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フロントライン(2003夏・小笠原)その7

扇池

見なきゃ死ねない? 南島

早いもので、とうとう小笠原で過ごす最後の日になってしまった。
しかも、おがさわ丸の出航が14時である為、実質は半日しかないのだ。
しかし残された時間が短いからこそ、その貴重な時間を
「ああ、帰りたくないよう」
などと嘆くのに費やしてなんかいられない。
なにしろ今日は、父島でのメインイベントが待っているのだ。


未明から幾度となく通り過ぎていったスコールのような雨は、突如として現れた二重の虹に連れ去られるように消え失せてしまった。
それと入れ替わりに登場した日差しにジリジリと照り付けられながら桟橋に向かうと、あでやかなピンク色のクルーザーが我々を待っていた。
この船で、「小笠原最高のビューポイント」とまで言われる、南島を目指すのだ。

「オコチャマの船酔いが心配で、船に乗る観光は断念したのではなかったのか?」
と聞かれたら、
「そ・そりは・・・・」
なんてオロオロするかと思ったら大間違い。
キッパリと、しかも余裕の笑みすら浮かべながら説明が出来る、堂々とした理由が生じたのだ。
「どうせイイワケだろう? キサマらが乗りたかっただけだろう?」
などと言われても困るので、誤解を恐れずに、その理由を述べなければなるまい。


前日、レンタカーを返して宿に戻る途中、道路脇の町内掲示板のようなモノが目にとまった。
そこに貼り付けられた様々な観光ツアーのポスターの中に、ついつい気になる内容があったのだ。
『ドルフィンスイム&南島 半日コース。 おがさわら丸の出航にも間に合います』
こ・これは!!

ドルフィンスイムと言うのは、まさにそのままズバリ「イルカと一緒に泳ぎましょ!」ってヤツ。
伊豆七島の御蔵島などが有名で、小笠原でも、ホェールウオッチングに勝るとも劣らない観光の目玉となっている。
それはそれで楽しそうなのだけれど、それだけならオコチャマを犠牲にしてまで参加はしない。
重要なのは、南島なのだ。

南島は、父島のすぐ南に位置する無人島で、どのガイドブックを見ても、小笠原を旅した誰に聞いても、その絶対的な風光明媚さを無条件で褒めチギってるスポットだったりする。
なかには
「ここを見なければ死ねない」
まで書いてある本まであり、それは明らかにオオゲサだとしても、そこまで言われちゃヒジョーに気になる。
学術的にも貴重な「沈下カルスト」とか言う地形で、南島の他にはイタリアに一箇所あるだけだという珍しさなのだそうだけれど、それは何のこっちゃ判らない。
しかし、キレーでキチョーなのならば、是非とも行って見たいではないか。
幻想的な南島

問題は、南島への交通手段である。
父島と南島との距離は1Km程度とは言え、当然ながら橋などは無い。
定期航路は無く、ドルフィンスイムなどとセットになったツアーのアトラクションの一つとして上陸する事になる。
そんなツアーを企画している船は何隻もあるのだけれど、「南島だけ」というツアーが見当たらず、結果的に一日がかりの乗船となってしまうのだ。
これではオコチャマがヤバいかもしれない。
シーカヤックなどで自力で上陸する手段もあるけれど、コレは更に非現実的だ。
そういう意味では、この半日コースのツアーを逃がすのは勿体無さ過ぎる。

「ねぇ、半日ぐらいならヘーキだよねぇ?」
「うん。上陸している時間も考えると、船に乗ってるのなんてあっというまだよ」
「クジラを追っかけるツアーじゃないから、そんなに沖に出る訳でも無さそうだし」
「そうそう。サカナ大好きコゾーだから、きっと大喜びするハズだよ」
「そうだよなぁ。オマエも意見を言ってごらん?」
「 (意味不明のオコチャマ語) 」
「オマエ、乗り物も好きだもんなぁ。おフネだって乗りたいよなぁ?」
「 (意味不明ながらも、何やら嬉しげなオコチャマ語) 」
「よぉしっ!キマリ!!」

と言う訳で・・・・・・
オコチャマを気遣ったのだけれど、そのオコチャマ自体に異存が無ければ、なにも親が遠慮する必要は無い。
こうして、我が家の南島上陸が決ったのだ。
えっ?
カンペキにイイワケで、しかも悪徳訪問販売のような手口だって?
ううっ・・・・・
そ・それならそれでいい。
だって、『錆びるよりは、すり切れろ』って言うぢゃないか!!
えっ?
ぜんぜん意味が違うって?
ううっ・・・・・・

ピンクのクルーザーで出発!

デンワで船の乗り場を確認した際に
「桟橋に来れば判る」
と言われたのは正しかった。
キョーレツに目立つドハデなピンクの船体は、誰が見たって一目瞭然で、他の船と間違う事など有り得ない。
すでに同乗のツアー客も集まってきていて、ほどなくスタッフのオネェチャンも登場し、
「皆さん、よろしくお願いします。まずはコチラでツアー代金を・・・」
などと言いながら、乗船客に足ヒレやライフジャケットを配ったりして一人でイソイソと走り回っている。
スッチー風というか銀行員風というか、キチンとセットされたオジョーヒンなショートヘアーで、
それでいて、大胆に短くカットされたジーンズを
「半ケツ上等!!」
といった感じで着こなす、アンバランスな姿が妙にカッコイイ。

いよいよ出航。
10数人くらい乗れるクルーザーで、後部甲板にはガラスの窓があり、グラスボートにもなっているのだ。
あの飛島の漁船風グラスボートのジェロニモ丸との天と地のような格差が嬉しくなり、ソッコーで除き窓のナイスポジションを確保するのものの、まだ港内だから何も見えない。
「いいのさ。この先が勝負なのだ」
などとヨユーをカマしていたら、ヨソのオコチャマに一瞬の隙を突かれて場所を奪い取られてしまう始末。
く・くぬぅ!!
嘆く間もなく、操縦室から船長の声が聞こえる。
「あの先にイルカを見つけました。ソッチに向かいます。」
この船長、妙にシブい日本人離れした風体で、姓は純和風ながらも名前はガイジンっぽいのだ。
「船長」と言うよりも「キャプテン」と呼んだほうが相応しい。
そういえば、このキャプテンの名前は、どこかで見た記憶が・・・・・
おおっ、確か統一地方選挙の小笠原町議の立候補者の中に・・・・・・
その結果は、ココで言っても仕方が無い。


キャプテンが示したイルカポイントには、すでに3隻ほどのクルーザーが集結していた。
それらの船からは30人は越えるニンゲンが海に入っていて、一団となってイルカと共に泳いでいる。
どうやらイルカは、親子3頭で泳いでいるらしい。
は・はやく我が船も!!!
しかし我らがキャプテンは、醒めた口調で告げたのだ。
「ウチの船は、海に入るのは交代制で3人ずつ。状況によっては途中でも中止しますから」
「な・なじぇ?」
キャプテンは、淡々と理由を述べた。
それによると・・・・・・
ドルフィンスイムの流行と共に、あまりに見境も無く大勢でイルカを追い掛け回す物だから、それはイルカにとっても決して愉快な状況ではなく、ニンゲンを避けるようになってしまったと言うのだ。
確かにそう言われれば、なんだかイルカと一緒に泳ぐと言うよりも、逃げるイルカの親子を寄ってたかって追い回しているフンイキなのだ。
「こういう事をやるからイルカがダメになる。もう小笠原のイルカはダメだ」
そう吐き捨てたキャプテンのセリフに、ちょっとフクザツな、そして妙にやるせない心境になる。
イルカはニンゲンとトモダチだなんて言っても、それは一方的なものだったりしないのだろうか。
どんなに親しい友人とだって、遊びたくない時だってあるじゃないか。
自分のキモチだけで、相手の都合を無視して追い回す行為、それはストーカーと変わりない。
もちろん、このキャプテンだって、ドルフィンスイムを企画している一人には間違い無い。
しかし、観光に依存した収入が無ければ、小笠原の住民の生活が成り立たないのも事実である。
余りにも非現実的な正義を叫ぶよりも、このような独自のルールを設けて、出来る限りイルカとの共存を考えるキャプテンの姿勢と、そしてイルカの温厚な性格に甘えようではないか。

イルカよ、出てきなさい!

船が二見湾を後にして外海を南下し始めると、やはりそれなりに揺れてきた。
オコチャマは全く問題なく、除き窓からじっと海底を覗いたりしている。
すでに次のイルカが気になった乗客たちは、海底よりも船べりに並んでアチコチを見回す事に集中していて、従って除き窓の周りはガラガラになってしまったのだ。
南島を大きく迂回した船は、それを通り過ぎて父島の南の海上に出る。
「イルカを見つけた」
キャプテンが一言叫んで船を更に加速させると、もうキリモミ状態。
幸いにもオコチャマは、その前にイネムリを始めたので、やはり寝てしまったヨソのオコチャマと共に船室に放り込んである。
船が大きく揺れるたびに、二人のオコチャマは右に左にゴロゴロと、荷物も交えて転がりあっている。
それでも全然目を覚まさず、何とも親孝行でヨロシイ。

例によって、オヤスミなさい

荒波の中を右往左往する我が船を、停船して遠巻きに眺めているクルーザーが波間に見える。
そうか。イルカを見つけたら便乗するツモリだね?
でも、もしイルカが見つかっても、この波の中で泳ぐのはキツそうだ。
「波が高いんで、ちょっと見失いました。揺れも激しいし、もうイルカは良いですか?」
「いい。いい。」
誰も異存は無い。

その名もカッコイイ「ハートロック」

船が父島の南岸に近付くと、波も少しは穏やかになった。
「アレを見て。」
目の前に迫ってきた断崖絶壁に目をやると、赤い岩が浮かび上がって、巨大なハート型が見える。
「アレがハートロックね。イルカポイントの目印でもあるんだよ」
コレは凄すぎる。
直径100mはありそうなハートなのだ。
なんだかネーミングがカッコイイのもステキではないか。
陸上からは絶対に見る事は出来ない絶景で、妙に得した気分になる。
そしたら、それどころではなかった。
その先の入江の奥の奥が洞窟になっていて、なんだかチビっちゃうほど神秘的なのだ。
「ココに船を停めるから、洞窟まで泳いでおいで」
キャプテンの一言に、ドボンドボンと海に飛び込むツアー客。
群れをなして洞窟に吸い込まれていく姿が、なんだか父島に食われる小魚のようで面白い。
老夫婦と、オコチャマの番のオトォチャン、そしてキャプテンを船に残し、
スタッフのオネェチャンも、カットジーンズを脱ぎ捨てて海に飛び込む。
ジーンズの隙間から、半ケツと共にチラチラ見え隠れしていたのは水着だったのだ。
だからどうした?と言われても困る。

海の洞窟  サカナではありません。ニンゲンです

動き出した船は、再びハートロックの前を通り、いよいよ南島への上陸だ。
しかし、問題が2つある。
その1。
この島は、観光客の踏み痕による自然破壊が問題となっていて、今は一日の上陸者を100人に制限しているのだ。
それは良い事ではあるのだろうけれど、自分が上陸できないのでは悲しすぎる。
また、イロイロなツアー船が入り乱れ、シーカヤックなど自力で上陸する人々もいる状態で、どうやって上陸人数の制限を実行しているのかも何気に気になる。

その2。
南島には仮桟橋さえなく、鮫池と呼ばれる小さな入江の奥の岩場に、船から渡し板を掛けての上陸になるのだ。
問題なのは、その鮫池への入り方。
鮫池の入り口は、それなりの船で入り込むには極めて狭いのだ。
船は左右から迫った岩の間をスリヌケて入らなければならず、水没している岩も邪魔をしていて、このクルーザーの場合で幅の余裕は数メートルもない。
しかも鮫池の入り口付近は、東映映画のオープニングを思わせる高波に揉まれている状態で、タラタラと船を進めたら波に押されて岩にブツかってしまう。
格安極小建売住宅の車庫入れなんかと比べ物にならないムツカシさであることは間違い無く、現に、頻繁に衝突事故が起こっているそうな。

鮫池から上陸!

船は、鮫池の入り口を正面に見据える位置に停船し、キャプテンは
「さぁ、行きますよぉ。シッカリと両手で船のどこかを掴んでぇ!!」
などと告げるや否や、イッキに急発進!!!!
なんだかUSJのアトラクションのような一瞬が過ぎ・・・・・・
気が付けば、穏やかな鮫池の中に浮かんでいた。
もちろん、船がブツかって海に放り出された訳では無く、無事に通り抜けた船が浮かんでいるのだ。

見なきゃ死ねない(?)、南島

上陸したら、ゴツゴツした岩肌を這い登らなければならない。
観光客用の階段など設けず、全く自然の状態で島を残す配慮なのだ。
遊覧船気分で参加したと思われる老夫婦にとってはキツそうだけれど、コレで良いのだ。
その岩を登りきれば、ウワサどおりの絶景が待っていた。
扇池と呼ばれる、小さな洞窟で海と繋がっている入り江が目の前に広がり、真っ白い砂浜がそれを囲んでいる。
なんだか、ウソっぽいほど見事な光景なのだ。
砂の中に多々転がっている白い貝殻は、大昔に絶滅したカタツムリの化石で、ココにしか存在しない貴重なモノなのだそうだ。
ううむ。
一歩間違えればシュールとも言えるこのタダナラぬ風景には、そういう逸話も良く似合う。
なにやらイワクありげな伝説を作り、恐山のようなカザグルマなんかをわざとらしく並べれば、霊験あらたかなる霊場にも見えてしまうかもしれない。
しかし、南国の明るい日差しは、そんなヤラセを決して許さないだろう。

とても貴重らしい、カタツムリの化石

扇池の奥に、小さなホントの池があり、一匹の小亀が泳いでいた。
再び半ケツ姿に戻ったオネェチャンによると、この砂浜で孵化した小亀の中で、海に帰らずに間違って池に入ってしまうのがたまにいるそうだ。
確かに、海の荒波に揉まれるよりは、いかにも平和っぽい池ではあるけれど。
「そういう場合、どうなります」
「エサがとれないんで死んじゃいます」
いたたまれなくなったのか、ツアー客の中の落武者風のオッチャンが池に入り込み、その小亀を捕まえた。
「コレって、海に返してやってもいいですか?」
「問題は無いと思います。でも・・・・・・」

海に繋がる扇池に放たれた小亀は、大慌てで砂浜に這い上がり、さっきの池を目指してしまう。
何度繰り返してもダメなのだ。
『厳しい現実から目をそむけて、住むべき世界を見誤ると・・・・』
なんて、なんだか人生教訓にでもなりそうな話だけれど、それは小亀には当てはまるまい。
生まれた途端に刷り込まれてしまった過ちなのだろうか。
あるいは、生まれる前から運命付けられた定めなのだろうか。
落武者風も遂に諦め、ヒョコヒョコと池に向かっていく小亀をただただ見守るしかなかった。
そうなる事を、半ケツねぇちゃんは知っていたのだろう。
「前にも同じような小亀がいたんですけどねぇ・・・・・」
その結果は、誰も聞こうとはしなかった。

ついに扇池へ

島の小高い丘の上に、上陸する人数制限のヒミツの答えがあった。
朝、一番乗りで係りのニィチャンが上陸し、次々と訪れる上陸者数をカウントしていたのだ。
そして丘の上に、上陸者数が制限人数以内なら青い旗、もう人数オーバーなら赤い旗を掲げ、南島を目指して来た船は、赤旗を発見したら上陸を断念しなけりゃいけない仕組みとなっていた。
赤旗が見えてしまった場合は、船長から説明される前にガッカリしてみせれば、他の客に威張れるかもしれない。
しかし、日陰の無い炎天下で、頑張って赤旗を掲げてる係のニィチャンへの敬意を忘れてはダメなのだ。

赤旗だったら帰ってください

船は南島を後にし、父島との海峡をに入る。
おおっ、目の前はウワサのジョンビーチ!!
浜には数隻のシーカヤックが乗り上げられていて、ノンビリとくつろぐ人々がコチラに手を振ってくれる。
こちらからも手を振り返したりしながら、船はゆっくりと父島に沿って進む。
あとは二見港に戻るだけで、同時に我が家の小笠原滞在も終わる事になる。

ジョンビーチ

ほどなく目の前に見えてきたのは『ブタ海岸』と呼ばれるビーチで、純白のジョンビーチに比べると、なんだか灰色にくすんだ砂浜である。
このブタ海岸も、父島にありがちな「山歩きした者だけが到達できるビーチ」の一つなのだけれど・・・・
実は小笠原にくる前から、そのネーミングが気になっていたのだ。

出発前に各種HPなどを調べて見ると、様々な説が記載されていた。

・米軍が、そこで食料用のブタを飼った為。
・海豚(イルカ)が語源であり、いつのまにか豚になった。
・正確な命名由来は、判明していない。

などなど。
しかし、実物を目の前にしても、どう見てもブタを名乗る根拠が見当たらないではないか。
なぜブタなのだ?

そんな気持ちが通じてしまったのか・・・・・・・
ナイスタイミングで、キャプテンが語り始めたのだ。
「このブタ海岸って名前は・・・・」
おおっ!
もしかしたら、何らかの手がかりを知っているのかも知れない!
「自分達が命名した」
な・なんですとぉ?
いきなり正解が判明してしまった!!

キャプテンは、その名前が示す通り、欧米系移民の子孫だったのだ。
太平洋戦争中に小笠原から強制退去させられた全島民は、1968年の返還まで島に戻る事は出来なかったのだけれど、このキャプテンらの欧米系島民だけは、終戦直後に帰島を許されたのだそうだ。
島に戻ったキャプテンらは、さっそく島の復興に取り組み、その一環として食料確保の為にブタを飼う事を思いついた。
その養豚の場所として選んだ海岸が、当時は違う名前だった、このブタ海岸だったのだ。
ブタをブタ海岸に運び込む際には、駐留していた米軍が協力してくれ、上陸用舟艇でブタを運んでくれたなどと言いながら、キャプテンは懐かしそうに目を細める。
「ブタ海岸だけじゃなくて、鮫池なんかもそう。勝手に呼んでいたら、いつのまにか地図に記載されるようになっちゃった。」

小笠原名物、見送り船団

遂に小笠原に別れを告げる時がやってきた。
まだまだイロイロと楽しみたかったけれど、おがさわら丸が二見港を出てしまった今となっては、次回のお楽しみにするしか無い。
しかし、ひとつオマケの楽しみが待っている。
それは、『おがさわら丸 見送り船団』とでも言うべき、有名な見送りスタイル。
父島を去るおがさわら丸を、大小のクルーザー、ダイビングボート、漁船などなどが、おがさわら丸を取り囲むように並走して見送ってくれる、なかなかカンドー的な光景なのだ。
シーカヤックまでもが参加していたけれど、さすがにアッというまに引き離されちゃって微笑ましい。

さよぉならぁ

「また来いよぉ」などと口々に叫びながら集団で海に飛び込むパフォーマンスを見せてくれたりする船もいて、そりゃもう楽しいの一言。
おがさわら丸の乗船客達も、甲板にズラリと並んで手を振ってそれに答える。
あのキャプテンのピンク色のクルーザーも登場し、デッキに立ったオネェチャンが半ケツ姿で、千切れんばかりに手を振ってくれる。

またきまぁす

そしたら・・・・
なんだか妙にデカい船が、その見送り船団の後を追いかけてくるのだ。
その正体は、なんと!!
ははじま丸ではありませんかぁ!!
そりゃデカい訳だ。
ははじま丸までが見送りに参加するなんて、コレはオドロかなければならない。
えっ? ははじま丸も見送りに?

しかし、さすがにソレは思い違い。
いまだに残る台風の影響の変則的な運行と、今日の大混雑によるおがさわら丸の出航の遅れが重なって、おがさわら丸とははじま丸が、ほとんど同時スタートになってしまったのだった。
おがさわら丸と違って、普段は淡々と入出航を繰り返しているははじま丸。
オコボレとは言え、いつもと違う賑やかな船出に、さぞやカンドーしたに違いない。


楽しいひと時には必ず終りが訪れる。
見送り船団も、一隻、また一隻と、Uターンして去っていく。
今度こそ本当に、小笠原の旅の終了なのだ。

その地域独特の古式ゆかしい伝統行事は見応えがあるし、イベント的なモノではなく日常生活の中に垣間見える風習にさえ、理屈を越えた感動を覚える事だってある。
それに対し、例えどんなに盛大でも、PRだけが先走ってるような新興イベントには、お子様ランチや幕の内弁当のような印象しか持てない。
それらが、イイカゲンにやってるとか美味しくないとか言ってる訳ではない。
実物を見る前から、中身が想像できちゃうのだ。
無理に取り入れられた地域性だって、肝心の特産品を入れ替えちゃえば、どれがどれだか区別がつかない。
そして集団カンニングの様に、同じ個所を皆がオソロイで失敗してたりする。
まるで『初めてのイベント開催入門』なんて本を、あちこちで回し読みしているみたいなのだ。

歴史の浅い小笠原においては、ほとんどが『新興イベント』であり、そして『新興生活』のハズである。
にもかかわらず、ヘンな型にハマったワザトラシさの無い、一種独特な、そしてなんだか心地よい世界が形成されている。
一種独特な理由は、日本でも稀な生活環境である小笠原には、『初めてのイベント開催入門』なんて本を参考にする事自体が意味をなさないからだろう。
それでは、心地よさの理由は何だろうか。
それは、観光が重大産業であるにも関わらず、ヘンに観光に媚びていないからではないかと思う。
観光客の足元を見てフンゾリかえってるという意味ではない。
至れり尽せりの設備が整ってるほうが居心地が良さそうな気がするけれど、それは違う。
過剰な観光設備の陰で破壊されている自然のカケラを見るほうが、かえって気が滅入る。
残念ながら世間では、至れり尽せりタイプの要求が多数派なのかも知れない。
しかし、小笠原という小さな世界でそんな要求に答えたら、大切なモノがアッというまに失われてしまう事を、島の人々は十分に知っているのだ。
それが何よりも大切であるのだと思えなければ、誰が好き好んでこの島に定住できるだろうか。
そういう人々の手によって守られている環境だからこそ、肩の力の抜けた心地よさを感じられるのかも知れない。

ピンクのクルーザーのキャプテンにしろ、母島の民宿のオッチャンにしろ、直接的には触れ合わなかった島の人々にしろ、みんな小笠原の歴史の最前線に立って、この島と友好的に共存できる文化を築き上げている真っ最中なのだ。

ありがとう小笠原! カンドーした!

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オマケ 【2005/12/21修正】

小笠原までの航行時間を8時間も短縮する夢の高速船「テクノスーパーライナー(TSL)」の運行が、正式に断念されたそうだ。
「見込まれる赤字分を国や東京都が支援してくれないなら、受け入れる訳にはいかない」
TSLを運行するハズだった小笠原海運の拒絶が主な理由で、その言い分は仕方ない事だと思う。
なにしろ民間会社なのだ。
年間20億円もの赤字をムリヤリ押し付けられたって、破綻するのが見えている。

TSLを作っちゃった税金がムダになっただけではない。
観光客の増加を当てにして新築された民宿など、泣くに泣けない状態なのだそうだ。
しかし、
「なんで今頃になって・・・」
というのは、誰もが考える事だろう。
「原油の値上がりがドーノコーノ・・・」
だけとは、けっして思えないのだ。
国が試算した「TSLの運行によって増加が見込まれる観光客数」は、ベラボーにヘンな数値だったらしい。
恐らくは
「TSL導入の可否を判断する為の試算」
ではなく、
「TSL導入が前提で、ソレを可能に見せる為の、帳尻合わせ的な試算」
だったに違いない。
そんな例は、TSLに限らずいくらでもある。
然るべき当事者がキッチリと責任をとって欲しいものだけれど、そのように解決した例は皆無だろう。

TSLがブッ飛んだ事によって、小笠原の人々への影響はどうなるのだろうか。
「なんだかんだ言っても、今までどおりなんだからイイじゃん」
と言うのはマチガイだろう。
TSL導入を理由に、兄島への空港建設計画を中止した経緯もあり、けっして「今までどおり」では無いのだ。

正直なところ、無責任な旅行者としてのワタクシは、「今までどおり」のほうが歓迎だったりする。
現に、空港計画が議論されていた頃、
「空港が出来る前に行きたいなぁ。ハッテンしちゃったらツマラないじゃん」
などと思っていたりもした。
しかし、コレはあくまでも無責任な旅行者の希望であって、ナマイキにも「そうあるべきだ」と言っている訳ではない。

島に暮らす人々にとっては、全く意味が違ってくる。
なにしろ、船が6日に一便しか通わない島なのだ。
本土でしか治療が出来ない急患が出た場合は、自衛隊だか海上保安庁だかの手によって、硫黄島経由でジェット機で搬送してくれる事にはなっている。
しかし、本土で暮らす家族や大切な人が危篤に陥った場合、ジェット機は飛んでくれない。
どんなにソッコーで会いたくても、最悪の場合は出航日までの6日間を待った上で、おがさわら丸の船中で眠れぬ夜を過ごさなければならないのだ。

今後の話として、空港建設計画の復活とか、いろいろな意見も出てきているらしい。
いずれにしても、小笠原にとってシヤワセな方向に落ち着く事を願って止まない。
通りすがりの我々には、それを受け入れるしか無いのだ。

おがさわら丸
おがさわら丸
( 「海の素材屋」さんより )