AZ時代;リスト
つまらぬが、だれでもこのコツを会得すると旨く行くから不思議である。
 まず女房が濃厚な感化を受けだした(ムリもない)。最初は見よう見まねだったが、そのうち堂に入ってきた。いわゆるヤリクリや支払計画を立てようとすると、アタマが痛くなってくる。そこでやめるとスーッとする。
 なにしろ収入計画がたたないのだから、支払計画をやろうと思ったって無理である。ちょうどメシを喰わないでいて、便所でリキむようなことである。
 妻はそのうち、無計画のなかには不思議な叡智がひそんでいることに気づき出した。われわれがいつも使っている心(顕在意識)の奥のまた奥に、あらゆる人間の心とつながっている海のような大意識がある。フロイドの潜在意識の底をもう一枚突き抜けたところに、その不可思議がある。ユング博士が「集合無意識」と呼んだものがそれに近い。
 この「大きな心」は、今月の二十日ごろに思いがけぬ七千円という金が四国の友人から入ってくることも知っているし、二十三日に予定に洩れていた遠くの酒屋が五年前の集金にやってくることも知っている。何でも知っている。しかも、そういう予知能力だけでなく、創造能力も持っている。たとえば、リンサンの家庭で今度小学校にあがる子供がいるから、三月には相当の出費がある。よし、足立区の三上さんのポケットに五千円ほど余分のオカネがあるから、これを廻してやろう。それには、あいだにこういう人を立てて、その人経由で渡してやろう。着々と工作が進む。ちょうど、そのころ三上さんのオイに当る山口君がシカゴ大学の入学許可を取り、大使館に申請書を出す必要にせまられていた。専攻が動物学なので、法律的な英語を書くのはニガ手である。だれかに頼もうと思っていた。伯父の三上さんの親友に元外交官の岡島氏がいたことを思い出し。頼みに伯父さんの所に行くことにした。
 「ホウ、それはめでたい。おまえもいよいよ洋行か。よしよし、早手廻しだが、センベツ金としてすこし小づかいをやろう。アメリカ人の間で恥ずかしくないような身なりを整えなさい」
 白封筒には千冊が五枚。ところが、山口君はアメリカ大使館に提出する書類のほうが気になっている。
 「フウム! 翻訳か、おれには出来ないしな。まずいことに岡島のやつはアラビヤ石油の仕事に一役買って、先週羽田から出発したところだよ。サア、どうするか」
 山口君はセンベツだけはありがたく頂いて下宿にもどり、英文科の先輩のところに電話をかけようと心に決めた。下宿の小母さんから電話帳をかりて調べているうちに、うっかりペン先からインクを垂らして、あるページをよごしてしまった。
 「シマッタ!」と、その黒くなったところに目をすえると、少し下の所に「翻訳は英瑞カンパニーに」という広告をみつけた。
 「アリャリャ、っこれは都合いいぞ」
 (421)86xxに電話すると、リンサンが出て来た。
 「何ページぐらいですか?」
 「原稿紙で十枚ぐらいありますね」
 「一語三円として六千円ほどと思いますが、留学前だからオカネもいるだろうし、五千円にしておきましょう」
 三日後、足立の三上さんの五千円は、ついにリンサンのポケットに収まった。その後、奥さんの鶴子さんが、
 「あなた」
 「何だい、お金か?」
 「ええ、よく判るわね」
 「そりゃ、十年もいっしょに暮らしているんだから判るさ」
 「あなた、竜の入学で五千円はいるのよ。ランドセルが二千円、洋服は間に合うとしても、下着を揃えてやるのに・・・」
 「いいよ、いいよ、五千円いるんだろう。ハイ!」
 「あら、今朝あなた文無しで、タバコ代百円貸せとおっしゃったばかりじゃない?」
 「そりゃ、そうさ。しかし人間は朝と夜では、大分違っている。必要な時には入るものさ」
 「アラ、そうね」

 こんなわけで、すべて旨く行く。これは毎日の体験を、小説体にまとめたもので、簡単化していあるが、実際はもっとデリケートに、微妙に、もっとすばらしくわが家の経済生活は進行している。ウソじゃない。私と一しょに三日生活するとわかる。

 私は清水昭のことを書こうとしたのに、ペンは勝手に走ってもう十三枚目を書いている。人生いつもかくの如し。章を改めたほうがよさそうだ。





 『週刊朝日』一九六〇年二月十四日号の“太平洋テレビという会社”という記事をにらんで、この章にむかっている。
 社長一名、社員一名のゴマ粒会社から、わずか二年で社員百二十九人の大会社になったこの太平洋テレビのワンマン社長清水昭氏のことについては、すでに7章で筆をつくして褒めちぎった。
 それが今や、マスコミに吊るし上げをされる破目に陥り、二年間に八百人をクビにしたとか、社員あての信書を勝手に開封するとか、あることないこと書き立てられ、気の毒な気もする。
 この人物はたしかに現代の敵役で、憎まれっ子である。私の知り合いにも、ここの社員が一人いて、清水氏と同じ北海道から飛び出してきて、強引に坐り込み戦術で喰いさがり、社長宅訪問無慮X回という粘りかたで、とうとう社長秘書にとり立てられた「女の子」もいる。
 その他、いろいろの筋から、清水社長がいかにワンマンであり横暴その極に達しているかをよく聞く。東洋古来の礼儀など歯牙にもかけぬのか、自分の父親ぐらいの年令の社員を小僧っ子みたいに叱りとばすそのさまは、まことにスサマジイ限りとか。
 それでも、私は憎めない。キリストや仏陀の教えと丸っきり反対のことをして、浮き世を押しわたってゆくこの「暴れん坊」が、たとえ地獄行絶対確実の身分証明書をもっているにしても、私はこの男を「罪人よ」と罵る気持はない。
 かれもまだ若いのである(三十五才)。今のうち、うんと叩かれて、出来れば牢屋にでも放り込まれたほうがいいのである。才智と胆力を人の何倍も持っている人間は、善きにつけ悪しきにつけ、人が十米走るあいだを一キロも二キロも駈ける。神経病でそこらをヨタヨタよろめいている人間より、よほど見込みがある。雑誌記者の質問に答え、次のように放言するこの男。
 「社員百二十九人の現在まで、うちでは新聞広告一本で社員を採用してきた。保証人もなければコネもない。行きどころのない連中を会社に入れてやっている。こんな“社会主義的”経営者がどこにいるのだろう。
 新聞広告の採用だから、当然、玉石コンコウだ。だからポストをかえて、いろいろやらせてみる。それでもダメなら、やめてもらうほかない。これだけたくさんの人間をつかっていても一人としてほんとうの人間にめぐりあえぬ、というのがおれの最大のなやみなんだ」
AZの金銭征服
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