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オリオン日記(2002夏・西表島)その1

ピナイサーラの滝(西表島)

「夏と言えば北海道!!」
夏休みに遊びに行く先は、考えるまでも無く決まっていた。
モチロン北海道である。
そんな暮らしが何年か続いていた。
通い始めた当初のように、血沸き肉踊るような欲求に支配されて目指す訳でもなく、科学で解明できないフシギな力にいざなわれるなんて訳でもなく、恒例と言うべきか、惰性と言うべきか、とにかく深く考えなくとも北海道だったのだ。
でも、行ったら行ったで楽しいのだからそれで良かったのだが・・・・
とある夏、シンガポール出張に夏休みをもぎ取られた。
その次の年は、オコチャマの誕生によって身動きが取れなかった。
そして今年。
よぉしっ!!今度こそは遊びに行ける夏休みだぞぉ!!
行ったるでぇ!!
ってな訳で、気合を入れてお出かけなのだ。
もちろん行き先は北海道!!
では無くて、南国沖縄の西表島。
なぜって?
まぁ、人生はイロイロなのだ。

旅行会社のパンフレットを眺めると、西表島へ行くにはツアーが断然安い。
でも我が家は、航空券から宿から、モロモロ全てバラバラ手配で挑む事にしたのだ。
ツアーだって島内は終日フリーなので、見知らぬオトッツァンやオバハンらと行動するのは西表島までの往復だけで、決して団体行動を強要される訳ではない。
それでもツアーでは無く、超割高な個人手配にしたのは、それなりの理由があった。
夏に沖縄に行こうとすると、断然気になるのは台風である。
行けなかったり帰って来れなくなったりなんてのはヒサンながらも珍しいケースでは無さそうだ。
もちろんこれは、ツアーであっても無くても同じ運命である。
そんな悪魔のような台風でさえ、不意打ちをするほど卑怯ではない。
「オラオラァ!!おまえら、諦めろぉ!!」
とでも言いたげに、じわりじわりと、ひまわりの画像の中を陰湿に這い寄りながら、ココロの準備をする時間を与えてくれるではないか。
それに引き換え・・・・
我が家の、いや、我が家に限らず一歳を過ぎたばかりのオコチャマ突発熱は、全くの不意打ちなのだ。
ニコニコ元気にしているからって安心してたら大間違いで、何の前触れも無く40度近い熱を出しやがり、オトォチャンオカァチャンの予定を全てブチ壊してくれるのだ。
「すまないねぇ、ゴホゴホ・・・」
などと弱々しく横たわったりしてれば同情の余地もあるのに、そんな状態でも元気一杯に振舞ったりしてるから癪に障る。
ってな訳で、出発当日にゲロ熱でも出された日にゃ、ツアーだったら一巻の終りとなってしまう。
高額なキャンセル料をとられるか、ヘタしたら全額没収である。
それよりはリスクが小さい、個人手配にしたのだった。
まぁ、どっちにしろ行けなくなっちゃう事には変わりないけれど。



8/10(土)

な・何と言う事だ。
西表を目指すのは明日だというのに、我が家のオコチャマったら、朝に計った熱が39.2度。
長々とノーガキを垂れたとおりの展開になってしまった。
「ツアーにしなくて良かったね」
などと、手に手をとりあって喜んでるバヤイではない。
意地でも西表島を目指さねばなるまい。
その為には、何とか熱を下げねば・・・
ソッコーで医者に連れて行くも、診断は聞くまでもなく「風邪」。

「じゃぁ、クスリは二日分出しとくから。三日後に来るように。お大事にね。」
「あのぉ、実は・・・・」
「ヒコーキで旅行?冗談じゃない。クスリを余分によこせって?ダメ。診断もしないでクスリを出せるか。あくまでもウチで今日出せるのは二日分だけ。そりでも行くんなら、行った先の医者に出してもらえ」

果たして、西表に小児科なんてあるのだろうか。



8/11(日)

オコチャマは、奇跡の37.5度。
保育園でもギリギリ預かってくれる体温ではないか!!
こりは行くしかない!!

何しろオコチャマ連れの旅なのだ。
一部は既に宅急便で宿に送ったとは言え、それでも何だかんだで馬鹿みたいに荷物が多い。
最大のコワレモノな荷物は、オコチャマ本人だったりする。
そんなものをエッチラオッチラと担いでの乗り換えはツラ過ぎるので、リムジンバスで一気に羽田を目指す作戦をとる。
しかし、渋滞のリスクが恐怖である。
バスの窓から我が家が乗るべき飛行機を見送る事は避けたい。
そんな訳で、ムチャクチャ早く家を出る。

リムジンバスが発着する駅を目指し、そこまで行くフツーの路線バスに乗りこむと・・・・
おおっ、同じような家族構成の先客が、デカ荷物を抱え込んで乗っている。
しかも二組も。
コイツらも羽田を目指すに違いない。
こりはヤバい。
なぜヤバいって?そりは・・・
本日は、各航空会社も軒並み満席であるというお出かけピーク日なのだ。
乗ろうとしてるリムジンバスの路線は『予約は受け付けない早い者勝ち』のローカル路線で、しかも我が家が乗り込む駅が始発ではない。
満席で積み残されて、地下鉄・モノレールを大荷物で駆け抜けるのはゴメンである。
せっかくの早起きも勿体無い。

フツーの路線バスを降りた3家族は、一目散にリムジン乗り場を目指す。
スタートダッシュに成功した家族Aは、どうやらリムジンの乗り場を把握していなかったらしく、あらぬ方向へ消えていく。
そして家族Bと家族C(我が家)のマッチレースとなり、さすがに大人気なく走り出したりしないものの、お互いに不自然な早足でベビーカーをグイグイと押しまくる。
タッチの差で家族C(我が家)、そして家族B、散々迷って家族Aの順で到着するも、トップの我が家でさえ列の6番目。
果たして乗れるのだろうか。
家族A、B、C揃って、地下鉄・モノレール乗り換え延長戦に突入なのか。
何のことは無かった。
全員がアッサリと乗車出来たのだ。
こんな稼ぎ時に積み残しを出すほどバス会社はアホでは無く、きちんと増便されていたのだ。
アホなのは、見苦しくマッチレースを演じた家族ABC(もちろん我が家も含む)のほうだったのだ。

もう一つの懸念事項であった渋滞も無く、ムチャクチャ早く羽田空港についてしまった。
予定しているJAL那覇行きは午後一時過ぎであり、それは二時間近くも先の事なのだ。
西表島には空港が無いため、西表島に行くには石垣島まで飛んでいって、そこから船で渡る事になる。
その石垣島への羽田からの直行便は少なく、予約が出遅れた我が家は羽田→那覇→石垣島といった乗換え便であり、しかも、我が家が予約できた便では西表行きの最終の船には間に合わずに、石垣島での宿泊を余儀なくされていたのだった。
とりあえず、羽田でメシでも食ってウダウダと・・・
ところが、ふと見上げた電光掲示板には、なんと一本前のANA那覇行きに『空席あり』の表示が出ている。
我が家が予約した段階では満席だったハズの便なのに。
当日キャンセルでも出たのだろうか。
「こりは乗るしか無い!!」
とにかく、このチャンスを逃がす手は無い。
最も、このANA那覇行きに乗ったところで、そのまま早く石垣島に到着出来るとは限らない。
那覇から先にもナゾの空席が発生していない限り、結局は那覇で、もともと予約している石垣島行きを待つ事になる。
しかし、どうせ時間をつぶすなら、羽田より那覇のほうがキモチ良さそうだったりする。
なぜかって、そりゃ決まってるのだ。
トーキョーよりもオキナワ、チンケな羽田定食よりも沖縄ソーキそば、スーパードライよりもオリオン!!!
オリオンってのは言うまでも無くルービの名称、沖縄限定のルービなのだ。
「北海道ならクラシック、沖縄ならオリオン」
他のルービと厳密な比較検討を行った上での結果ではないが、こういうモノはイメージも大切なのだ。
とにかく、今回は沖縄なのでオリオンを堪能するのがイチバンなのだ。

羽田空港


ソッコーで変更手続きを済ませてANAに乗り込み、いざ沖縄に。
二時間ほどのフライトの最中、これまた懸念されたオコチャマ退屈大騒ぎはナイスタイミングなオヒルネで回避され、何の苦も無く那覇空港に到着すれば、待ってましたのオリオン・・・・
といったココロの叫びをグッと堪えて、まずは石垣行きの便の空き具合をチェックしなければならない。
乗り換えカウンターに駆け込めば、案の定、石垣行きにも一本前に空席があったのだ。
当初、
「もし那覇空港で時間が空いちゃうなら、市内に繰り出して、小粋な店でンマいモノを・・・・」
などと考えていたのだけれど、先に行けるのならばそれに越した事は無い。
空港にだってオリオンはある。
チンケながらもソーキそばだって。
本格的なのは、これからイヤって程食えるのだ。
たぶん。

もう十年以上っぷりに降り立った那覇空港は、妙に小奇麗で近代的な姿に生まれ変わっていた。
シャレた感じで沖縄っぽくないターミナルビルの中で、何のキャンペーンだか知らないけれど、沖縄民謡と踊りのデモンストレーションが行われている。
賑やか華やかなその光景は妙に空々しく、なんだか沖縄に来たって気がしない。
「まさかここは関空では無いか?通天閣を探せ!!」
などとボケてるバヤイではなく、空港内の立ち食いそば風の店で、いよいよソーキそば。
う〜む、ソバというよりもラーメンに近い。
それもトンコツの。
「まあ、とにかく沖縄へのお約束的第一歩をしるしたぞぉ。オリオン、おかわりぃ!!」
などとジョッキを傾けソバをすすれば良い気分。
ハイサホイサと聞こえてくるヤラセ踊りの民謡も好ましく聞こえてきたりする。
んもぉなんでもかんでもワクワクなのだ。


飛行機にしては大した距離ではないので、あっというまに石垣空港に。
八重山地方の中心的空港とは言え、は那覇空港とは大違いのチンケさで、あちこちに停まってるコミューター便の小型プロペラ機が良く似合う。
今はあまり見かけなくなったタラップ車で飛行機を降り、歩いて平屋のターミナルビルに向かうあたりは、モルジブの空港と大差無いローカルさ。
ネットリと絡みつくような空気にイキナリ晒され、もう一方的に南国情緒の中に放り込まれた気分なのだ。
これがまた良いではないか。


機内のテーブルでヒルネ。このあと、スッチーに怒られた

さて、当初の予定よりも早い便で石垣島に到着してしまった為、まだまだ西表島行き最終の船に間に合う時刻だったりするけれど、今日はこれ以上先に進むツモリは無い。
今朝、沖縄行き決行を決めた時点で、石垣島の八重山荘とか言う民宿をデンワ予約していた。
オコチャマの発熱が心配なのでギリギリの予約となった訳だけれど、いまさらコレをキャンセルして西表島の宿を探すのも億劫だし、西表島に比べたら大都会である石垣で美味しいモノを楽しむ一夜だって魅力的なのだ。
西表島には、南国のキョーレツな朝の日差しを受けながら、オリャオリャと上陸するのもオツであるという事にしておこう。

思い起こせば、今朝の8時頃に八重山荘にデンワを入れた際・・・・・

「今日、オトナ二人と1歳児一人、泊まれますか?」
「はい、泊まれますよ。今はどちらから?」
「東京です。これから石垣島に向かうところです」
「あらそう。それじゃ気をつけて来てね」

なんだか日光か伊豆あたりの民宿でも予約してるような感覚だけど、実際の相手は石垣島である。
東京から沖縄のハジッコまで行くっていうのに、その日のうちに着いちゃうのだ。
「大昔なら命がけの長旅だったのに。素晴らしい」
などという感想はアタリマエすぎて、延べ数億人くらいが口にしているのかもしれないセリフだけれど、果たしてホントに素晴らしい事だと言えるのだろうか。
もちろんマジで命がけだったら、石垣島には行かないだろう。
そこまで極端じゃなく、片道3日の船旅であったとしても、一週間程度の休みでは行ける訳が無い。
そういう意味では確かに素晴らしい。
それを承知でワガママを言えば、なんか速すぎて味気ないのだ。
たとえば北海道に行くにしたって、フェリーに揺られて着いてこその到達感が嬉しい。
また、フェリーは単なる移動手段ではなく、ワクワクドキドキをサカナにした移動式宴会場としての役目もある。
帰りのフェリーだって、実社会に戻らねばならない哀愁を癒してくれる、最後のアガキ的なひとときを与えてくれるのだ。
一度だけ飛行機で帰ってきた事があったけど、いきなり即死させられたような切なさであった。
まあ、そんな事をウダウダ言っても意味が無い。
速い分だけ現地での滞在時間が長くなる事を素直に喜ぼう。


「ウチの場所?『八重山荘』ってだけ言えば大丈夫」
予約の際、八重山荘のオバチャンが誇らしげに言ってたとおり、宿の名前だけ告げるとタクシーは走り出した。
離島とは言え、4万人以上も住んでる島で、旅館の数だって何十件じゃ済まないだろう。
値段からしても高級有名民宿ではないハズなので、その場所をキッチリと知ってるとは、さすがプロの運ちゃんだ。
「アンタら、何時の便で来たの?」
「今、ついたばかりです」
「ほう、じゃあアンクか」
「アンク??」
聞けば何の事は無かった。
ANK(日本近距離航空)の事だった。
たいした意味は無いけれど、なんだかプロっぽい言い回しではないか。
しかしこの運ちゃん、肝心の運転が全然プロっぽく無かったのだ。
とにかくアブナイのだ。
左折の際にチャリのオバチャンを巻き込みそうになるし、自信満々に到着した八重山荘を20mばかりオーバーランし、
「いいからここで降りる」
と言っても、ムリにバックして縁石にガリガリとクルマをこする始末である。
そんなタクを見送りながら、朱蘭さまが呟く。
「離島の人って、運転がヘタなんだから」
どれだけ客観的な事実かは知らないけれど、今は納得するしかない。


八重山荘はコンクリ3階建てで、民宿と言うよりも保養所の様な宿だった。
バッチい事は無いけれど、八重山っぽい風情は乏しい。
まあ値段も安いし、中継地点での一泊だけだから全然OKである。
さっそく宿のチャリを借りて、市街地を回る事にする。
これがレンタチャリと言うよりも、まさにフツーのママチャリなのである。
オコチャマをおんぶして、サビたペダルをキィキィと言わせながら、まだまだ暑さ厳しい遅い午後の日差しの中を進む。
表通りは、そこいらの地方都市と何ら変わりは無いけれど、ちょっと裏に入ると、んもぉ八重山っぽさが点在している。
石垣塀、シーサー、ピーフンなどなど、なかなか良いではないか。

石垣塀は、その名のとおり、石垣で出来た塀である。
疲れ果ててバッチくなっているものが多く、なんとも好ましい。
何が好ましいって、これが必要以上にコギレイに飾られていたら、それはいわゆる『ヤラセ』ってヤツ以外の何物でもない。
「オマエら、こういうふうに作っとけば満足するんだろ?感激しやがれアリガタがりやがれ」
なんていった押し付けに涙するほど、コッチはマヌケではないのだよ。
「蔵の街だから、電話ボックスや便所まで蔵っぽくしてみました、はい。」
みたいな、そんな役人仕様は見たってしょうがない。
要は、ホンモノの情緒を楽しみたいのだ。

そういう意味では、ピーフンは感激モノであった。
ピーフンってのは(実はココに来るまで全く知識が無かったのだけれど)、門から玄関までの花道を遮るように立ちはだかる、衝立状に独立した塀の一部のようなモノである。
頻繁に襲撃してくる台風などから玄関を守る為に存在するのだと推測でき、んもぉ地域色バリバリな風情なのだ。
だって、バッチイ石垣塀の家にはバッチイ石垣のピーフン、小粋なレンガ塀の家にはレンガのピーフン、エコノミーなブロックの家には当然の様にブロックのピーフン。
洒落た現代風コンクリ打ちっ放し塀の家には言うまでも無くコンクリ打ちっ放しのピーフン・・・・・
んもぉ何の躊躇いも無く、存在してアタリマエの様に、生活に密着しているのだ。
素晴らしい!!
文化財的なモノに惑わされ、文化そのものを見失ってはイケんのじゃ。
まあ、全く個人の主観ですが、いかがでしょうか。

夜は離島桟橋近くの『磯』へ。
沖縄慣れした朱蘭さまが、つぎつぎと沖縄料理を注文してくれるので、もうただただオリオンを空けてれば良いのでラクチンなのだ。
チャンプル、ミミガーくらいしか聞いたことないモノばかりだけれど、どりも美味くて、もうオリオンでは太刀打ちできず、泡盛にて延長戦に突入せねばなるまい。
よかよか。

宿への帰り道。
まだまだちょっぴり汗ばむ位の気温ながら、それだけに夜風の気持ちよさが身にしみる。
聞けば、この夏の北海道は冷夏に見舞われてるらしい。
気分が良いので、これは北海道で凍えてる皆様にイヤガラセのイタ電をかけねばなるまい。
「どう?ソッチのキャンプの調子は。盛り上がってる?」
「寒みぃよう。シャレになんねぇよう」
「ほう、そりゃお気の毒。ところでコッチは・・・・・」
こんなのを、何人にデンワしたろうか。
それが、翌日にバチが当たるとも知らずに・・・

八重山荘

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