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秘境列島(2005GW・トカラ列島)その7
島酔い・・・・・さらば吐喝喇(トカラ)
いよいよトカラでの最後の朝を迎え・・・・・
と言っても、朝一番の船で発たなければならないので、トカラの滞在は事実上終わっている。
あとは、港まで送ってくれる民宿のクルマに乗るだけなのだ。
そしたら民宿オバチャンは、最後まで気の利いたサービスをしてくれた。
「見残した所は無い? クルマ貸すから好きなところ行って来れば? クルマは、そのまま港に乗り捨ててくれればイイから」
それはありがたく、さっそく荷物を積み込んで出発する。
ありがたいけれど、たいして時間に余裕がある訳ではない。
大篭の製塩所をひと眺めして港に行けば、すでに他の民宿の送迎車も集結していた。
この旅で4回目の乗船となる「フェリーとしま」が名瀬からやって来て、しずしずと前篭港に入港してきた。
「パァァン」
という小気味良い音を立て、船から岸壁に向かい、迫撃砲のようなモノが打ち込まれる。
これはけっしてイタズラや、ましてやキャプテンキッドの襲撃などではない。
船を岸壁に繋ぐロープは、船からそのまま岸壁に放り投げるのには太すぎるので、
迫撃砲のようなモノで、細いロープが結び付けられたゴムの砲弾を岸壁に打ち込むのだ。
その細いロープを岸壁側でたぐり寄せると、結び付けられた太いロープが船側から岸壁側に渡る事になる。
ワッカになった太いロープの先端部分を岸壁のフックに引っ掛け、あとは船のウインチで巻き上げれば、
「船は無事に着岸」
という事になるのだ。
それは何度となく見慣れた光景だけど・・・・・
なんと、岸壁側でのその作業をやっていたのは、あの少年ではないか。
それは、夕べ温泉で我が子のメンドーを見てくれた少年の事だ。
そうか、彼はすでにリッパな島の男なのだ。
昨日のカッコよかったその姿が、ますますカッコよく、そして逞しく見えた。
下船する人々、そして乗船する我々をテキパキと裁く船員達の姿は、もう顔も覚えてしまったメンバーだ。
我々が初めてこの船に乗った日から、6日間ずっと乗船している事になる。
どういう勤務シフトになっているのか判らないけれど、なんともアタマが下がる思いだ。
なにしろコチラは、ほっつき歩いたり温泉に入ったり、そして毎日飲んだくれていたのだ。
若い船員の1人のが、いつのまにか岸壁にやってきた民宿のオバチャンと、なにやら荷物を手渡しあったり親しげに話し込んだりしている。
それを見つめる我々の視線に気が付いたオバチャンは、コチラに向かって誇らしげに言った。
「コレ、ウチのムスコなの!」
さらに満面の笑みを浮かべて、もう一度繰り返した。
「自慢のムスコなんだから!」
宝島
宝島を出航した船は、まるで旅の復習でもしろとばかりに、次々とゆかりの島を渡り歩いて鹿児島を目指す事になる。
なんとも出来すぎの演出で、これで旅が終わってしまう事への慰めとしては最高のシュチュエーションなのだ。
ほどなく小宝島に入港すると、びわみわ風夫妻との再会が待っていた。
彼らは小宝島でのダイビングを終え、次は悪石島に渡って潜るというのだから、我が家よりも遥かにハードなスケジュールだ。
しかし、夜逃げ風巨大荷物まで抱えて移動する彼らにとっては、それくらいはハードもヘチマも無いのかもしれない。
一緒に潜った朱蘭さまによれば
「タダモノではない」
らしく、どういう手法を使ったのか、尖閣諸島でも潜ったというのだから恐れ入る。
小宝島からは、オフ車のライダーも、そしてポンタも乗ってこなかった。
彼らは、最短でも3日後の宝島行きか、さらにその翌日の鹿児島行きまでは小宝島に滞在する事になる。
特にライダー君の場合、バイク込みでは高額・高速チャーター船には乗れそうも無いので、この船に乗り遅れた訳ではない事を祈るばかりだ。
ポンタに関しては、誰かの逆鱗に触れて海に放り込まれたのかもしれないけれど、もう知ったこっちゃない。
小宝島
各駅停車が次に停まったのは悪石島。
ここは極めて快適な露天風呂や砂蒸し風呂の温泉があるらしく、トカラを再訪するチャンスがあったならば、ぜひとも上陸してみたい島だ。
もちろん、動く生ボゼも見てみたい。
そんな事を思い巡らせているうちに・・・・・・・・・
夜逃げ風巨大荷物を抱えて下船口に向かうびわみわ風夫妻を思わず追いかけた。
すでに別れの挨拶は終わっているにも関わらずである。
「手伝いますよ」
ワタクシはそれだけ言うと、巨大荷物の一部を抱えあげ、びわみわ風夫妻と共に、悪石島の岸壁に降り立った。
後先を考えずに、この島に魂を売ってしまった訳ではない。
ただただ、手伝いを口実に、悪石島に一歩を刻みたかっただけなのだ。
別に係員にとやかく言われる事もなく、わずが3分の滞在を終え、ワタクシは船に戻った。
岸壁は、海に並べられた人工のブロックであり、けっして島のホントの土を踏みしめた訳ではない。
しかしワタクシは、そんなクダラナい行動にちょっぴり満足をしていた。
「悪石島にも上陸したぞぉ」
なんていうニセの実績に自己満足した訳は無く、むしろ逆なのだ。
中途半端な形にする事により、次には絶対来るぞという励みを作りたかったのだ。
そしてワタクシは、このクダラナい行動に、ちょっぴりガッカリもした。
行きの悪石島で見かけて印象に残っていた
「男衆にまじり、左右に束ねた髪をヘルメットから覗かせてテキパキと働いている、1人の女性」
の正体が、髪型だけは女子高生風のオバチャンだった事を、間近でキッチリと見てしまったのだった。
悪石島
そして諏訪之瀬島。
今回の旅で、ワタクシ的には一番気に入った島だ。
そしてこの島には、イロイロと宿題を残してしまった。
作地温泉にはぜひ行ってみたいし、御岳にだってコッソリと登りたい。
そんな諏訪之瀬島が近付き、岸壁の上にはオサカナのクルマも見えてきた。
宝島で思いっきり楽しんだオコチャマは、もうそれを見ても「フネをおりる」とは言わなかった。
しかし、接岸した岸壁の人々を見て、急に身を乗り出して叫んだ。
「おばちゃぁん!!」
我がオコチャマは、諏訪之瀬の民宿のオバチャンに、妙になついていたのだ。
諏訪之瀬島を離れる時、そして通過した時には居なかったオバチャンの姿を発見し、幼児なりにコーフンしたのだろう。
「おばちゃぁん!!」
2度目の呼びかけにオバチャンが気がつき、コチラを見たかと思ったら、フイにオバチャンの姿が消えた。
どうしたのだろうと思う事しばし・・・・・・・
なんとオバチャンはアイスを片手に、我々の立っているデッキに現れた。
「どうしてた? うんと楽しかった?」
我々に気が付いてから船に乗り込み、わざわざ船の売店でアイスを買って、ココまで来てくれたのだ。
宿泊客の見送りもあるだろうに、なんとも申し訳無い。
「おばちゃん、ありがとうございます。絶対、また来ます」
親子で口々に言うお礼には何も答えず、オバチャンは照れ笑いを浮かべながら、関係の無い事を言った。
「島の店よりも、船の売店のほうがイロイロ売ってて便利なのよね」
乗客の乗下船、そして荷物の積み降ろしが終わるまでの、ほんのひと時の出来事だった。
諏訪之瀬島
我々にとって4度目の接岸となった平島。
なにやら平家の落人が隠れ住んだという云われから、そのネーミングなのだそうだ。
島内の至る所に、その手のスポットがあるらしい。
そういうマユツバ系はあまり興味が無いけれど、これだけ何度も玄関先を覗いたからには、いつの日かキチンと上陸しなければ申し訳無い気分になる。
それに、あかひげ温泉ってのも何だか気になるではないか。
そんな平島でも、やはり岸壁を舞台にした別れと出会いとが繰り広げられていた。
我々が体験してきたトカラでの物語と同様に、ココでも、一人一人がそれぞれのトカラ物語の節目を迎えているのだ。
平島と、右奥に霞む臥蛇島
ビデオを逆回しで見る航海は続き、やがて中之島。
この島でも、まるでカーテンコールのように、懐かしい登場人物が次々と現れる。
岸壁には、やはりボゼのセンセーの姿が見えた。
我々が泊まった民宿のオバチャン達もいる。
そして、休みを終えて島を離れる、送迎オネェサン・バスのダンナ様・小学生のニィチャン家族が乗船してきた。
送迎オネェサンによると・・・・・・
我々が早朝の船で中之島を出発した日、目が覚めた時には我が家のオコチャマがいなくなっていた事に気がついた小学生ニィチャンは
「あの子が行っちゃった」
などと寂しがって泣いたと言うのだ。
そんなに長時間、一緒に遊んだ訳ではなかろうに。
それはオトナには判らない、コドモどおしで相通じる何かがあったのかもしれない。
そうと判れば船室に戻り、寝ていた我が子を叩き起こす。
「おいっ、起きろ。中之島のオニィチャンが乗ってきたぞ」
「えっ? ホント?」
親子で後先になりながら、小学生ニィチャンの船室に向かう。
そして感動のご対面!
どちらからともなく走り寄り、涙ながらに熱い抱擁を交わす2人・・・・・
なんて事は無く、妙に素っ気無いのだ。
「やあ」
「こんにちは」
照れもあったのかもしれないけれど、それだけで終わってしまった。
そして、その後は船内で一緒に遊ぶ事もなかった。
やはりそれもオトナには判らない、終わりに近づいた旅での、コドモなりの過ごし方があったのだろうか。
中之島
ついに、トカラ最後の島である口之島に着いた。
我々にとっては初めて見る島で、そして一番縁が薄かった島でもある。
そんな我々とは関係無しに、船から、岸壁から、それぞれの別れのシーンがココにもあった。
船が岸壁を離れる時、ワタクシは大きく手を振った。
岸壁上の具体的な誰かにではなく、トカラ列島に、そしてそこで出会った全ての人々に別れを告げているツモリだったのだ。
そんなワタクシの隣にも、いつまでも手を振り続けている若い女性がいた。
見送りの人々の姿が限りなく小さくなっても、その手は止まらなかった。
ワタクシは、なんだか余計な事をしているような気がして、振っていた手を慌てて引っ込めた。
それは、防波堤の突端まで走りながら手を振っている男の姿と、そしてこの女性が涙を拭う仕草に、同時に気がついてしまったからだった。
口之島
トカラの島々とは比べ物にならない、はちきれんばかりの圧倒的な風格を見せる屋久島。
その横で、「我が道を行く」といった感じで、独特の存在感を示す口永良部島。
そしてあの硫黄島の姿も見えた。
やがて我が船の後方に回ったそれらの島は、
「もうトカラは終りなのだよ」
とでも言いながら、自分達の背後に隠したトカラの島々を、我々から引き剥がそうとしているようだった。
北海道からの帰りのフェリーが東京湾に入った時と同じような感覚を味わいながら鹿児島湾を航行し・・・・・・
船が鹿児島港に着岸したのは夜の8時。
これで、我々のトカラの旅は完全に終わった。
その異変に気がついたのは、晩飯を兼ねた旅の打ち上げの為、鹿児島の繁華街である天文館あたりに向かおうとした時だった。
まずは荷物を置く為にビジネスホテルに立ち寄った際、その廊下で、ふいに、めまいのようなモノを感じたのだ。
壁や天井、そして床が、なんだかビミョーに揺れている。
もちろん、地震などではない。
コレは、なんだかヤバい事の前兆なのだろうか。
その昔、北海道ツーリングを追えてフェリーの出航を待っていた時の、釧路港での出来事を思い出した。
当時の釧路港では、だいたいバイクが真っ先に乗船させられた。
ワタクシは部屋に荷物をブチ込むや否や、缶ビール片手にロビーのソファーに向かうのが常だった。
そこで旅の思い出に浸ったり、後から乗り込んで来る人々の中から、旅の途中で出会った人をボンヤリと探したりするひとときが好きだったのだ。
その時のフェリーでも、そんな感じだった。
ノンビリと乗船してくる徒歩客の流れに逆らうように、その異変は客室方向からやってきた。
二人の船員から両脇を抱えられ、一人のオッサンが下船させられようとしているのだ。
オッサンは目をつぶり、口をだらしなくひらき、歩こうとする意思などなく、さりとて抵抗する様子も無く、足は絨毯の上をズルズルと引きずられっぱなしだった。
酔っ払いにしては、そんなになる程の時間は経過していない。
おそらく、ノーミソの中の血管に、ヤバい事が起きちゃったに違いなかった。
そんなオッサンのすぐ後を、荷物を抱えた奥さんと、娘が下船していった。
夏休みの楽しい家族旅行だったろうに。
オッサンは相当ショッキングな倒れ方をしたのだろうか、小学校低学年くらいの娘は大泣きしていた。
それとは逆に、奥さんの毅然とした、妙に落ち着き払った態度が、これから先に待ち受けているであろう試練を冷静に受け止め、それに立ち向かおうとする決意の硬さを感じさせていた。
やがて平静を取り戻したロビーで、ワタクシは漠然とその家族の幸運を願いつつも、全くのヒトゴトであるとも考えていた。
しかしそれは、もうヒトゴトではないのだ。
あの時のオッサンの年齢に近付き、今では守るべき妻や子もいるのだ。
今ココで、自らのノーミソの中でヤバい事が起きつつあるとしたら・・・・・・
どうするべきかが判らないまま、その場の流れでホテルから出ると、その『周囲の揺れ』は収まった。
そのまま居酒屋に入り、小上がりの座敷に座った途端、今度は朱蘭さまが言った。
「なんだか、壁や天井が揺れてるわねぇ」
エッ? 自分だけじゃ無かった。
そう言われてみれば確かに、再び周囲が揺れているのだ。
しかし朱蘭さまは、すぐにその答えに気がついた。
「きっとコレ、陸酔いよ」
ああ、そうだったのか・・・・・
揺れる船で激しく船酔いに苦しんだ場合、下船後に、今度は周りが揺れていない違和感で具合が悪くなる事があるらしい。
それを陸酔いと言い、特に狭い空間に入ると症状が出やすいそうなのだ。
我々は船酔いするタチではないし、現に今回のフェリーでも酔う事はなかった。
しかし、朝から晩まで船に揺られていた結果、三半規管が揺れに順応してしまったのだろう。
そうと判れば、先ほどまでは妙に不安だった周囲の揺れが、なんだか愉快に思えてきた。
我々は船旅を、そしてトカラを、おおいに楽しんできたのだ。
そしてトカラとは似ても似つかない繁華街の中で、まだトカラの余韻を体で感じているのだと考えた時・・・・・・・・
思わず、『島酔い』というフレーズがアタマに浮かんだ。