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オリオン日記(2002夏・西表島)その4
8/14(水)
朱蘭さまは、今日も朝からダイビング。
憧れの仲ノ神島を目指してイソイソと出発して行った。
またまた取り残された父子は、レンタカーでドライブに出かける。
まずは仲間川へ。
西表島で二番目に長い川で、ここを観光船で遡るのだ。
しかしこの観光船、運行状況がハッキリしないのだ。
ガイドブックなどを見ても出航時刻どころか便数さえも記載は無く、デンワで問い合わせても
「とにかく10時頃に来てください」
といった感じで、曖昧に指示されるだけである。
観光船の発着する大原の港に着くと、5〜6隻の観光船がズラっと並んで客を待ち構えている。
さぁて、どれに乗ればいいのかなぁ、などと眺めていると、
「あっ、アッチで待っててください」
立ち話していた船頭さん3人の中の1人が、プレハブの待合室を指差す。
お揃いの黒ズボンに白いワイシャツ姿で、一人は若いオネェチャンだった。
石垣島からの観光ツアーのバスが次々到着し、それらを積み込んで船が出て行く。
どうやら予定のハッキリしているツアー客がお得意さまで、少数派である我が父子のような飛び込み客は、テキトーに頭数が揃ってからの出航らしい。
オアズケをくらって何隻もの船を見送らされる。
やっとこ乗船の許可が出た船は、にせバックパッカー父子の我々、何だか判らないオニィチャン5人連れ、そしてどっかのツアーの積み残し、総勢40人で満員。
オネェチャン船長が操る船であった。
地元出身なのか、旅の果てに居ついてしまったのかは判らないけれど、よく日に焼けた、20台後半くらいの美形船長なのだ。
「いくつの坊やですか?いえ、子供には縁がない暮らしだから、 年齢がサッパリ判らないんですよ」
などと言いながらも、我が親子を最前列の一等席に乗せてくれる。
とにかく、マングローブの森に突入だぁ。
マングローブとは、そういう名前の木がある訳ではなく、海水と淡水が入り混じった水際に群生する木々の総称だそうだ。
そんな木々が、ホントの川岸がどこだかサッパリ判らないくらい、ものの見事に川面を覆い尽くしている。
船は、大小の島にも見えるマングローブのカタマリの迷路をさまようように、右に左へと遡上する。
前方に迫る山々も、船に合わせて右往左往しながら、更に更に迫り来る。
まさに、ウルルン滞在記・アマゾン編といった感じなのだ。
石垣島でかっぱらった観光パンフレットに、仲間川を訪れた観光客の、
「まるで、ディズニーランドのジャングルクルーズみたいで良かった」
などと言う、大きな勘違いをした感想が載っていた。
バカめ。
コッチがホンモノのジャングルクルーズなのだ。
しかし、このオネェチャン船長、妙にノリノリで面白く、まさにディズニーランド風のトークやら仕込みやらで皆を笑わせ、楽しませてくれる。
巨大なタコ足のような木があるポイントで上陸し、そこでUターンして川を下る。
帰路となれば、観客を飽きさせまいとしてオネェチャン船長のトークは輪をかけてウケ狙いに走る。
「あっ、あそこを飛んでるのがカンムリワシです」
オネェチャン船長が空を指し示せば、乗客たちは一斉に視線を向けてカメラの嵐。
そんな素直に反応する客を手玉に取り、
「左をご覧ください。あのマングローブの陰を歩いてるのが、イリオモテヤマネコのメスです」
これには乗客も騒乱状態になる。
その遭遇チャンスの低さは、カンムリワシなんかとは比較にならないのだ。
どこだどこだと大騒ぎする客を尻目に
「うっそぉ。いる訳無いでしょう。世の中、そんなに思い通りにはいきません」
船内は、ウケを通り過ぎて溜息に包まれる。
オネェチャン船長は更にヒートアップする。
「今はノコギリガザミというカニ漁のシーズンでして、ホラッ、あれもガザミ漁の船ですよ。見せてもらいましょうか」
オトッツアンが一人乗った小さな川舟に船を寄せ
「こんにちわぁ!!取れてますかぁ?」
乗客にも強要して、一緒にオトッツァンに声をかけさせる。
オトッツアンは、待ってましたとばかりに、両手に持った大きなカニを振りかざし、乗客たちもヤンヤの喝采。
しかし、どうやらこのオトッツァンはシコミっぽいのだ。
すれ違うように川を上ってきたカヌーのグループの
「カニ見せてぇ」
などという掛け声には、頑として反応を示さない。
まる一日、そこでカニを持って待機してるんだとすれば、なんともゴクローな事である。
やがて河口が見えてきて、元祖ジャングルクルーズも終わりが近い。
こんな風光明媚な西表島だけど、オネェチャン船長に言わせると、住むには非常に寂しいところだそうだ。
西表島では1、2を争う規模の集落である大原でさえ、飲み屋はたった2軒。
とにかく夜が寂しいとの事。
「若い女性も極端に少なくて、たまに夜這いなんかが来て寝苦しい夜を過ごす事になります」
なんだそうで、どこまでホントだか判らないけど面白い。
殆どの住民は船を持っていて、隣の小浜島とかのトモダチの所に遊びに行ったりするのだそうだけど、果たしてヨソの島からも夜這いが来るのだろうか。
「でも、ヨッパラって帰ってきて、岸壁にぶつかっちゃったりした事もありました」
とにかく、なんだか東京あたりとは全く異なる社会なのだ。
船を下り、次に目指すは南風見田(はえみだ)の海岸。
クルマで走れる道路の終点にある、島の南岸に果てしなく広がる砂浜で、その広大な風景の中には海水浴客の姿は見えない。
それもそのはずで、売店も、シャワーも、脱衣場も、水場さえも無いのだ。
でも、そりで良いのだ、八重山なのだ。
こんな所にも2〜3のテントが張られ、セローやらKDXやらが停まっている。
星砂の海岸のキャンプ場にも多摩ナンバーのBAJAやらハーレーなどが陣取っていたいたけれど、ココのほうが遥かに居心地が良さそう。
不便ながらも、目の前にデーンと横たわる波照間島が、なんとも穏やかな気持ちにさせてくれる。
ああ、八重山だねぇ。
ポコっと丸まっちく見えるのは、どうやら仲ノ神島らしい。
果たして朱蘭さまは、あの下の海に潜る事が出来たのだろうか。
父子で島影を見つめ、母の健闘を祈らざるを得ない。
しかし、そのオコチャマと言えば・・・・
またまた、完全熟睡体制に突入してしまった。
そのまま日差しに晒しておく訳にはいかず、早々に退散するしか手立てが無いのが悔しいのであった。
次に、やっとこ目覚めたオコチャマと訪れたのは由布島。
西表島の沖合い500mに浮かぶ小さな島で、西表島との間には、橋も渡し舟も存在しない。
そう。有名な、水牛が引く牛車で渡る島なのだ。
海を挟んだ2つの島を結ぶのは電線のみ。
その電線は、海の中に点々と並ぶ電柱によって支えられ、その傍らを牛車がノンビリと行き来している。
ときおりテレビで紹介されるのを見る限り、なかなか八重山度が高い風景なのだけれど・・・・
結局は、単なる観光島ではないか。
島全体が植物園となっていて、上陸するには入園料なるものを取られる仕組みになっている。
そして例によって石垣島からの観光ツアーがバスを連ねてやってきて、すし詰め満員となった牛車でのピストン輸送。
海の中を進む牛車の風情をひと眺め出来ただけで十分で、わざわざ島に渡る気にはならなかった。
しかし・・・・
牛車乗り場の傍らに掘られた溜池の中で、数頭の水牛が首まで水に浸かっている。
おそらく、一仕事を終えて次の出番待ちなのだろう。
これを見たら気が変わってしまったのだ。
「観光島だって良いではないか。彼ら(水牛)はそれによってメシを食っているのだ。
キモチ良さげに目を細めて池の中でくつろいでいる彼らの為にも、エサ代を稼がせてやらねばならない。
タダ見では失礼にあたる。おそらく水牛にとっては、客が少ないほうが楽なのだろう。
でも、そんな甘えはイケン。ここは厳しく、わが父子の体重をジェニに変えるのじゃ。」
ジャボンジャボンと海面を踏みしめながら、淡々と牛車が進む。水深はヒザ上くらい。
水牛は慣れきった様子で、勝手に歩いている。
牛車を操るオッチャンはヒマそうに、ときおり進行方向を修正するだけ。
最前列に座っているので、目の前は水牛の巨大なケツ。
オコチャマがしげしげとケツを見つめるその鼻先で、歩きながらもジョワジョワっとシトをしたりする。
ほどなく由布島に上陸。
こちらにも待機用の溜池があり、お疲れ様だった水牛は、牛車を引いたまま池に入ろうとしてオッチャンに怒られたりしている。
さて、その由布島。
父子でメシとミルクとオリオンの補給が済めば、植物園の見学などにはあまり興味が無い。
観光経路を外れて、勝手に島の北側を目指して歩く。
小学校の跡があったりして、昔は島にも住民が居た事を忍ばせる。
更に突き進むと、急に漂う生活の気配。
おうっ!今でも住民が居るではないか。
うすら汚れた仮設住宅のような長屋がポツポツと点在し、干された洗濯物からしても、生活のニオイがプンプンと漂っている。
干潮時にはクルマで海を渡るのだろうか、ハイラックスのダットラ風クルマまで停まっている。
まあ、実際に生活するにはいちいち牛車に乗ってはいられまい。
完全サビサビで死んだようなクルマまであり、海水に晒される厳しさを忍ばされる。
すまん、由布島。
キミは観光だけの島では無かった。
キチンと、ヒトの生活をはぐくんでいたんじゃないか。
元々は、大勢の島民が住んでいたらしい。
しかし標高が何メートルも無い小島なもので、津波などで島ごと洗われてしまう事も稀ではなく、その生活の厳しさに、次々と西表島に移住してしまったとの事。
たった一家族だけが島に残り、独力で植物園を作り上げて現在に至っているとの事。
これは、帰ってきてから聞いた話である。
そんな大変な努力があったとは。
重ねて、由布島、すまんすまん。
島の北側から西側にかけて、ささやかながらもマングローブの林が広がっている。
いつのまにか潮が引いてきて干潟が姿をあらわし、逃げ遅れた海水は、キョーレツな日差しに照らされて温泉並に暖かい。
そんな干潟をベビーカーを押しながら歩くと、前方には淡々と行き来する牛車が見える。
海面から出ている車輪の位置から推測すると、かなり浅くなってきたらしい。
よぉしっ。
歩いて渡ってみるのじゃぁ。
もう帰りの牛車代は払っちゃったけど。
水深は足首よりちょっと上くらい。
下が砂地でスタックし、さすがにベビーカーを押し歩く事は出来ない。
オコチャマを後ろ向きにして、オバチャマ買い物カートの様に引っ張って歩くと、なんとかジャブジャブと前に進める。
50mほど前方を牛車がノタノタ進んでいる。
牛車とベビーカー、両者の速度はほぼ同じ。
振り返ると、由布島は思った以上に遠ざかっている。さりとて、西表島もまだまだ先である。
「ホントにこのまま渡れるのだろうか。急に深くなったらどうしよう」
一抹の不安。
ヤバかったら、前を行く牛車にでも乗せてもらおうか。
ふいに、牛車が立ち止まり、徐々に距離が縮まる。
「もしかして、我が父子を回収するツモリでは?」
違った。
水牛のソークーだった。
思わず牛車との距離をあける。
牛車の客たちは、ベビーカーを曳いて渡るバックパッカー風に興味を示し、一斉にこちらを見て笑いかける。
ソークー停車中の牛車を回り込むように抜き去り、前に出る。
まるで我が親子を待ち構えていたかのように、一人で海中に立っている男のカメラのファインダーがこちらを向く。
やめろやめろ。
アンタは牛車でも撮影してたんだろうが。
コッチは見世物じゃないんだよぉ。
こんなもん撮って楽しいか。
と言いつつ、観光パンフとか雑誌とかに掲載されちゃったら嬉しいなぁ・・・・・・
結局、牛車よりも先に西表島に上陸する。
西表側に待機している係りのオッチャンが、無表情に、柵に掛けられたホースを指さす。
「ホレッ。そこで足でも洗いな。日差しが強いから、最初はアッチィのが出るぞ。気をつけてな」
なんかそんな無粋さに、妙な温かみを感じるのであった。
いるもて荘に戻ると、朱蘭さまがニッコリとお出迎え。
結論から言うと、仲ノ神島でのダイブに成功したそうだ。
もっとも、簡単に事が進んだ訳では無かったらしい。
問題のダイビングポイントは、とにかく潮流が激しい場合が殆どで、そんな時はキケンすぎて潜れないそうだ。
今日も、午前中の状況では「不可能」と判断され、違うポイントで潜らされたのだけれど、午後になって再チャレンジ。
なんとか条件付で潜水が許される事に。
その条件とは
1.ある程度以上のダイブ経験が無い人は、船の上で待機(潜っちゃダメ)
2.よっぽど自信がある人以外は、水中カメラ持ち込み禁止
我が朱蘭さまは、写真撮影を断念しながらも、とにかく潜れたそうな。
良かった良かった。
いるもて荘の、この日の晩飯は屋外バーベキューだった。
定番バーベキューメニューに加え、ブタやトーフのチャンプル、紅イモ、八重山焼きソバなどなど、どりもこりもルービにピッタシなのだ。
賑わいの中、朝はノンビリ、そして夜はいつまでも暮れない八重山の太陽も、遂には山の向こうに消えうせる。
暗闇の海には、沖を行く大型船のような鳩間島の夜景が浮かぶ。
砂の島バラスは闇に沈み、もう影さえも見えない。
そして今日もまた、相変わらずのオリオン漬けに陥るのであった。