AZの金銭征服
 「ふうむ、やはりそうだな。あんたは東南の方向に転居なさるといい。そうすると、転居後四週間以内にボロもうけの話がころがり込んできますぞ。どのくらい? いや、そんなハシタ金ではない。あなたの人相から見ると、五百万円以上の利益は堅いな。」
 こういう景気のよい宣託をたれた易者先生は、毎晩十一時になると、店をたたんでトボトボ破れ畳の裏長屋に帰る。自分自身の運勢を好転すら図れずに何が易者か、という人もあろう。運がわるいと言えばそれまでである。しかし、永久に「あがったり」の易者に運勢をたずねる人々の愚かさは、自明である。
 同じように、「金銭征服」の本を書いている私自身が、もし金銭の奴隷にすぎなかったら、この本の効きめはゼロになるだろう。
 著者の資格―これがこの章のテーマである。これが納得できなければ、この先何ページ本をよんでもムダではないか。
 私は、このAZシリーズの第三巻に『AZの教祖』という本を書いて、二十代後半のひどい窮乏生活のことを詳しく述べた。それは全くのドン底であって、私は練馬の下宿で、コッペパン一つと生大根をかじって何週間も生きていたこともあった。しかし、そのころから、いやもっと昔、物心ついたばかりのころから、私は貧乏生活を目のかたきにしたことは一度もなかった。貧乏はむしろ私の全生命をふるい立たせてくれた恩人である。私は貧乏において心を汚さなかったし、賤しい気持になることもなかった。
 私がオカネの問題と真剣にとっくみ出したのは、一九五七年の暮、六年間つづいた高校教師の職を棄て、儲けること一本に切り替えてからである。柄にもないと人は笑った。しかし、人間に柄などあるものかと、私は挑戦的に商売の世界にとび込んだ。十万円で建てた会社の名前も、AからZまで何でもやるぞという意気込みでAZとつけ、漢字では「英瑞」と書くことにした。翻訳が本業であっても、苦しまぎれにK大学のアンチョコの製造などもやり、みずからインキにまみれながら謄写りんてん機を廻した。大学を出てあんなことをしなくてもいいのに、と母親は嘆いた。妻は呆れて批評の言葉も出ないほど。とにかく、それは妄執の日々であった。三国人からゴム・サンダルを安く仕入れてアメリカに輸出しようと意気ごんだこともあったし。
 結局、すべては骨折損のように見えた。不渡り手形の連発で私は神経をすりへらすに到った。やりくりは私の苦手である。金への執着心は本質的に私のなかに無かったから、手にいくらかでも金があれば、最初に来た借金取りに有りがねを差出した。第二、第三の借金取りは私に噛みついた。苦しまぎれに私は噛みつき返した。地獄の火である。思いがけずお金が入る。サツタバで頬を叩くようにして払ってやっても、相手はたちまちニコニコ顔になる。そのさまを、私は奇異な想いで眺めた。人間ってこんなものなのか。
 やっぱり柄に合わなかったようである。私の気持は自然と「儲け仕事」から離れた。元どおりの道にもどったようであった。しかし、よく見るとそれは単なる「逆もどり」ではなかった。
オカネのつらをしげしげと見てきた私は、もう昔の私ではなかった。
 金と縁がついた、といえば一番早いか。
 オカネの「けつ」を追いかけ廻さなくなった私に、逆にオカネがなびいて来だした。これは新しい発見である。以前の私にはそんなことはなかった。私と金とはいつもソッポを向き合っていたし、つきあいも他人行儀であった。それがグッと変った。昨日の敵は今日の友、というような変化が来たのである。
 私はオカネにお出でお出でをする。すると「ハイハイ」と言ってやってくる。もっと優しい声で「こっちへお出でよ」と言うと、電光石火、かの女は私の膝にとび上ってくる。ネコかオンナか。これはどうしたことであろうか。たしかに私は何か大きな体験をしたらしいのである。そしてうまくゆけば、この「体験」をことばでほかの人に伝えられるかもしれない。それが成功すれば、オカネを召使いに変えたがっている沢山の人が、私のように苦しい目に合わずに、結果だけを甘い汁として吸えるのではないか。私はそう考えて、この本を書き出した。
 相変らず、私は株式会社英瑞カンパニーの社長をしている。しかし、私は完全に実務から遠ざかり、なんとなくゆったりと、閑をもてあますような(心境として)毎日を送っている。竹馬の友が専務としてすべてを取りしきっている。三人の社員がどうにかメシを喰えるようになった。私は給料を辞退しているが、会社は発展しているから、そのうち給料のほうで向こうから来るであろう。
 私は労役をしない。自分の心と身体に鞭を打つようなことはやらないことにした。好きで気がすすむことしかやらない。私の仕事は遊びであり趣味である。それ以上は苦役になるからやらない。要するに、私は私の「人間」を大切にしだしたのだ。そして、こういう心構えが身につくにつれて、オカネがますます喜んで向こうからやってくるようになった。
 タナからボタモチ? そんなにうまくはいかない。私はたえず動いている。魚が池の中を泳ぎ廻るようにのびのびと。すると、向こうから、仕事という形を取ったり、寄付という形を取ったり手を変え品を変え、オカネ君がやってくる。物もやってくる。テトロンって好いなあーある日ふとそんなことを思って、あと忘れていると、だれかがお仕立て券つきのワイシャツ生地ををもってくる。テトロンと書いてある。
 私たちは物に取り巻かれて生きている。目をつぶったって仕様がない。いいものはいいなと褒めてやればいい、欲しいものは「キミを欲しいな」と言えばいい。そうすると、そのうち、都合をつけて向こうからやってくる。なにもリキむことはない。世界はそういう仕組みになっているらしい。
 その仕組みを、私は私につかめる範囲内で説きあかそうと思ったのだ。私に「資格」がないとは言わせない。あなたが、一日だけでも、私とからだを交換すれば、すぐ分ることなのだ。
 私が銀行に数千万円の預金があるとしても、それは大した資格にならないであろう。金を集める才能やコツの問題ではないからである。私の目的は金銭に関して自由になる道を説くことなのである。相手は日給三百円のヨイトマケさんでも、日給五万円の課長さんでも、だれでもいいのだ。それぞれの立場において、益を得るはずである。
4.易者のあがったり
5.貧乏はウリモノにならない
 AZシリーズ第三巻『AZの教祖』の読者から、毎日賛否こもごもの感想が送られてくる。特にこの本はプラスの極限とマイナスの極限の距離が大きい。
 岐阜の日野誠氏のように厳しい批判者になると、
「汚物処理場をのぞかせられた感あり。バパ来日以来、すっかり変貌された貴兄を、今なおそうかと誤解を招く懸念あり。これは極めて損なものを発表したというの外なし。もしまた、今日もなお、こういう汚物に興味を持続するとなれば、むしろそれが問題ではないでしょうか」
 と、なかなか鋭い切り込みかたである。
 あの本のなかには、私の悪徳盛んなりしころの、仮借なき自己解剖をぶちまけてあるので、そういう批評も無理はなかった。
 他方、東京港区の主婦(四六才)Kさんの批評のように「胸が一パイになって何も感想が書けない人間もあるのです。書けばうそになりそうです。読者の反応がなくとも書く必要が、あなたにはあるようです。書くことによって浄化されていますね」と言ってくれる人も、何人かいた。