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フロントライン(2003夏・小笠原)その2

19時間遅れの、おがさわら丸

「父島への到着は翌々日の朝6時頃の予定となります。」
波に揉まれながらも、やっと本格的に小笠原に向かい始めた、おがさわら丸。
フツーでも、なかなか乗りごたえがあるというのに、それどころではない長時間航海味わう事になってしまった。
ノンビリと船に乗って過ごすシュチュエーションは嫌いではなく、それはそれで良いのだけれど・・・・
なにしろダッチロール状態に晒されているのだ。
ワタクシも朱蘭さまも乗り物酔いはしないタチだけれど、揺れるよりは揺れないほうが良いに決っている。
しかも、苦痛にあえぐオコチャマを見守るしかないのが辛すぎる。


昼前に、やっと八丈島沖を通過。本来なら、今ごろ父島に到着しているハズなのだ。
なんたって現時点で19時間遅れ。
この先は予定どおりに航行したとして、なんと船内2泊の、33時間の航海だ。
出航の遅れの11時間を差し引いても、8時間も余計に乗船する事になる。
それでも、知る人ぞ知る小笠原への裏航路、『共勝丸』の42時間よりははるかに短い。

共勝丸とは、おがさわら丸では運べない危険物などを運搬している貨物船で、おがさわら丸の一割にも満たない450トンの小船。
なぜだか9人ばっかり一般客も運んでくれるのだ。
時間は掛かるけれど運賃は安く、隠れファンも居るらしい。
それはそれで面白おかしい航海を楽しめるのかもしれないけれど、この船で台風に遭遇してしまったバヤイを考えると、それこそ地獄絵図のリバース旅となってしまうに違いない。


ニンゲンってのは環境に慣れやすいイキモノで、イイカゲンに揺れが気にならなくなってきた。
もちろん、徐々に波も収まりつつはあるのだろうけれど、それにしても・・・・・・
オコチャマがイッキに回復を遂げたのにはビックリなのだ。
まるでスイッチでも切り替わったかのごとく、何の前触れも無くピキっと元気になってしまった。
もちろん、ホントにそんな音がした訳では無く、あくまでもイメージなのは言うまでも無い。
かえって、揺れによって意思とは異なる方向に走り出してしまうのを楽しんでいる始末なのだ。
コレは有り難い事に違いは無いけれど、メシを食いに行ってもじっとしていられなく、無意味に走り回ったりするから、それはそれで疲れる。
なぜなら、追いかける親だって、意思とは異なる方向に走り出してしまうのだから、なかなかタイホできないのだ。

八丈島の次に見える陸地は、もう小笠原圏内であるケータ列島までオアズケだそうだ。
朝日に映えるケータを眺めながら、これから小笠原で待ち受けるであろう出来事にコーフンするべきシュチュエーションなのだろうけれど、遅れまくっているこの船がケータを通過するのは未明である。
なんたって、父島到着が朝の6時だというのだ。
果して、そんな時間に上陸して、朝飯を食える所が存在するのだろうか?
まさか24時間営業の牛丼屋があるとは思えない。
小笠原で待ち受けるであろう最初の出来事が、飢えとの戦いじゃ情けなさ過ぎる。
そしたら、なんとも嬉しい配慮で、船の到着時刻に合わせて、いくつもの食堂が臨時の早朝営業を行うとの事。
しかも、いつのまにか、その食堂のリストまで作られていて、乗船客に配ってくれる有りがたさ。
もちろんタダで食わせてくれる訳では無いので、食堂だって儲けにはなるのだろうけれど、その手間ひまを考えると、感謝に値する事は間違い無い。
おそらく夜中のうちに大量の食堂リストを作ったであろう、小笠原海運の関係者にも感謝である。

やっと、二見港に到着

さて、いよいよ父島・二見港が目の前に迫ってくる。
北海道や九州などへのフェリーに乗った時だって、近付いてくる陸地の姿にワクワクするのは同じだけれど、なにしろココは長時間の航海でしか来る事が出来ない場所なだけに、心してワクワクせねばなるまい。
湾の奥まった所に見える港の岸壁は思ったよりもリッパで、ははじま丸らしき船がすでに停泊している。
その前方に回りこむように、おがさわら丸は静かに接岸すれば、ターミナルビル前の岸壁にはアリのように群がっている人・人・人。
ホテルや旅館からの出迎えだけではなく、変則ピストン航行の為にこれから乗船する客、それを見送る人々、もう大混乱なのだ。
待ちに待った上陸の感慨に浸るのもソコソコに、ホテルや旅館名が書かれたプラカードがアチコチで振りかざされる中を潜り抜け、ははじま丸の乗船ターミナルに急いで向かう。
我が家はこのまま母島を目指すのだけれども、おがさわら丸がベタ遅れとなった今、ははじま丸の時刻をチェックしないことには先に進まない。
なにしろ1日1〜2便で、出航しない日もあるのでヤバいのだ。

100mほど先のチンチクリンなターミナルに手書きで書かれた時刻表を見に行くと、まったくのノンプロブレム。
そこには、おがさわら丸の遅れに合わせた、全面的に変更された運行ダイヤが示されていたのだ。
小笠原では、全てのスケジュールの基準が、おがさわら丸だと言うことを思い知らされる。
それは、スーパーマーケットの入り口に張られた
『今月の野菜の入荷日は○日、○日、○日・・・』
なんて張り紙からもうかがえるのだ。
しかし、もっともぉぉっと深い島民生活との関わりは、後ほど知ることになる。

おが丸も、一休み

ははじま丸の出航は10時との事で、さっそく朝飯を食いにオサンポなのだ。
朱蘭さま曰く
「なんだか宮古島よりも栄えている」
らしい感じの、商店街と言うほどじゃないけれど、それなりに店が並んだメインストリートをウロウロと歩く。
スーパー、土産物屋、小粋なレストラン、そしてその奥には飲み屋の並ぶ繁華街。
もちろん、「比較的に繁華街」といった程度だ。

気候的には沖縄っぽいけれど、フンイキは明らかに違う。
それはお隣さまの伊豆諸島や、その他アチコチの島とも異なるのだ。
沖縄と言えば、独特キョーレツな琉球文化の巣窟であり、
伊豆ならばアンコ娘が笑みを浮かべてニジリ寄り、
佐渡だったらオケサのメロディーが延々と垂れ流され・・・・・・
そのようなアクの強さが、良いも悪いもそれぞれの島の旅愁だったりするのだ。
それに対し、この父島の町並みを歩いてみても、
九州西部の島々の「タタミ敷きの天主堂」みたいな情緒もなく、
その他小さな離島の「石垣に囲まれて耐えてます」的な哀愁さえも漂っていない。
いわゆる、「先祖代々受け継がれた、独特の文化っぽさ」が全く感じられないのだ。

それは無理もない事で、なにしろアメリカから返還されてから僅か40年弱しか経っていないのだ。
しかも返還後に島に住んだのは、旧島民よりも新しく移住してきた人々が圧倒的に多く、それは全島民の8割にもなるとの事で、事実上、40年足らずの文化しか、ココには存在しないのだ。
しかし、それが面白くないと言っているのではない。
だって、文化人類学を学びに来た訳では無いのだ。
いや、訳が判らないけれど、文化人類学の上でも面白い場所なのではないだろうか。
なにしろココは、まさに文化が誕生しつつある最前線なのだ。

二見港の脇のビーチ

臨時早朝営業リストに載っていた、一軒の居酒屋に入り、さっそく朝飯。
数少ない島の文化である『島寿司』を食おうではないか。
見た目はフツーの握り寿司に近いけれど、シャリの上にはヅケが握られていて、カラシで食うのだ。
コレはンマい!!
さらにさらに、忘れちゃいけないココでしか食えないモノで『うみがめ』があるのだ。
せっかくだから食わなきゃイケんと、うみがめの刺身と煮込みを注文してみるものの・・・・・・・
コ・コレはちょっと・・・・・・
ゴメんなさい。食えません。
「はぁい、オアイソね。アラ、ウミガメ美味しくなかった?」
店のオカミ、というよりスナックのママそのものの姐さんが、残念そうに付箋状の紙切れに書いた金額を差し出してきた。
う〜む。
メシ屋でこういうのはめずらしい。飲み屋そのものの請求の仕方ではないか。
飲み屋なのに早朝から店を開けてくれたゴクローを、あらためて感謝しちゃおう。

おがさわら丸、ははじま丸の2ショット

岸壁に戻れば、相変わらず、おがさわら丸、ははじま丸が仲良く並んで停泊中だ。
この隊列に共勝丸も加われば、更に面白い構図なのだけれど、さすがにそんなにうまくは行かない。
そもそも実物を見るまでは、そんなチンケな船が小笠原まで定期運航してるなんて信じ難かったりもするのだけれど・・・・・・
おおっ!!岸壁のスミッコの更にスミッコに停められているフォークリフトに、なんと共勝丸の名前が書かれているではないか。
共勝丸よ! キミの存在は間接的にだけど確認したぞ!!
いつか、共に小笠原を訪れる日がくる事を祈ろうじゃないか。
でも、体調がバリバリ良さそうな時にね・・・

共勝丸のフォークリフト

ははじま丸は、色も形も、おがさわら丸をそのまま小さくしたようなイメージだけれど、共勝丸よりもちょこっと大きい程度の490トン程の小船である。
地下牢のような座敷席、外の見える座席、そしてナマイキにも一等船室までついている。
朝方にちょろっと降った雨も止み、いつのまにやらバッチリと晴れちまったからには、じぇひとも大小の島影を眺めながらの船旅を楽しみたいと思いつつ・・・・・・
ココロを鬼にして、地下牢に向かわざるを得ない。
なんたって、おとなしくイスに座っていられるオコチャマではないのだ。
地下牢は宴会中のワカモノしかいなくて、なかなかニギヤカにすごしている。
そんな状況ならば、少々駆けずり回ってもメイワクじゃなさそうだし、間違って海に落ちる心配も無さそうである。

「アラッ、カワイイ」
などと、ワカモノ一派のオネェチャンがオコチャマの相手をしてくれるのをいい事に、親はゴロ寝タイムなのだ。
そしたら、予想外の展開が!!
「よく見れば、オトォサンもステキ!!」
などとオネェチャンが寄り添ってくれば思わずコーフンしちゃう所だけれど、そんな有り得ないシヤワセではなかった。
オコチャマが、再びグロッキー状態となったのだ。

イケンイケン。
台風の余波の波は収まったとばかり思っていたけれど、チンケなははじま丸を揺らすには十分なパワーだったのだ。
そんなオコチャマをオネェチャンに任せておく訳には行かない。
地下牢の環境がヨロシクないのかと、オコチャマを抱えてデッキに出てみる。
オコチャマに有効かどうかは判らないけれど、船酔い時には一般的に、遠くの波を見るのが良いと聞いた事があるからだ。
「ほぉら、海を見てごらん」
などと、たぶん通じながらも語りかける、我ながらなんてイタイケなオトォチャンなのだ。
ウツクしい!

小さな船だけに海面が間近に迫っているのだけれど、なんだか妙に黒々とした海の色ではないか。
この色は何だ。
東京湾などの腐った黒さとは全く異なり、透明感は高いのだけれど、ブ厚さを感じさせる濃厚な紺色なのだ。
そんな海の色に魅せられながら、ついでにイルカやらクジラやらの姿なんかの出現を期待してアチコチ見回していると、ナゾのフガり声。
ときおりデッキを洗う波に、オコチャマがビビリまくって思わずオタケビをあげていたのだ。
イケンイケン。
イタイケなオトォチャンの行動を忘れ、ついつい自分が楽しんじまったい。
ははじま丸の船室

右往左往しているうちに、徐々に母島が迫ってくる。
待ちに待った母島なのだ。
ガキの頃、なぜが我が家にあった『伊豆諸島・小笠原』のガイドブックを思い出す。
当時はダイビングやホエールウオッチングなどは一般的ではなく、小笠原を訪れる観光客の客層もずいぶん違っていた事だろう。
そのガイドブックには、たしか
「島民や関係者以外が母島に行く場合は、しかるべき届出が必要」
などといった記載があり、いったい何が隠されているのだろうかと、妙にコーフンしたものだ。
そんな母島が、もう目の前に迫っているのだ。
もちろん今はそれなりに観光化され、コギレイなペンションなども幾つもあるし、届出など無しに上陸だって可能である。
ただし、母島での宿泊先が決っていなければ、ははじま丸には乗る事が出来ないので、キャンプや野宿をしようという訳にはいかないのだ。

ついに母島が見えてきた

船は島の西岸を舐めるように進み、島で唯一の集落でもある沖港に到着。
おがさわら丸、ははじま丸の大きさに比例でもしているがごとく、港の規模もターミナルもこじんまりとした様相だ。
まるでブレーキターンの砂ぼこりのように、船尾から茶色い海水を濛々と巻き上げながら、ははじま丸は接岸。
おがさわら丸が二見港へ到着した時とはもちろん規模は違うけれど、やはり手に手にプラカードを持った出迎え客が群がっている。

最速の公共交通機関を用いた場合、本土から到着するまで最も時間を要するのが、ここ母島。
そういう意味では、日本一遠い島へ、やっとと言うか、いよいよと言うか・・・・・・
とにかくとにかく上陸なのだ。

母島に到着!!
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