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トロンプルイユ(2004GW・南大東島)その1

南大東島のシンボル、製糖工場

またまた、離島に行く事になってしまった。
いや、「なってしまった」と言うのはヘンかもしれない。

以前に見たニュース番組で、リストラ対象者に耐えがたい出向を命じて、自己都合退職に追い込んでしまう会社の事例が紹介されていた。
その出向先とは、「居酒屋の店員」「ペンキ塗りの作業員」などなど、本業とは全く関係の無いモノばかり。
そしてキワメツケの「沖縄の離島でサトウキビの収獲」なんてモノまであり、自分の勤務する会社じゃない事をアリガタく思ったものだ。
そんな出向を命じられた社員は、モウロウとした足取りで帰宅し、それでもカミサンには打ち明けられずに・・・・
「アラ、あなた。今日の晩酌はずいぶん呑むのね。ゴハンは?オフロは?」
「ウルサイ。もっと酒だぁ!!」
などと悪態をつきまくり、やがて泥酔状態に陥った後に、
「実は・・・・・離島に行く事になってしまった・・・」
なんて感じで、すでにロレツが回らなくなった舌で、遂に告白を・・・・・
まあ、こんな時こそ使うべきセリフなのだろう。

それに対し、コチラは子連れの家族旅行で、もちろん本人が望んで離島を目指すのである。
実際に、出発前からワタクシも朱蘭さまもワクワクドキドキ状態だったし、オコチャマだって
「ヒコーキ、のるのぉ」
などとハシャぐ有様で、言わば家族全員が胸を弾ませての渡航なのだ。
もっとも、2歳のオコチャマがどれだけ事態を理解しているかは懐疑的だったりする。

それではなぜ「行く事になってしまった」と言わねばならないのか。
どれだけ楽しみな行き先とは言え、イロイロとココロガマエが必要なのが、辺境の離島なのだ。
これまでオコチャマ連れでチャレンジしてきた西表島、飛島、父島、母島に於いては、もちろん楽しかった反面、離島ならではの様々な苦労も存在した。
今回目指す孤島は、カイドブック的なデータからしても、これらの島を凌ぐ辺境さが想像されるのだ。

・宿は3軒のみ。
・船は4日に一便。
・船が接岸できる港は無く、人も荷物もクレーンで釣られての上陸。
・飛行機は、プロペラ機が一日に一便。
・島内の公共交通機関は何も無い。

ざっと、こんなアリサマだったりする。
しかし、
「ソレがイヤなら行くな!!」
なんて言われても困る。
それらをガマンしてでも行きたいと言うよりも、それらも楽しみだからこそ行くのだ。
楽しみには違いないのだけれど、やはりイロイロな困難にも直面するであろう不安も入り混じっての
「行く事になってしまった」
なのである。
似たような例を示すと・・・・・・・・
そう。マリッジブルーみたいなモノなのだ。

そうとうムリなタトエで締めた所で、とにかく、南大東島を目指すのだ!!!
(ちなみに、冒頭で紹介した会社の「サトウキビの収獲」の出向先は、この南大東島だったりする)


デハビラント機。定員は39人 那覇発のデハビラント機は40人にも満たない乗客を乗せて、
「それでも満員なんだよう」
などと叫ぶように、ブルンブルンと喘ぎながら南大東島を目指す。
なにしろ、このチンチクリンな飛行機、那覇空港ではナメられたようなハジッコに停めさせられていて、搭乗デッキからはバスで飛行機まで運ばれたのだけれど・・・・・・
一台のバスに全員がユッタリと乗れるほどだったのだから、乗車定員はバスにさえ負けている事になる。
なんたって、定員は39人なのだ。
まるで一昔前の特急列車のように、4人が迎え合わせになった席まである。
それでもきちんとスッチーが一人乗っていて、アメ玉くらいは配ってくれるからアリガタい。

さて、そんな調子で飛行する事1時間あまり・・・・・
眼下に、ソラマメのような形の南大東島の姿が、黒々と見えてきた。
その北側、僅か8Km先には北大東島があるハズなのだけれど、反対側の窓なので眺める事は出来ない。
とにかく当面の相手である南大東島に集中し、バカのように口を半開きにして窓越しにその姿を目で追うと・・・・
徐々に島の姿がハッキリと見えてくるにつれ、半開きの口が全開になっていった。
想像していた南大東島と、全然違う姿なのだ。

上空から見た南大東島は、その殆どが青々とした畑に見えた。
なにしろ、サトウキビの収獲に出向させられる程の島だし、さすがに西表島のような全面山岳ジャングルの島などとは思ってはいなかったけれど、それにしても開発され過ぎている。
離島ならではの未開の自然を楽しもうって期待は、いったいどうしてくれるのだ!!


妙に新しい、南大東空港 空港のターミナルビルは妙に真新しく、石垣空港よりもリッパに見える。
もちろん、所詮は39人乗りの飛行機が一日一便しか来ない空港なので、その規模は勝負にならない。
そんなコジンマリとしたターミナルのフロアのド真中に仁王立ちになっていた色黒のオッチャンが、コチラにむかってニッコリと微笑む。
「オツカレさま。外にクルマが停まってるから、テキトーに乗ってて」
予約している宿の送迎のオッチャンらしい。
我が家がオコチャマ連れなので、すぐに判ったのだろう。
他に3人ほどの客と、なぜか送迎車が来ていない他の宿の客を一人、そしてクロネコヤマトの荷物を数個ほど積み込んで、色黒オッチャンのワンボックスカーが走り出した。

クルマは見渡す限りのサトウキビ畑の中の道をひた走る。
この時期のサトウキビは、まだ収獲期の稲くらいの背丈で、かなり遠くまで見渡せるのだ。
「あそこに見えるのが、製糖工場のエントツだぁ」
色黒オッチャンが指し示した遥か前方に、デーンとひときわ目立った煙突が見える。
この島の基幹産業は砂糖の製造であり、島の面積の半分近くは、その原料となるサトウキビの畑だそうだ。
そしてその全てのサトウキビを集める製糖工場は、まさにこの島の心臓部であるとも言える。

製糖工場があるのは在所という集落で、そこは村役場、消防署、郵便局や農協などの公共機関が一極集中していて、島の首都のような場所なのだ。
全て、といっても3軒の宿もソコの集落にあり、後に島の散策に出たときも、煙突を目印に帰ってくれば迷子にはならない。
まさに、名実共に島のシンボルでもある煙突なのだ。

「ちょっと寄り道するからねぇ」
色黒オッチャンは、幹線道路から脇道に入り込む。
どうやらクロネコヤマトの下請けもやっていて、空港で積み込んだ荷物を配達するらしいのだ。
やがて、サトウキビ畑に囲まれた一軒家の庭先にクルマが止まった。
荷物を抱えて玄関に向かう色黒オッチャンの背中を眺めながら、ワタクシは少しウロタエ始めていた。

空港からココに至る間、目に入るものはサトウキビの畑ばかり。
しかも、縦横無尽に道路が整備された、それはそれはゴリッパな大規模農業地帯なのだ。
そんな道を大型トラクターが行き交い、いわゆる離島っぽさが全く感じられない。
この広々とした光景は、それはそれで見応えのあるのだけれど・・・・・・・
これならば、何のために沖縄くんだりまで来たのだろうか。

程なく、色黒オッチャンがサワヤカに戻ってきた。
「おまちどう。じゃあ、宿に向かうからねぇ」
ワタクシは、そんなオッチャンに無言で笑みを返しながらも、
「コレは、ちょっと困った事になったぞ・・・」
などと考え始めていたのだ。


十勝平野のような爆(ハグ)の中 沖縄本島から360kmも離れ、疑いの余地も無く太平洋上の孤島である南大東島。
それなのに、目隠しされて連れて来られたら
「ココは大陸だよぉ」
などとウソをつかれたほうが信じてしまいそうだ。
それには、この島の地形が大きく影響しているのだ。
サンゴの環礁が隆起して出来た島だそうなのだけれど、そういうコムツカシい事は専門書などを参照して頂くとして・・・・・
見たまんまを説明すると、基本的に島は真っ平で、島のフチドリだけが帯状の小高い丘となっている。
なんだかカルデラのような地形で、出前の寿司桶というか、パイの土台の部分というか、そんな形の島なのだ。
外壁のように島を一周する丘は『幕(はぐ)』と呼ばれ、それに囲まれた真っ平の平原部分は『幕下(はぐした)』と呼ばれる。
幕下の中央部には大小の池が点在し、そして残った部分は殆どがサトウキビ畑に覆い尽くされているのだ。

幕下からは『幕(はぐ)』に視界を遮られて海を見る事は出来ず、それがココを島だと感じさせてくれない正体だったりする。
島じゃないどころか、サトウキビ畑をトウモロコシ畑だという想定で景色を見れば、あ〜らフシギでココが北海道あたりに思えてしまうからオドロキなのだ。
見渡す限りの大平原が遥か先の緑の丘まで広がり、その丘を越えれば更に次の平原が延々と続き・・・・・・
そうなったら正真正銘の十勝平野なのだけれど、ココの場合はそうはいかない。
東西南北、どの方角に進んだとしても・・・・・
最初の丘を越えると、ソコは断崖絶壁となって海に落ちるのだ。


海は全く見えません やがて、クルマは宿に到着した。
その周囲は住宅、商店、食堂、そして飲み屋街・・・・・・・
さすがに大都会とは呼べないけれど、イナカの集落の繁華街と言うのならば十分なカンロクがある。
これならば、メシを食いっぱぐれたりモノを買えなかったりといった心配は無用なのだけれど・・・・
ここで、機内から島を見下ろした時の口アングリ、そして空港からのクルマで感じたウロタエ、それらが決定的な失望感に発展してしまった。
翌日と翌々日、朱蘭さまはダイビングに行く事になっていて、ワタクシはオコチャマと一緒に島を探検するツモリだったのだ。
別に有名観光スポットなんか無くたって、手付かずの自然の中で海でも眺めたりしてれば離島気分を満喫できるに違いなく、それは最高のルービのツマミになるハズだったのだ。
それなのに、この現状はどうしてくれる!
宿の窓から海が見えれば最高なのだけれど、なにしろ宿の選択の余地は殆ど無かった事だし、そこまでゼイタクを言うツモリは無いけれど・・・・・・・
しかし、部屋からの眺めは隣の民家ってのは余りにも興ざめではないか。
ココから一番近い海までは、片道2kmは歩いてハグを乗り越えなければならず、バスもタクシーも存在しないから、オコチャマ連れでフラリとオサンポって訳にもいかない。
こんな住宅地の真っ只中で、何が出来ると言うのだ!

そうか、この島に観光を求めてはダメだったのかも知れない。
リッパな基幹産業を抱えているので、観光客に期待しなくたって十分に成り立っているのだろう。
それは、この飲み屋街を例に考えれば理解できる。
一日39人だけの飛行機の客が全員観光客だったとしても、それでこれだけの飲み屋街を支えられる訳が無い。
島民による、島民の為の飲み屋街であることに間違いは無く、まさに自立した生活基盤だけの島だったのだ。
もちろん、オオゲサな観光施設を作れなんて言っている訳ではない。
この島にはこの島なりの実情があり、ただ単に、ワタクシが勝手に抱いていた期待と違っていただけなのだ。
ああ、なんで南大東島などを選んでしまったのだろうか。


シーサーと言うより狛犬 この島の沖縄っぽさは乏しい。
南大東島に人が定住したのは明治以降で、八丈島からの移住者が開拓し、島を『原材料込みの製糖工場』とでも言うべき姿に作り上げたらしい。
その八丈島文化と、後に沖縄からの移住者が持ち込んだ文化とがチャンポンになり、沖縄本島とは異なった文化を築いたとの事である。
その為か、沖縄独特の文化であるシーサーも、どちらかと言うと神社の狛犬風なのだ。
しかし
「ホントは沖縄なんだからね!! 安心して!!」
とでも言いたげに、宿の夕食にはゴーヤチャンプルなどが並んだ。
その食堂は宿の最上階にあり、窓の外からは延々と広がる幕下が一望できた。
そんな光景を眺めながらオリオンの生ビールをグビグビやっていると、なんだかシミジミとキモチが良い。
それでも、なんだかココロは晴れなかった。
開拓され尽くしたこの島で、3日間、いったい何をやって過ごせばいいのだろうか・・・・

しかし・・・・・
しかししかし!!!
確かに、想像とは違う島だという事は間違い無いのだけれど・・・・・
この失望はハヤトチリであり、実は何とも楽しく、そして極めて好ましい島である事は、翌日以降に思い知らされる事となった。

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