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フロントライン(2003夏・小笠原)その5
異文化アイランド 父島
父島での初めての朝を迎えた。
正確に言えば、おがさわら丸で到着した3日前の早朝が初めての朝なのだけれど、ロクに何も見ないまま母島に渡ってしまった為、事実上は今日が父島での初日なのだ。
フトンから抜け出して最初にやるべき事は、朝飯の調達だったりする。
我が家が父島での拠点に選んだ宿は、相部屋タイプのワカモノ向けエコノミー民宿。
宿のオバチャンが高齢&足が悪いとの事で一切の食事の供与は無く、要するに
「ベッドが空いてたら勝手に寝てなさい。もちろんタダじゃないわよ」
みたいな感じの、とにかくホッタラカシ民宿なのだ。
昨夜遅く、ははじま丸を下船した際も、もちろん出迎には来てくれなかった。
好き好んでココを選んだ訳では無く、ココしか空いていなかったのだから仕方が無い。
まあ、港から極めて近いし、唯一の和室を貸切で使わせてもらっているのだから文句は無い。
しかも、ヒジョーに安い事が有り難い。
テレビやクーラーがコイン式だったりするけれど、要は使わなければタダなのだ。
でも、果てしなくボロい!!
母島帰りの身からみれば父島は何とも大都会で、さすがにコンビニは無いけれど、目の前のスーパーが朝早くから営業していて、オニギリとかが購入できちゃったりする。
メイド・イン父島のオニギリらしく、その包装が「オカァサンのオニギリ」っぽくて微笑ましい。
おおっ!!
スーパーの脇の自販機を覗くと、なんとオリオンビールが売られているのだ。
コレは朝から飲むしかない。
こういう暑い環境では、やはりビールはオリオンがンマい。ンマすぎる。
オリオンをグビグビやってると、気候が変わらないから、なんだか沖縄に来ているように錯覚したりする。
もっとも、見た目の沖縄っぽさは乏しく、せいぜい植物が南洋っぽいって程度のモノなので、
『沖縄の白焼き』、もしくは『沖縄の並盛り』といったところだろうか。
我が家の本日の予定は、一日中ビーチでゴロゴロする事である。
前日の登山では思い切り体力を使ったので、その休息も兼ねてのプランなのだけれど・・・・・・
さすが大都会の父島でも、
「海水浴 = ノンビリ」
などと安易に決め付けるのは間違いなのだ。
もちろん、
「海ならどこでも良い」
と言うならば、サンダル履いてチョコチョコ歩けば徒歩数分で浜に着く。
しかし、
「せっかく小笠原に来たのだから、うんと小笠原っぽい、美的なビーチで」
などと考えると、一大決心が必要なバヤイも出てくるのだ。
例えば、父島では一番美しいと言われる『ジョンビーチ』は、アップダウンのジャングル道を2時間歩かなければ到着出来ないのだ。
そのライバルの『ジニービーチ』は、そこから更に30分歩く。
どうしても歩きたくなければ、シーカヤックでエッチラオッチラと行く手もあるけれど、それでは「ノンビリしに行く」とは言いがたい。
「究極のプライベートビーチ」などと称する初寝浦のビーチは、30分も階段を降りなければならない「帰りが怖い」タイプのビーチで、そりゃ「誰もいない」がウリになる訳だ。
なかには、「迷路のような山歩き。ガイド同伴じゃなきゃ行っちゃイケん」なんてビーチまであり、もはや海水浴ではない。
もちろん、クルマなどで簡単に行けるビーチだって、それなりにキレイなのだ。
レジャーだって、ある程度の妥協が必要なのは当然の事で、我が家はバスで小港海岸に向かう事にする。
そこならば、売店で食い物や生ビールなどが買えるらしい。
それは父島のビーチでは極めて恵まれた環境とも言え、それでもシャワーやら脱衣所などは存在しない。
そこまで設備が揃ってるのは扇浦ビーチの一箇所だけで、トイレさえ無いビーチが多数派なのだ。
この点は、沖縄とは一線を画す小笠原らしさではなかろうか。
かわいらしい小ぶりなバスは、運転手がアロハを着ていて南国情緒を意識している。
ハワイの真似とも言えるけれど、小笠原の初の定住者は、170年前にハワイから集団で連れてこられた移民だったそうなので、まったく根拠のないパクリという訳では無いのかもしれない。
二見港の集落を出るとすぐに、お馴染みのジャングル道となる。
真新しいトンネルをいくつかくぐった先に見えてきたのは、境浦のビーチ。
ココは、ビーチの目の前の湾内に、太平洋戦争中に魚雷攻撃を受けて座礁した輸送船の残骸が残っている事で有名だ。
何年か前に、このあたりの民宿に泊まった事があると言う朱蘭さまは、
「船の形が前よりも崩れてるような気がする。」
なんて事を言う。
それが聞こえた訳では無いのだろうけれど、アロハ運ちゃんが
「船は腐食によって年々変形し、その位置も徐々にビーチに近付いてきている」
などと解説してくれる。
次に見えてくるビーチは、ダントツの設備を誇る扇浦。
もちろん「小笠原では」というだけで、アタリマエの設備がアタリマエに揃っているだけなのだけれど、ここは全面砂浜の為にシュノーケリング向きではないとの事で、我が家的にはボツ。
砂浜と岩場がセットになってるビーチを求め、もう一山越えた小港海岸を選んだのだ。
もちろん、一山越えてくれるのはバスである。
小港海岸。
小さな入江の奥にある幅広いビーチで、真っ白な砂浜は奥行きも深く、父島で一番大きい砂浜だという名に恥じない。
ビーチの両端は岩場になっていて、シュノーケリングポイントとしてもイケてそうなのが嬉しい。
こんなビーチが伊豆か外房あたりにあったなら、ビーチサイドにリゾートホテルが50軒くらい建っちゃうに違いなく、それはそれでオゾマシくなりそうだ。
しかし実際は、両端に東屋が一軒ずつと、小さな売店が一軒しかないから合格である。
浮き輪にはめ込んだコゾーを海に漬けたり、夫婦交代制でシュノーケリングを楽しんだり、その合間合間に生ビール。
シヤワセなのだ。快適なのだ。
東屋で飲んだくれオヤジと化していると、十数人の女子高生風の集団が現れて、目の前で次々と水着に着替え始める。
もちろん、あらかじめ水着を着ていて、その上に着てきた服を脱いでいるだけなのだけれど、ビールのツマミとしては申し分のない光景なのだ。
会話の内容から推測すると、どうやら地元のオネェチャンと、父島に帰省してきたオトモダチとの混合部隊らしい。
しかし、オネェチャンどもは
「なにこれ?何で今日はこんなにビーチが混んでるの?」
なんて驚きあっているけれど、これで「混んでる」なんて言われたら、コッチが驚かなければならない。
将来的にオネェチャンが10人ずつコドモを生み、さらにダンナの甥っ子姪っ子を20人ずつ連れてくれば、さすがに我々も「混んでいる」と認めざるを得ないだろうけれど。
しかし、あきらかに東屋は混んでしまった。
その女子高生軍団に占拠された形で、もうキャバクラか水着パブかという状態になってしまったのだ。
もし自分一人なら、あまりの場違いな居辛さに、ソッコーで炎天下の砂浜に逃げ出さねばならないのだろう。
しかし、コッチにはオコチャマという免罪符がある。
「ホラッ、もう少し休んでから遊ぼうね」
などと聞こえよがしにホザきながら、居住権を主張したりするのだった。
二見港界隈の夜はニギヤカだ。
感じの良い居酒屋が何軒もあり、どこも大盛況なのだ。
海を50キロほど隔てただけの母島との格差にオドロキながらも、とにかくンマいモノを食おうではないか。
父島ならではの食い物として有名なのはウミガメしかないのだけれど、コレはもう懲りたのでヤメなのだ。
島寿司は八丈島あたりでも食えるとかで、小笠原独特の食い物ではないけれど、美味いから食う。
あとは「郷土料理」というよりも、「その店が考え出した個性的なメニュー」が並び、ヘンに地域性に拘らなければウマい事には違いないので食いまくる。
もちろんビールはオリオンの生なのだ。
そしたら、ひそやかな特産の逸品があった。
それはシカクマメという豆で、このテンプラがメチャメチャうまい。
なんでもこれは、母島の特産なのだそうだ。
ああ、懐かしの母島よ。
おそらくキミは今ごろ、ひっそりと暗闇に包まれているに違いない。
ほろ酔い気分で店を出れば、メインストリートに並ぶ土産物屋が軒並み営業中で、それらを覗いて回るのも気分が良い。
その名も「お祭り広場」といふ広場の方が何やらニギニギしく、散歩がてらブラブラと行ってみる。
宿に張ってあったポスターに「明日の夜に盆踊り大会がある」と書かれていたけれど、もしかしたら今日の間違いだったのかしらん・・・・
間違えではなかった。
でも、ちょっとヘンなのだ。
灯りが煌々と照らされる中で、盆踊りの櫓とか露天の準備に勤しむ人々、タイコなどのリハーサルをしてる人々。
ここまではヘンではないのだけれど、それを取り巻くように、見物人の人垣が出来ているのだ。
何だかんだ言っても、観光客にとって、父島の夜はヒマなのであろうか。
あるいは島の人にとって、たとえ準備でも一大イベントなのだろうか。
いずれにしても、なんだかイゴコチの良い、まさに村祭りのノリのニギニギしさなのだ。
しかし、その後がヒドかった。
深夜になろうとしているのに、一向に外が静まらない。
港の方で、先ほどのお祭り広場の賑わいとは全く異なる、歌舞伎町コマ前広場のノリの大騒ぎが展開されているのだ。
怪しげな叫び声、オネェチャンの下品な笑い声、今や懐かしの「イッキ」コール・・・・
宿の窓からは姿が見えないのだけれど、20人は騒いでいるに違いない。
全員がグループなのか、あるいは少人数が自然に集結した連邦制の宴会なのだか。
まあ、
「キサマらもキャンプツーリングで同じことをやってるぢゃないか」
と言われれば否定は出来ないけれど・・・・・・
とにかく街中ではヤメなさい。
バトルロイヤル式と言うかサドンテス式と言うか、徐々に人数が減って、まったく声がしなくなったのは夜明け前。
父島だって、いつもこんな事は無いのだろうけれど・・・・・・・
ああ、母島よ、キミの静寂が懐かしい。