大東島では願いながらも叶わなかった、クレーンでの宙吊り乗船をする事になったのだ。
トリカゴにしがみつきながら、オッチャンに向かって
「お世話になりましたぁ」
と叫んでいるうちに、意外とアッサリと、2台のクルマがくくりつけられている荷物甲板の上に降ろされた。
そして殆ど同時に、船は岸壁からイッキに離れていった。
貨物船に乗るなんてのは始めての経験で、航海中はどこでどうやって過ごせば良いのだろうかと思ったら・・・・
係員に案内された船室は、意外にも広々とした座敷の部屋があった。
明らかに旅客を乗せる前提の作りで、貸し出しの毛布まで大量に用意されている。
もっとも、我が家以外には客など誰も乗っていなくて、申し訳無いほどの貸切状態なのだ。
ところで、この船の正体はナニモノなのだろう。
曜日をずらして運行した黒潮丸なのだろうか。
船室内を見渡すと、緊急時の脱出経路を示すパネルに『ゆり丸』と書かれていた。
おおっ!
それならばこの船は、三宅島と御蔵島を結んでいた定期船ではないか。
三宅島の噴火によって運休してからは、貨物船として裏方の仕事をしているのだろうか。
下船時にじっくり見たら、船体の横には
『御蔵島・八丈島・青ヶ島 産廃運搬船』
とのプレートが付けられていた。
あの慌しい出航がウソのような、ちっとも揺れない穏やかな航海だった。
中途半端に追い出される形になった青ヶ島は、徐々に後方に遠ざかっていく。
ちょっと残念なキモチではあるけれど、何日も足止めを喰らう事を考えれば感謝しなければなるまい。
とにかく、「行くのも試練、帰るのも試練」と言われた青ヶ島を、無事に体験する事が出来たのだ。
それもこれも、あの宿のオッチャンのお陰である事を忘れてはならない。
あとは、ドリフの面々の幸運な帰還を祈るのみなのだ。
船が八丈島の底土港に着岸すると、我が家の3人だけの為に、フォークリフトでタラップを運んできて、5人がかりで設置してくれた。
とにかく、次々と申し訳無い事ばかりなのだ。
積んできたクルマを一台だけ降ろし、次は御蔵島を目指すのだろうか、ゆり丸はソッコーで港を出て行ってしまった。
三宅島の全島避難の解除も、そんなに遠くは無いらしい。
そうなったら、ゆり丸は再び本業に戻り、いずれ我が家が御蔵島を訪れる際に再びお世話になるに違いない。
さらば、ゆり丸。その日まで。
【追記】 05/12/9
ゆり丸という貨物船、船舶フリークの方々の間では有名な船なのだそうだ。
本来の定期船がドック入りなどの理由によって運休する際に、颯爽と登場するマボロシの代替船なのだとか。
言わば、スーパー・サブ的な船らしい。
ちょっとネット検索しただけでも、ははじま丸(父島〜母島)や還住丸といったご近所筋の助っ人だけでなく、なんと「フェリーとしま」の代わりにトカラ列島を航行した記録さえ出てくるのだ。
ワタクシは何も知らずに乗船した訳だけれど、なんとも逞しい、正義の味方のような船だったのか。
なんだか風車の矢七にでも助けられたような、爽快感すら覚える。
そして・・・・・・・
実は隠れファンも多くいるというゆり丸に、我が家だけの貸切で乗ったという事が、ちょっぴり自慢だったりするのだ。