オコチャマと手を繋ぎ、いよいよ歩き始める。
とは言え周りはフツーの住宅地で、なんだか群馬あたりの田舎町を散歩している気分だったりする。
しかし、よくよく見ると・・・・・
民家の屋根の雨どいがそれぞれの庭先の巨大なタンクに繋がれていて、雨水を利用している事に気がつき、
「おおっ!!離島っぽい!」
などと、ついつい声を出して喜んだりしているうちに、『ふるさと分化センター』なる所に辿り着く。
そこには、SL、貨車、ディーゼル機関車などが展示されていた。
かつて、この島には鉄道が存在していたのだ。
サトウキビを製糖工場に運ぶ目的で縦横無尽に線路が敷かれ、シュガートレインと呼ばれていたらしい。
以前、「日本の鉄道の最南端」などど紹介されているのを聞いた事はあるのだけれど、昭和58年に全廃されたとの事で、今やその痕跡が鉄道ファンや廃墟系マニアにウケているそうだ。
SLは、後に復元したハリボテっぽいけれど、こんなチンケな客車がトコトコと島を走っていたなんて想像するのも楽しいではないか。
乗り物好きの我がオコチャマも興味深々と眺めていたりするけれど、コイツには遊園地の汽車ポッポとの違いも判るまい。
文化センターから先は、サトウキビ畑の中の一本道となる。
前方の幕(ハグ)に向かい、道路と平行した遊歩道を延々と歩くのだけれど・・・・・
だいたいオコチャマってのは、体力的な限界よりも先に、歩く事に飽きてしまってダダをコネるのが常なのだそうだ。
そうはさせじとオトォチャンは、
「こんど座れる場所があったら、ジュー(ジュースの意味)にしようね」
などとゴキゲンを伺ったり、遊歩道に散乱している街路樹から落ちた実(梅?)でサッカーのマネゴトをさせたり、とにかく忙しい割には距離が伸びない。
そんな感じでノタノタと前進しているうちに、この遊歩道のヒミツに気がついてしまった。
どうやらこの遊歩道は、シュガートレインの線路痕っぽいのだ。
それには、やっと幕(ハグ)のフチに近付き、道路が徐々に登り坂になった時に気がついた。
車道の登り坂よりもずっと手前から、遊歩道はダラダラと先に登り始めているのだ。
レールなどの物的証拠は無いけれど、状況的には間違い無い。
「ココを、さっき見たあの貨車が走っていたのか」
などと考えると嬉しくなり、オトォチャンの足取りも軽くなった矢先・・・・・
幕(ハグ)のテッペン部分を周回する道との交差点に辿り着けば、どうやらここは塩屋という場所らしい。
なんてこったい!
どうやら完全に道を間違えていた事が判明してしまった。
目的地の日の丸山を目指す道とは、ほとんど90度近くズレた方角に進んでいたのだ。
ここから正規のルートに戻るには、幕(ハグ)の上を2Kmほど余計に歩かなくてはならず、オコチャマへのダメージも大きかろう。
「まいったなぁ・・・・」
オトォチャンのシクジリを察知した訳は無いのだけれど、ここでオコチャマが座り込んでしまった。
宿を出てから2Km程の地点だった。
日の丸山を諦めて宿に帰るにしても、当然ながら2Kmの道を戻らねばならない。
でも大丈夫。
こんな事もあろうかと、登山用のオコチャマ背負子を用意していたのだ。
あらかじめ家でオコチャマを乗せてみた時は、何が気に入らないのか拒絶反応を示したオコチャマだったけれど、
「歩くよりはマシ」
と思ったのだろうか、おとなしく背負われてくれたのでアリガタイ。
どうせ寝ちまうんだろう。ケッ。
どっちにしろオトォチャンが背負って歩くならば、このまま帰るのは勿体無い。
この塩屋の海岸にある、海水プールに行ってみる事にする。
プールといってもフツーのプールではなく、波打ち際の岩礁を繰り抜いて作られた人工の潮溜まりで、波に打ち上げられた魚やエビなんかも泳いでいるらしい、なんともワイルドなプールらしいのだ。
周囲が全て断崖絶壁でビーチなんかは存在しないこの島では、このようなプールがココと海軍棒という所の2箇所に存在する。
その塩屋のプールまでは700m。
オコチャマを背負って樹林帯の中の細い道を下ると、ほどなく海が見えてきた。
南大東島に上陸して以来、初めて見る海だ。
それにコーフンしたのか、自分で歩くと言うオコチャマ。
オトォチャンも嬉しいよう!
道は更に急坂となり、駆け下りるように辿り着いてみれば、これまたフシギなプールだった。
キレイな長方形ではなく、自然に出来た地形だと言われれば信じてしまいそうな、イビツでゴツゴツした潮溜まりなのだ。
数名ほどの先客は、まるで『名物!海岸温泉』といったフンイキで、目を細めて静かに漬かっている。
そんなニンゲン様と一緒に魚なんかがウヨウヨとしているのだけれど、さすがにコチラは目を見開いて、なんとか逃げ出そうと忙しなく泳いでいる。
そしてドドォンと波が打ち寄せるたびに海水が出入りし、ラッキーな魚はお帰りあそばしているのだ。
ある意味、ビーチよりもオモシロ珍しいのだけれど、さすがにビーチと違って思う存分に泳げる訳ではない。
しかし、この島の特徴はビーチが無いというだけでは済まない。
海は断崖絶壁の海岸線からイキナリ深くなっているので防波堤が作れず、それなりの入江も無い為に、接岸した船に直接乗り降り出来る港さえ無いのだ。
那覇から来る旅客船は、北港、西港、そして南側の亀池港の3つの港のうち、その日の風向きを考えて波が一番マシな港に到着する。
しかし、防波堤が無いから船は波で上下に揺られてしまい、岸壁と船との間をタラップとか渡し板によって結ぶ事が出来ない。
そこで、クレーンが登場する。
人も荷物も大きなトリカゴのようなモノに乗せられ、クレーンに吊られて宙ぶらりんの状態で海を渡り、海面から異常に高い位置にある岸壁と船の間を行き来する事になるのだ。
このクレーン宙吊り式の乗下船は南北大東島の名物の一つになっていて、出来る事なら経験してみたかったのだけれど、那覇から船便で来るには時間が掛かりすぎてしまう。
「せめて見るだけでも」という期待もあったのだけれど・・・・・・
船が来るのは4日に一便で、我が家の滞在期間とは見事に外れてしまったのだから仕方が無い。
漁船の発着する南大東漁港は少し事情が違って、ムリヤリに島を削って作った人口の入江がある。
そこでも異常に高い岸壁からクレーンのお世話になるのは同じで、コチラは漁船自体が吊り上げられてしまう。
海に出ていない漁船は、岸壁の上に並べ置かれるか、トラックで漁師の自宅までオモチカエリなのだ。
ダイビングに行った朱蘭さまは、この漁港から船ごと宙吊りコースで海に出たハズだ。
なんたってカノジョは、
「南大東島で楽しみなダイビングポイント? どんなポイントよりも、船の宙吊りが一番楽しみ!」
なんてホザいていたので、すでに海に潜る前に念願が叶った事になる。
これはなんとも悔しいではないか。
結局、帰り道も自力で歩ききったオコチャマと、宿の前の食堂で大東ソバのヒルメシを食う。
この大東ソバが、妙にンマいのだ。
フンイキは沖縄ソバと似ているけれど、麺は沖縄ソバよりも太く、歯応えがスバラシい。
なんでも、カンスイの変わりに熱帯植物を燃やした灰を用いているのが特徴なのだそうだ。
そうすれば、何がどのような作用でンマくなるかは知らないけれど、とにかく美味いのだから異論は無い。
また、大東寿司というのもあり、これは小笠原で食べた島寿司と同じく、ヅケをカラシで食べる握り寿司で、コレもまたンマいのだから仕方が無い。
しかしさすがに疲れたのか、オコチャマはメシの途中で爆睡体勢に入ってしまった。
2歳児ながら、よくぞ頑張ったものだ。
宿に戻ってフトンに転がし、オコチャマの寝顔を眺めながら過ごす。
この時点ですでに、前夜までのワダカマリはブッ飛んでしまっていた。
南大東島は、なんとも楽しい島だったのだ。
半日ほど歩いてみて、確かに離島感覚に乏しい事は間違いなかったけれど、その代わりにいわゆる「南大東感覚」と言うべきモノが満ち溢れていて、これは他では絶対に味わえない。
探検とは、未開の大自然だけが相手ではないのだ。
いや、そうでなければ探検とは言わないのであれば、それはそれで良い。
とにかく、満足できれば何だっていいのだ。
と言う訳で・・・・・・・・・
オヒルネ小僧、目が覚めたら、もっともっと歩くからな!!
オコチャマが目覚めたのは午後3時。
まだまだ! これから午後の部だ!!
島の中央部に点在する池の一つの、朝日池を目指すのだ。
と言うのも、ガイドブックによると、この池の南側にシュガートレインの線路が残っているらしい。
なんだか、ソレを見たくなっってしまった。
線路が残っている場所の記載は明確ではなかったけれど、とにかく朝日池を目指す途中・・・・・・
製糖工場の北側で、小さな川を越える鉄橋らしきモノの残骸を発見した。
近くにレールの切れ端も転がっていたので間違いではあるまい。
この鉄橋の延長線上に、問題の線路が存在するに違い無い。
出だしは好調だ!!進めぇ!!
ところが・・・・・
朝日池の南側は途方も無く広がったサトウキビ畑で、その中を徘徊すれども線路を発見できない。
畑を貫く未舗装の小道があって、先ほどの鉄橋痕の位置から推測すれば、ココをシュガートレインが走っていたハズなのだけれど・・・・・
肝心の線路が残っていないのだ。
宿を出てから一時間ほど右往左往するうちに、朱蘭さまからデンワが入る。
今日のダイビングは終り、これから父子に合流すると言うのだ。
使えるオトォチャンだとアピールする為に、合流前に手がかり位は掴んでおきたい。
道端にオコチャマを座らせて一休みしている目の前を行き交う大小のトラクターは、ヨソモノの我々に対しても、必ずと言っていいほど挨拶してくれる。
それならば、挨拶がてらに聞いてみようではないか。
やってきた中型トラクターのオッチャンに会釈し、声を掛けてみる
「すいませぇん」
クルマと違ってタラタラした速度なので、声が聞こえてからのノンビリしたブレーキ操作で止まってくれた。
「どうしたの?」
「実は、シュガートレインの線路を探しているんですが」
「ああ、どんどん撤去しちゃってるからなあ。まだ残ってる所はあるけれど」
「その場所を教えてもらえませんか?」
「その子を連れて行くんかい? ちょっと遠ぉいいよぉ」
「ダイジョーブです」
「そうか。じゃあ、ソコを真っ直ぐ行って突き当たりを左に曲がって、次のT字路を右に曲がって真っ直ぐだ」
オッチャンに聞いた道を朱蘭さまにデンワで伝え、オコチャマと先に行く事にする。
シャワーを浴びてから追いかけるとの事だけれど、コッチはオコチャマ速度なので、すぐに追いつかれるハズだ。
とにかく真っ直ぐな道なので、すぐに後姿を発見できるだろう。
行けども行けども景色が変わらない直線道路を突き進む。
いや、突き進むなんて勇ましい前進ではなく、オコチャマを飽きさせない為に歌を歌いながらのタラタラ行進なのだ。
木陰で休んでオコチャマにジュースを与える。
すでに朝日池は遥か後方に消え去り、ガイドブックに紹介されていた場所とは全く違うらしい。
でも、線路痕の有無とは無関係に・・・・・・・・
サトウキビ畑を渡っていく風を眺めていると、ドコを何の為に歩いているんだか訳が判らなくなったりして楽しくなる。
その休憩中にデンワで確認すると、朱蘭さまは500mくらい後方まで迫ってきた様子だ。
それならば、まもなく合流できるかな・・・・・
などと思いながら、再び歩き出した矢先だった。
後方から走って来た一台のクルマが、我々父子の進路を遮るように止まった。
「ボーズ、ずいぶん歩いたなぁ」
「あっ、さっきのトラクターの・・・・」
そうなのだ。
さきほど道を教えてくれたトラクターのオッチャンが、クルマに乗り換えて追いかけて来たのだ。
「トラクターじゃ乗せてやれないからよう」
「そ・そんな、わざわざ・・・・」
「ホレッ、早く乗れ!」
実は500mくらい後にカミサンが・・・・
なんてコトを言うとヤヤコシくなりそうなので、父子だけでお世話になる事にする。
うーむ、さすがにクルマは早い。
なぜだかヨソのクルマに乗るのが大好きな我がオコチャマは、やっぱり大喜びだったりするのだけれど・・・・・・
実際には見えない朱蘭さまの歩行の映像が、なんだかヒュゥゥンとかいうアリキタリな音をたてて小さくなっていく気配を感じ、無性に申し訳無いのだ。
それだけに、
「左に曲がって、右に曲がって、真っ直ぐ」
と聞いていた道順の、その一つ一つの間隔が異常に長く感じられ・・・・・
まるで手持ちが少ない時に乗ってしまったタクシーのように、
「早くつけ!早くつけ!」
などとココロの中で念じるしかない。
「ココだよう。これっぽっちしか残ってないけれど・・・・・」
もともとは、道路と線路が直角に交差するフミキリだったのであろう。
フミキリ部分は道路のアスファルトに埋め込まれ、その片側にだけ線路が残っていた。
その線路の長さは20m足らずで、そこから先は鉄道の敷地と同じ幅の細長い林の帯が続いていた。
「線路の痕に防風林を植えた訳だ。こんなに育っちゃって、もう線路だったなんて判んないけどな」
なぜ、線路をこれっぽっちだけ残したのだろうか。
残っていた線路は、ジャリ敷きに枕木といった造りではなく、レール自体がコンクリ固定だった。
レール幅は80cm足らずしかなく、たった20m程度しか残っていない事もあり、まるで工場などの手動式のスライド門のレールにしか見えない。
しかし、とにかく線路痕を見ることが出来た。
やっとの事で追いついてきた朱蘭さまと合流した頃には、オコチャマもすっかり元気一杯に回復していた。
今日だけでも自力で6Kmは歩いたオコチャマを労う為に、ゴホービを与えなければならない。
それは・・・・・・
気がつけば、目の前の幕(ハグ)の上に、日の丸山の展望台が見える。
午前中にオトォチャンのミスで行けなかった場所に、連れて行ってさしあげようというゴホービなのだ。
もちろん歩きで。
「ココから日の丸山まで2Km、そこから宿まで3Km、そうすれば一日10Kmの大台を越えるぞぉ!」
オコチャマをその気にさせながら、進路を南に突き進む。
もっとも、その気になるほどの言語理解能力などは持ち合わせちゃいないけれど、とにかくタクマシく育つのだよ。
しばらく歩くと、別の線路痕に遭遇した。
コチラはフミキリがそのまま残ったような状態で、部分的ながらも道路のアスファルトをキッチリと二本のレールで切り裂いている。
先ほどの線路痕よりはソレっぽいけれど、ここから左右に続いていたであろう線路の両端はヤブに包まれ、
「今にも列車が走ってきそうなフンイキ!」
なんて事は、お世辞にも言えない。
でも、それでいいのだ。
放置するなり撤去するなりは島民の都合に合わせれば良く、コギレイに保存する必要は無い。
小笠原諸島はアドベンチャーを楽しむ為の島であり、島の文化もソレを基幹として成り立っていた。
だからこそ、特に母島の場合は「カラダを動かすのはイヤ!」なんて人は、決して訪れてはいけない。
南国リゾートを楽しむならば、沖縄本島あたりのコギレイなビーチで寝転んでれば良く、せいぜいムダ毛のお手入れさえ気にすればシヤワセに過ごせるだろう。
そして・・・・
この島についてはワタクシも誤解をしていたけれど、上記のどちらも求めてはいけなかったのだ。
島民の、島民による、島民の為に存在する南大東島の文化を、キマグレな旅行者は黙って受け入れれば良い。
ソレを素晴らしいと思える者だけが、39分の1の席を確保する資格があったのだ。
幕(ハグ)への登りに差し掛かったあたりで、オコチャマはダッコ要求をして座り込んでしまった。
まあ、これだけ歩けば合格点で、オトォチャンがオンブするのは問題ないのだけれど・・・・
やはり、オカァチャンが一緒だと甘ったれて、クジケが早いような気もする。
オコチャマをオンブしても、標高50m程度なので、アッというまに幕(ハグ)の稜線上にでる。
この稜線から海岸線までの地域は『幕上(ハグエ)』と呼ばれ、殆どが未開の地なのだ。
海側は、ナダラカな丘と熱帯雨林のジャングルに隠されて、直接海は見えない。
やがて「日の丸山」のカンバンと共に、コンクリ造りで高さ15mほどの展望台が現れた。
なぜだか階段が好きなオコチャマが復活し、自力で階段を駆け上ると・・・・・
標高差の分だけ宿の食堂からの眺めよりも、輪を掛けて広大な十勝平野の光景が広がっていた。
そこからは確かに、それなりに気をつけないと海は見えず、海に浮かんでいない北大東島が見えた。
この展望台は島の南側の幕(ハグ)の上で、ちょうど島を横切った北側の幕(ハグ)の上に乗っかるように、北大東島の丘の部分だけが見えているのだ。
それはまるで、遠くに望んだ大雪山系か雌阿寒岳かといった風情で、ますます十勝平野を彷彿してしまうのだけれど・・・・・・・
イケンイケン!! ソレではダメだ。
ココは南大東島なのだ。
散々「島の文化」などとノーガキをタレたイイワケでは無いのだけれど・・・・・
北海道のコピーとして、十勝平野を望んだ経験のあるモノだけがカンドーできるような、そんな条件付きの眺めでは勿体無い。
あくまでも
「南大東島からの、北大東島の眺め」
として、ココロに刻もうではないか。