AZの金銭征服
2.オカネはあなたのかわいい召使い
 召使いはかわいがってやろうではないか。
 いいかげんに扱えば、向こうも白い眼をむく。
 すべて、目下の者を立派に使いこなせる人には、オカネも悦んでついてくる。もしも、あなたが雇人に恐れられ、敬遠されるような人であれば、一生オカネはあなたを苦しめるであろう。
 金銭に関して自由自在になりたいと思うなら、いま、あなたの周囲の人間関係を根本から整えねばならない。
 これは実行である。実行しないでは、あなたの生活は一分も変化しない。私の書物はあなたを「実行」に駆り立てるものである。どうか、笛吹けど踊らずの思いを私にさせないで下さい。私が執筆に費やした時間(いのち)を殺さないで下さい。

 オカネは生きている。もし、あなたが今までに、オカネを死物とか、単なる道具だとしか考えていなかったとしたら、この際考え直して下さい。
 百円玉を一つ机の上に置いて見る。そんなにお金持でなかったら、十円玉でもいい。じっと見つめる。あなたの「かわいい召使」として、愛情のこもった目でしっかり見て下さい。
 オカネはあなたに何か語りたげな顔付きで静かにあなたを見返すであろう。心と心がかよう。そうするとオカネの気持があなたの心にしみ通ってくる。
 オカネはあなたに使われたがっている。オカネは、ひとりでは一センチも移動することができない。しかし、あなたが北海道網走にいる貧しい友だちにあてて手紙を書き、お子さんのオヤツの足しにでもと百円札を一枚同封すれば、オカネはたちまち何百里を飛んでゆく。そして、オカネはあなたに感謝する。高い世界に引き上げられて、高い役目を負わされたことに、厚く感謝する。
 オカネは、日本中、いや世界中の「同僚」に無言のサインを送って、「あなた」の所にゆくとこういう素晴らしいことがおこると報告するだろう。「同僚たち」は、ワタシもそんな好い目に会ってみたいものと、先を争そうように、あなたのふところに飛びこむ手だてを思いめぐらす。
 これは童話じみてきこえるが、全く本当である。古今東西の聖賢が、自分の体験でこれを実証している。
 ちがいは、うなずくかうなずかないか、実行するか実行しないかにあるだけである。
 オカネはあなたの善き召使である。その本性は勤勉で無私の奉仕を好む。そして何よりも「流通」させてもらいたいと思っている。
 オカネをしまい込むのは、働らき者の召使を「座敷牢」に放り込むようなものである。はたらきたくて腕が鳴っているのに、日も射さぬ部屋に放置されたら、「主人」をさぞかし怨むことであろう。
 私はムダヅカイをせよと言っているのではない。オカネの気持をよく聞いてやって、かれの望むようにしてやるだけのことである。月給を六千円にしてもらいたいと思っている女中さんに、向こうが言い出す前に、こちらから値上げしてあげれば、どんなにかの女は喜ぶことか。九州に出張させてくれないかと思っている販売員に、社長が鹿児島出張命令をサッと出せば、会社の士気はどんなにあがることだろうか。晩しゃくをやめて頂きたいと願っている奥さんに、亭主が禁酒宣言をすれば、家庭はどんなにイキイキしてくることか。すべて同じである。
 私は貯蓄反対運動をやっているのではない。ときには、オカネ君も過労のため静養を望んでいることもあろうし、また孤独をかこって多勢の仲間といっしょになりたいと願うこともあろう。そういうときは、銀行や郵便貯金に入れてやることだ。同勢をたくさん集めてこういう仕事をさせてやるんだよと言いふくめれば、静養待機中のオカネ君は、待っているあいだにも、遠方にいる友達に呼びかけて応援を懇請するであろう。このように、オカネ君は働き者である。

 オカネは本来の人間性に喰いこむことによって地位の向上をねらっているのである。この「召使」によろこばれる「主人」になるためには、あなたは本当の「人間」にならねばならぬ。
 守銭奴はオカネたちにとっての獄吏のように見えるであろう。一時幽閉されていても、いつかは脱獄して復讐を企てるだろう。オカネは生きているのだ。
 読者よ、本当の人間になって下さい。そうして、沢山のオカネにかしずかれる身分になって下さい。
 本当の人間とはどういうものか。これが大切な問題になる。その答えを箇条書きにしてみよう。
 1 人間はモノの主人公である。モノやカネに追い廻され、こき使われているのは、健全な人間ではありません。
 2 本当の人間は、天地間の万物に、くめどもつきぬ愛情と同胞感をもっているはずです。何につけてもやさしい気持ちをつちかいなさい。
 3 とくに人間同士は、何とも言えぬ深い気持ちで結ばれた兄弟の間柄です。自分のことばかり考え、人をおとし入れたり押しのけたりしているのは、どこかが狂っている証拠です。
 4 本当の人間が一番やりたいことは、自分の周囲の人たち(従って物たちも)を幸福にすることです。自分ひとり幸福で満ち足りていると感ずるのは、心の病です。
 5 宗教だの道徳だの、むずかしいことは言わなくても、人間らしい人間とはどんなものかはだれでも本当は知っています。
 6 ですから、本当の人間とは、本当の人間になりたいなと思い、毎日努力している人間のことです。
 7 以上、六カ条でピンと来ない人は、この本のつづきを読んでください。