AZの金銭征服
AZ時代;リスト
9.網代に来て
 原稿用紙を百枚買って東京を去った。
 十一月二十日、金曜日、午後三時二十一分東京発伊東行である。勤労感謝の日が隣り合わせになって、このさき日月と連休であるが、私のスケジュールはおのずから世間のそれとは異なって、温泉地に向かう人の姿はまだ駅頭にチラホラであった。
 一駅一駅丹念に停まってゆく列車は実直そのもの、途中学校や会社のひけどきにぶつかって、沢山の人が乗ったり降りたりしたが、熱海の辺まで来ると、さすがに車内も空席が見られるようになる。
 今日の私はいつになく静かで、隣りの座席の人と話を交わすこともなく、ただ黙々と窓外の景色に目をやったり、乗降客の動きを眺めたりして、夜のくるのを待っていた。
 逃げ出してきたような想いである。
 この半月、私の周囲におこった仕事の浪はすさまじいものだった。現に今日も、朝から『産経新聞』で冒険学校の記事を読みましたといって、見知らぬ中老の人の来訪を受け(その人の話はまた面白いので、あとに述べるが)、ひろごろ東京出発の予定がどんどん狂い、いざ出発というときには、近所の高校生が英語の手紙をすぐホンヤクしてくれと頼みにくる。幸い短いので三十分ぐらいで和訳文を書きとばすと、四百円お礼にと置いてゆく。
 オカネはもう要らないのに、向こうもさるもの、逃げる敵軍に追い討ちをかけるような工合である。
 一刻もぐずぐずしていられないと、旅行鞄をひっつかんで八十円のタクシーを渋谷まで走らせた。

 汽車が網代についたのは六時ごろ。海が鳴っている。例によって、交通公社などの厄介にもならず、気まぐれの一人旅行だから、待ち人を探す手間もいらず、小用をすましてから、駅の前をぶらぶらしていると、声がかかる。
 「お客さま、宿はどこかにお決まりですか?」
 「いや別に予約はないが、名前がいいから金星館にでもしようと思っている」
 「キンセイ? キンボシですか?」
 「ああ、キンボシか」
 お金に関する本を書いているのだから、縁起よしと思ったのだが、キンボシという読みかたは私をいささかがっかりさせた。クロボシだのシロボシだの、相撲を連想させたからだ。
 その番頭さんは、網代も東にはずれた「白とり荘」の人であった。よろしかろうと案内をたのむと、愛想よく私の鞄を自転車の荷台にのせて、先に立った。
 海岸ぞいに、暗い岸壁の道を歩く。
 たたきつける波はなかなか烈しく、道の一部にはしぶきがかかっていた。私たちは、その潮しぶきを避けるようにして、波打ちぎわから少し離れた「白とり荘」についた。
 好い名まえである。海の青、空の藍に染まずただよう白鳥の、清らかなにこ毛に包まれて、ひと夜を明かすのもいいではないか。
 私はとにかく憩いたのである。

 『金銭征服』だのという勇ましい本を書き出したばかりに、私の環境は今宵の海のようにしぶきをあげ出し、この数週間つぎから次へと、ビジネスが私のまわりにヒシヒシと迫ってきた。

 まず、ニューヨークのバイヤー、アーノルド・オーシン氏との関係だ。自動車の把手などのダイカスト製品を買付けにきたきたオーシン氏に、約一週間つき添い通訳を勤めた。一時間五百円、忙しい日には十時間もはたらく。相当の荒稼ぎである。オーシン氏が大阪に旅立ってヤレヤレと思っていると、義妹の前田樹久恵嬢が新製品ズーム双眼鏡の輸出先を探してくれと頼みにくる。今まではドイツの独占製品で、アメリカなど二百ドル(七万二千円)で買っていたというのが、日本でわずか二十五ドル(九千円)で輸出できるといういう。世話してくれれば五パーセントの謝礼、一万個出ればポケットに四百五十万円・・・皮算用はとにかく、オーシン氏にでも話してあげようと返事をする。
 それから数日して、今度は前から交際のある中国人の貿易商苑国平氏から電話があって、新事業を始めるからすぐ御来駕乞うと来る。神田の紺屋町の事務所に行ってみると、まだ日本では誰もやっていないが、アメリカ相手の通信販売をするという。品物は日本独特の民芸品、利幅は大きいが、市場開拓のアイディアを提供してくれ、渉外を担当してくれという話。顧問料はいかほどなりや、と向うは性急に切り込んでくる。カネのことはオカネサマのほうに聞いてくれといいたいところだが、それは抑えて、「まあ、それは任しますよ。友人の間柄だから」と答える。それではタイピストを一人雇うから、その人選を先生にとたたみかけられて、つくづく、このAZなる人助け商売はいそがしいものだなあと、独りひそかに嘆息した。
 そうかと思うと、こっちは何も手を打たないのに、私が校長をしている「日本冒険学校」のその後の発展を知りたいと、サンケイと毎日の両新聞が私のあとを追っかける。写真を取られたり所感の一端を述べたり・・・。今日、東京逃亡のその朝、サンケイの朝刊には、ほとんど1ページを使ってデカデカと出ている。
 ふうむ、こりゃまた、全国から志願者が殺到するぞ、と唸っていると、電話が鳴る。冒険学校に二千坪の土地をタダで獲得しようと骨折って下さっている山岸金四郎老人からだ。山口シズエ代議士から側面援助を受けつつ、これから数人で大蔵省に掛け合いに行って下さるという知らせ・・・。
 何もかも有難いが、いかなるリンサンでも、これでは過労も局限に達する。幸い、ふところは暖かい。三泊四日の予定で東京を離れることに決めたのも理の当然ではないか。
 私はまだまだ悟りの域には遠いらしく、数ヶ月前から首すじと肩がものすごく凝る。こるというのは、やはり私の生活が完全にホドケていない証拠なので、いまだしと自分に言い聞かせ、スブド修練はほとんど毎夜のようにおこない、身と心を柔軟にして無理のない生き方ができますようにと、神のみちびきに身と心をゆだねることは怠らぬが、そうこうするうちに、猛然独りになりたい気持が湧いてきた。
 それが妙なもので、数日前から三つ四つ候補地をあげ、いろいろと計画を立てるが、どうも決まらない。こんなことを言っても、読者は信用するまいが、実は家を飛び出す三十分前に網代行きはきまったのである。


 静かである。
 明日は土曜日のこととて、何組かの団体客が来るという話だが、今夜は私の借り切りのように二階から地下の浴室まで、途中の部屋はどこ一つ明かりがついていない。東京に近いくせに、ひなびた温泉地である。最低が一泊千円ぐらいのようだが、東京の人で伊豆まで足を伸ばす交通費と時間を考えれば、安上がりである。ご家族連れでいつかは網代に――これはコマーシャルである。“春日の間”から見える丘の中腹に「かねうみ」という新しい宿が建っている。これは南熱海・網代の宣伝リーフレットにものっていないくらいだから、人の知らぬ新築旅館であろう。
 まあ、もう一風呂あびて・・・。