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フロントライン(2003夏・小笠原)その6

断崖絶壁(長崎鼻展望台)

今日は、レンタカーで島内を巡るのだ。
一般的に、多くの人は「ホエールウオッチング」や「ドルフィンスイム」などを楽しみに、小笠原にやってくると思われる。
もちろん我が家も例外ではなく、それらは楽しみだったのだけれど・・・・・・・
船に乗る事が、心配になってしまったのだ。
おがさわら丸、ははじま丸で酔ってしまったオコチャマが、間違い無くこれらより小さい船に一日めいっぱい乗ってしまったら、果して耐えられるものだろうか。
当然ながらチャーター船を借り切れる財力も無く、乗合のツアー船では我が家の都合だけで引き返せない。
船酔いで生命の危機に陥る訳は無いけれど、オコチャマがそんな状態になったら、もうレジャーという心理状態では有り得ないだろう。

幸か不幸か、ホェールウオッチングの主役であるザトウクジラが小笠原にやってくるのは冬から晩春にかけてであって、もうカンペキに時期外れ。
それと入れ替わるようにマッコウクジラがやってくるものの、ザトウクジラほどサービス精神は旺盛ではなく、たまに登場しても地味な動きしか見せてくれないそうだ。
そんな事情を言い訳として心に言い聞かせながら、我が家は陸路の観光に切り替えたのだ。


ここは大都会の父島なので、ちゃんとした『わナンバー』のレンタカーが存在するのが嬉しい。
ガイドブックに掲載されていた、全国ネットの大手レンタカー会社にデンワをすると、
「宿まで迎えに行くので、事務所で手続きをしてほしい」
との事。
家族でゾロゾロと事務所に押しかけても何なので、オトォチャンが一人で向かうことにする。
ほどなく登場した迎えのクルマは、後部座席が折りたたみ式でガチガチの業務用ワンボックスだった。
さすがの大手でも、やっぱり離島ではこんなもんだろう。
リムジンでの出迎えなんか期待してた訳ではないし、たかだか事務所までの僅かな距離だし・・・・
しかし、コレは単なるお迎え用のクルマだと考えるには、ちょっぴりイヤな予感。
助手席に、頼んでおいたベビーシートがキッチリと装着されているのだ。
いや、ちょっぴりどころか、なんだか確定的な予感・・・・・

事務所に向かう途中、迎えに来たオッチャンが、ブキミな事を聞いてきた。
「あのぉ、ウチの会社をどうやって知ったのですか?」
「えっ?どうやってって、ガイドブックに・・・」
「へぇ、ウチがガイドブックに出てました?」
「そ・そりゃ出るでしょう。大手なんだから」
「・・・・・・・・・・」
更にブキミな事に、クルマがズンズンと山道に入ってしまったのだ。
ど・どこに連れて行く!!
まさか誘拐されるのだろうか?
ひょっとして、ココはフィリピンだったっけ?

一人で勝手にオロオロしていると、やがてクルマは自動車整備会社の中に入り込んだ。
もちろん、大手レンタカー会社の名前など一つも書かれていない。
話を聞けば、確かに以前は大手レンタカー会社と提携していて、今は単独でクルマを貸しているとの事。
ガイドブックの記事がレトロすぎたのだ。
どうやら観光客よりも業務での貸し出しがメインなのか、事務所の壁に掲げられているホワイトボードに書き込まれた予定表を見ると、個人名で借りてるのは我が家だけで、ほかの貸出先は全て会社名だったりする。
我が家に貸し出されたクルマは、やはり迎えに来たワンボックスそのまま。
しかしキッチリと『わナンバー』なのだから、清く正しいレンタカーには間違い無い。

中央山への道

とにかくとにかく、宿に戻って家族を積み込み、いよいよ父島ドライブに出発なのだ。
まずは、前日にビーチまでバスで走った二見湾沿いの道を南下し、それから『夜明道路』と呼ばれる、島の中央部をクネクネと南北に貫く山道を北上する事にする。
これはイロイロと熟慮した上での結論ではなく、誰が考えてもそのような道順になるであろう。
要するに、それしか道が無いのだ。

運転席の位置が高いワンボックスなので、かえって視界が良くてアリガタイ。
昨日、バスから見えた小粋な売店でアイスを食ったりして寄り道しながら、いよいよ夜明道路に突入する。
この道沿いに、ひそかに気になるB級スポットが二つほどあるのだ。
夜明道路に入ってすぐに、その一つ目が現れた。
ソレは『長谷トンネル』といふトンネルで、別に得体の知れない怨霊が登場する訳でもなく、なにやら胸を打つ物語がある訳でもなく、ただただフツーのトンネルなのだ。

それでは何が気になるスポットなのかと言えば・・・・・・
このトンネル建設に関与した会社の社員であるバイク系オトモダチがいて、彼は
「父島に出張があるかもしれない」
などと、ヒジョーに楽しみにしていたのだ。
彼は、その希望が実現する前に、哀れ帰らぬ人となり・・・・
なんて事だったら、やっぱり怨霊系になってしまうけれど、事実は違う。
その会社のほうが、哀れ帰らぬ結果となってしまったのだ。
そんな彼から
「せめて、せめてトンネルの姿だけでも撮影してきて欲しい」
などと、無職にあえぐ苦しい息の下からのリクエストを受けてしまったのであった。
そんな訳なので、部外者にとっては何ら意味の無いスポットでしかない。

辿り着いてみると、なんとトンネルは未完成ではないか。
正確に言えば、トンネル自体は完成し、その取り付き道路が工事中といった状態なのだけれど、これは是非とも
「オマエのカイシャがツブれたから、トンネルが完成しなかったんだ。」
なんて感じで、彼をイジめる必要性が生じたのが、なんとも嬉しい収獲である。

長谷トンネル  まだ未完成

ジャングル道を更に駆け登って中央山の展望台入り口に到着。
ここから階段を5分くらい登れば、標高319mの山頂に到着出来るのだけれど、もちろんここはB級スポットではない。
この中央山は父島最高峰と言われるけれど、実際にはちょっと南側の山のほうが高いようだ。
それでも、何ともいえない絶景で、遠く母島さえも望む事が出来る。
山頂には旧日本軍の砲台の痕があって、確かにココから狙えば敵の軍艦は一網打尽なのだろう。
もっとも、一隻二隻の船に砲弾をブチ込んだところで、なんら戦況に影響を与える状況では無かった事はミエミエで、それだけに余計に哀愁を感じてしまう。

備え付けの双眼鏡を北に向けると、夜明山の中腹にコンクリ製の廃墟のようなモノも見える。
それも戦争の残骸なのかどうなのか、夜明山方面への尾根筋を縫って進む夜明道路がすぐ近くを通っているように見えるので、もひとつお楽しみが増えた。

中央山の頂上。立っているのは砲台の跡

夜明山の山頂直下に駐車場があり、そこからダート道を200mほど進んだ先に初寝浦展望台というビュースポットがある。
初寝浦ってのは、あの「階段を30分降りなければならない、究極のプライベートビーチ」の事だ。
もちろんビーチまで降りるツモリは無いけれど、その天国と地獄が同居した光景を断崖絶壁の上の展望台から眺めるのも楽しそうなので、クルマを停めて見に行く事にする。
しかし、クルマを停めた理由は、それだけではない。
実はココに、もう一つのB級スポットが存在しているのだ。
それは、その名もオソロシや『首無し二宮金次郎』といふ御仁で、ガキの頃に古い小笠原ガイドブックで見て以来、妙に気になっていたのだ。

古き良き時代には、必ず小中学校に存在したと言われる「二宮金次郎像」が、なぜか首無しの状態で、人里離れた山中にあると言うのがナゾすぎるではないか。
いたいた!
駐車場とは道を挟んだ反対側に、確かに首が無い状態で突っ立っている。
それは周囲の明るい風景とは裏腹に、妙にブキミな存在なのだ。
首無し二宮金次郎
この像は、最初はマニュアルどおりにふもとの学校の校庭に設置され、もちろん首はついていたとの事。
それが紆余曲折のうちに、旧日本軍の設備と共にココに移されたそうだ。
それでは、いつ、首が飛んでしまったのだろうか。

そのヒサンな答えは、石碑に刻まれていた。
米軍が小笠原を占領していた当時、一人の米兵が帰国の際に首をはねて持ち去ったそうなのだ。
なんとも悪趣味なオミヤゲなのだろうか。
それでも金次郎は、アタマが無いから読めるハズの無い本を、けなげに、そしてマジメに読み続けている。
近年になって台風に転がされ、それでも若干の位置修正をしながら、まだまだ頑張りつづけている。
この金次郎様は、リストラや左遷にメゲないサラリーマンのお守りとして、もっともぉっと有名になり、そして尊敬される存在になって欲しと願って止まない。

崖の下が初寝浦のビーチ。帰りが地獄

初寝浦の展望台から見下ろすと、もう断崖絶壁の真下に見える程の所にビーチが見える。
もちろん誰の姿も見えず、帰りの階段でイキダオレになったら、金次郎さんしか気が付くまい。
その展望台のところに、あの中央山から見えたコンクリ廃墟があったのには驚いた。
旧日本軍の設備なのか、ツブれた土産物屋なのか。
何の残骸なのかよく判らないけれど、とにかく中を覗いてみると、これまた意外な物があった。
ドラムのセットが、隠してあるのか捨ててあるのか、キチンとセッティングされた形で置いてあるのだ。
先が折れたスティックで叩いてみると、コンクリの室内に大いに響いてキモチイイ。
もちろんドラムの心得などないのでデタラメに叩いてみただけなのだけれど、これにオコチャマが反応してしまい、オトォチャンよりもデタラメに叩いて大喜び。
コレは引き剥がすのに苦労をした。

トーチカ跡に、なぜかドラムセット

続いて長崎鼻展望台に降り立つと、目の前にデーンと兄島が迫っている。
父島のすぐ北側の島で、一時は飛行場の建設候補地にされた島だ。
父島との間は兄島瀬戸と呼ばれる急流の海で、確かに川のように流れているのが良く見える。
それにしても、誰もが疑問に思う事なのだろうけれど・・・・・・・・
小笠原の主だった島々の名前、父島・母島・兄島・弟島・孫島・嫁島・姉島・妹島・姪島・・・・
ちょっとセンスを疑うような、なんて安直なネーミング。
もう少し、なんとかならなかったのだろうか。

小笠原は、英語名だと「BUNIN」という呼び方だそうで、
「いやぁ、こないだBUNINに行って来まして・・・・」
などと、カッコつけだか何だか判らないけれど、わざわざそう呼んで喜ぶ連中もいるようだ。
でもコレは、もともとは日本語らしい。
その昔の日本でも、八丈島の遥か沖合いに、小笠原諸島が存在してる事は知っていたそうだ。
その頃はもちろん、小笠原という名前は無い。
しかし、当時の日本には全く利用価値が無い島々であり、『無人島』とだけ呼ばれてホッタラカシになっていたとの事。
その「無人」を固有名詞と勘違いした欧米人が、当時の「無人」の読みの「ブニン」を、そのまま採用して「BUNIN」と表記しただけであるとの説なのだ。
やがて小笠原諸島が欧米の捕鯨船の中継基地となって、ハワイなどからの移民までが定住しちゃったのを知り、日本政府(江戸幕府)は大慌て。
「ウチの領土を取られちゃイケン」
ってんで、
「ソコは、ウチの家臣の小笠原貞頼(おがさわら・さだより)ってのが発見し、小笠原と名づけた島だけんね。だからウチの領土!!」
などと主張したそうな。
しかし、小笠原貞頼という人物の実在自体が怪しくて、どうやら後から作られた話らしい。
結果的には日本の領土だと認められ、日本が慌てて送り込んだ開拓民と、先に定住しちゃった欧米系の住民とで、そこそこ仲良く生活を共にしたとの事である。


さて、ここまでは、各方面からの聞きかじりやら斜め読みやらで得たノーガキである。
ここから先は、何の根拠も裏付けも無く、そして参考文献すら無い、全くの個人的な推測なのだ。
従って、コレを引用してウソツキ扱いされても責任は持てないので注意して頂きたい。

当時の日米政府関係者による、小笠原領有権の協議。

「アンタらさあ、昔っからBUNINを領有してるって証拠があんの?」
「恐れ多くも小笠原は、我らが家臣の小笠原貞頼が発見し・・・・」
「ソレってマジ怪しい!!小笠原諸島なんて名前を言い出したのって最近じゃん。それってアトヅケっぽくない?」
「そ・そんな事は断じてありません。それは遺憾な発言ですぞぉ」
「そぉ?それじゃ、コレを見てみてよ」
「な・なんですかな?なにやら絵図のようでござるが」
「ソレは、我々が測量して作成したBUNINの地図なんだけど」
「そ・それが何か?」
「それぞれの島の、アンタらのクニでの名前は?」
「うっ!!そ・そりは・・・・・」
「領有してるって言うのに、名前が無いなんて有り得ない!!」
「も・もちろんでござる。えっと、ソレは、うんと、どっしよっかなぁ・・・」
「どうしたの?早くぅ!」
「うげげげ、ゲホゲホッ、え・ええいっ、ソレは父島、そして兄島、そっちは母島、そんでもって姪島・・・・」

そうなのだ。
小笠原諸島の島名の安直さは、まさにこんな感じで、追い詰められた日本側担当者のボキャブラリーの乏しさに起因してしまったに違いないのだ。
最も、次々とアドリブで名付けるには、何か共通性を持たせるのが無難な作戦で、ヘンに複雑な名前にしちゃうと
「さっきの島名を、もう一度」
なんて聞かれたらシドロモドロになってしまうキケンがある。
不自然な関連性があったって、どうせアメリカ人には判らないのだ。
一歩間違ったら、子島・丑島・寅島・卯島・・・・なんてネーミングになってた可能性もあったのだけれど、そうじゃなかった事に感謝しようではないか。

以上は、根拠のない自説なんで、くれぐれもご注意を。

コチラは、お手頃な宮の浜

夜明道路を走破してしまえば、走るべき道は殆ど終りである。
ノンビリとメシを食い、宮之浜でひと泳ぎし、そして三日月山の展望台を目指す事にする。
三日月山は二見湾の北側にある標高204mの山で、途中の展望台まではクルマで行く事が出来る。
半島のように海に突き出している地形なので、なかなかの眺望が楽しめるが、それだけではない。
ココは夕日を眺めるポイントとして有名なのだそうで、確かに水平線の彼方まで、あと一時間ほどで水没するであろう位置に構えている太陽を遮る物体なんかは何一つ無い。
しかも今日は、サンセット見物するには邪悪な存在である雲も、全く姿が見えないのだ。
すでに何組かの観光客が陣取って、思い思いにノンビリと過ごしているのだけれど、我が家はそれに加わる事が出来ないのが残念だ。
日没よりも先に、レンタカーの返却時間が迫っているのだから仕方が無い。

海と太陽を交互に眺め、あとはイマジネーションを働かせてカンドー的な日没の光景を想像しながら駐車場に戻ると、次々とレンタバイクやらクルマ、そしてゴクローな事にチャリまでもが登ってくる。
そんな駐車場の脇には旧日本軍の通信基地の残骸があり、半地下で、しかも熱帯風の木々に埋もれている。
偽装工作の為に植えられた木々なのだろうけれど、余りにもリッパすぎ、そして複雑に絡みつきすぎている。
この建物にとって、完成当初は補助的な役割だった木々が、やがて建物のヌシとなり、長い年月のうちに支配権を盤石なモノにしてしまったのだ。

同じ小笠原圏内の硫黄島のような激戦が展開された訳ではなく、沖縄のような大勢の民間人が犠牲となった悲劇的な戦闘が行われた訳でもないだけに、父島の日本軍の痕跡には生々しい凄惨さが感じられない。
むしろ、戦わずして捕らえられてしまった捕虜のような虚脱感が漂って見える。


夕日見物の人々で賑わうコギレイに整備された展望台の建物と、歴史の流れの中で生き埋めになってしまった建物。
どちらも、決して長くは無い小笠原の文化を飾る象徴なのだ。

通信基地の残骸(三日月山)
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