AZの金銭征服
AZ時代;リスト
 「もうける」という作用は、身心が健康で活動している人なら、だれでも必然的に伴うものではないだろうか。一銭ももらわなくても、活動して、人々に便益を与えたら、その分だけ他人のために「もうけた」のではないだろうか。
 もっと突っ込んで考えれば、こうやって世に生れ出て、這いも歩きもできない赤ん坊から成長して、なにやかや動いているその原動力(神と呼んでもかまいませんか?)が、「諸人」のなかに人生を創り出し、人間が生きてゆけるものを「設けて」くれているのではないだろうか?
 大本が自分の背後にあるのだったら、何も、自分だけが「もうけて見せる」と気張らなくてもいいではないか。
 おそらく、天には天の計画が緻密に組まれてあるのだろう。ニ川新さんのような自由人でもその人のふところには、何千万円という金は動いていない。幅跳びでも、三米もとべない脚もあれば、五米は楽だという脚もある。それぞれ持ち前がちがうのである。
 だからと言って、月に三千万円もうける人間が、三千円しかもうけない人間より偉いとは言えないであろう。役分である。馬の脚を勤める役者は、もしかすると一生主役にはなれないかもしれない。しかし、それでいいのではなかろうか。そのままで整然と秩序が出来ているのだから。
 そこで結論は、この本を書いている私も、読んでいらっしゃるあなたも、人間の「もうけ」をあまり考えないで、天の「もうけ」神様の「もうけ」(設け)が出来ているらしい。それが分らないあいだは、人間というチョッと足りない動物は、自分のチッポケな力で、何かを「設け」ようとする。たいていは骨折損におわる。
 むしろ神の「設け」た宴席につらなって、ご馳走をタラフク喰うことを考えよう。そのほうが気楽であるし、余分のエネルギーを使うこともない。
 金銭も制服の必要なし、ということを初めのほうに書いたはずである。オカネもこの「設け」の仕組みに入っている。安心である。ただクウクウと寝息を立てて眠ることである。私も眠くなった。十二時二十分である。波音は相変らず強いようだ。




 ソンナモノが、アリマスカネ?
 この題名はエサである。おびき寄せてゴツンと脳天に一発くらわすためである。うっかり読んだ者は災難だ。
 (気転をきかして、もうここでストップ、この章を飛ばす人は賢明です)
 さて、じゃ、始めるとしよう。オカネを集めたい人だけ、私の前に並んでもらいたい。整列が終ったら、私がひとつ質問を発するから、めいめい勝手に、だれが先でもいいから、答えてくれたまえ。

 問題 なぜ、君はオカネを集めたいのだね。
 私の耳にきこえたものを記録してみると、

 答の1.だって先生、あたしたちの所では貯金通帳が一冊もないんですよ。主人の月給じゃとても食べてゆけませんし、そうかと言って、あたしもそんなにたびたびは里に無心にも参れませんもの。この先、子供も大きくなり、高校だ、大学だということになったら、どうすればいいんでしょう。心配で心配でたまりませんの。主人は身体が弱いので、いつ倒れるか分りませんし、もし万一のことでもあったら、頼りになるのはオカネだけでございますわ。どこかからオカネを集めて、家作でも持つか、小さい商売でも始めたいんです。

 答の2.おれか、おれは今の女のようにミミッチイことを考えていやしない。おれは苦学をして東京の大学をどうにか出た。郷里で小学校の同窓だった連中のなかには、財産のおかげでおれよりずっとラクな道を通り、今では一流の会社に就職してうまいことやっている奴もいる。おれもやっとのことで就職したが社員四名という豆粒会社だ。あすの命も知れないよ。会社がつぶれりゃ、またおれのことだ、ニ三日水ばかり飲んでいたって、結局またどこかに口を探すだろうな。そういう点、おれは雑草のような生活力を持っている。しかし、こんなことを一生つづけたって、ウダツがあがらないのは分かっている。社会の下積みに一生甘んじる気持はないな。おれは今、すごいアイディアを持っている。七十万ほどの資本があれば、人々をアッと言わせる新事業ができるのさ。おれは、同郷の秀才たちのハナを明かしてやりたいんだ。いくら高級サラリーマンだって、長のつくところまでゆくのには何年もかかるだろうよ。おれのは、アッというまの勝負だ。絶対に成算がある。今に見ろ、だ。残る問題はカネだ。なあ、リンサン、七十万出す資本家を見つけてくんないかな。

 答の3.その人もみんな結局、自分のことばかり考えているんですね。ぼくの金集めの目的は全然違うんです。ぼくは小さいときから歴史物語を読むのが大好きで、家が代々医者だったもので、特に昔からの医療制度がどうなっていたか、それを研究するのが好きでした。ぼくが強く印象を受けたのは、昔は医は仁術というのが常識で、金取り主義ではなかったことです。光明皇后はみずからライ病患者の世話をなさって、自分の口で患者のうみを吸われたということまで記録に残っています。当時は朝廷が無料で病人の世話をしていたのですね。あれが本当だと思うんです。
 というわけで、私は一番純粋な形で、無料の施病院を建てたいのです。施病院などというと、貧乏たらしい感じがしますが、私は東京の聖露加病院にも負けないような立派な施設を建てたい。もちろん、ここでは健康保険の恩恵にもあずかれないような貧窮者のみ引き受けるのですから、収入なんてビタ一文もありません。何億もオカネがかかるでしょうね。それに医者や看護婦を養う維持費も、毎月大変です。としても、日本だけの金持を相手にしていては、これだけの財源はつかめません。私は今ウォール街の億万長者を動かして、巨大な外国資本の導入を考えています。・・・・・

 どれも、これも、尤もである。第一例の、チマチマした小市民の奥さんの生活不安も分るし、第二例の一旗あげたい苦闘派の気持も分る。第三例となると、純粋さも極端に走って、ちょっと誇大妄想のニオイがするが、これも立派なものだ。
 人間の欲望や野心のスケールは実にさまざまで、第三の青年に第一の主婦のような気持を持てといったって無理だし、その逆も不可能だ。だれにも、おのずから天から与えられた分(ぶん)がある。
 私はスケールの大小は問題にしない。それぞれ懸命に「課題」と取っ組んでいる。そして、どれにもそれぞれの形でオカネの問題がからんでいる。私は、万人に共通な問題だけを取り上げたいのだ。慾はいくら大きくても結構、なにもやましいことはない。小さい慾も、べつに軽蔑するには当たらない。アリがカブトムシより劣っているということもない。天は一視同仁である。
 ただ、ここで一つ注意したいことは、奇妙にも、夢と野心のスケールが大きいほど、実現はかんたんだということである。それは、第一の例のように、アパートでも建ててそのアガリで一応の安定を確保しようと願っている人々の数は、案外に大きく、社会の大部分を占めているのに反し、第三の青年のようなタイプは暁天の星のごとく少ない。そして、この稀少派は、最初お話に
13.お金集めのコツ