第一 心にゆとりのない人間はケチなり
第二 何でもオレサマを勘定に入れてもらえないと気のすまぬ人間はケチなり
第三 自己を責め、他人を責める人間はケチなり
第四 自分はロクでもないやつだと思い込んでいる人間はケチなり
第五 自分はトテモ偉い人物だと思い込んで、暴君になっている人間はケチなり
まずケチ性を治療せよ。そうしたら、金欠病も治る。この章は16章の変奏曲である。
AZの金銭征服
ケチの公理
26.値切る必要はない
AZ金銭哲学による人間評価基準によって九十点以上の人の生活を、スケッチしてみよう。逆を言えば、これから述べるようになれば、九十点以上のグループに入り、物質的に不自由ない生活が得られるということだ。
かれはまず値切らない。
値切るヤツは、またどこか別のところでウンと他の人に値切られる立場に置かれるから、結局かえって大損である。
決して高いと言わない。また安いとも言わない(ここは特に大事だ)。高い安いを超えているからだ。
もし、きみが靴屋なら、
「ハア出来ました。修理代は六百五十円です」
「高いなあ! ぼくは五百円しかもっていなんだぜ」
「そうですか、じゃあ五百円でいいです」
値切らない人間は、このように値切られる場合になると、風を柳と受けながすだけである。
「五百円、そりゃヒドイよ、旦那。せめて六百円はおいてって下さいよ」
これも値切りの一種で、下等人のやることだ。こんな店に二度と客はこない。ズボンのポケットから帽子の裏まで探して、やっと百円みつけ、靴屋の顔に叩きつけたのはいいが、帰りはバスにも乗れず、二時間歩いて帰ったということになれば、「アンチキショウ、こんな店、二度とくるものか!」という気持ちになるのは当たりまえ。
その怨みの念波が、しばらくその靴屋の店先にただよっていると、三十分後に五千円のハイヒールを買いに来た客が、@「アラ、この店なんだかヤな感じだわ。やっぱりデパートで買いまショ」なんてことになる。
百円追加に奪い取ったため、五千円の大損をしたのである。
反対に、風を柳と受け流す靴屋さんには、また同じ客が来る。友だちまで引っぱってくる。
「あの店、値切るといくらでも安くするぜ」
「へえ! お人善しだな。じゃ、オレの靴持ってゆくか」
二人で来る。いらっしゃいませ。
「今度は三百円で修理してくれ」
「ハア(皮代にも足りんわい)」
「やってくれるね」
「ハア」
三日して、また来た。二人連れである。
「ぼくのできたね。ほんとに三百円でいいの? アレ、友だちのより皮のいいの使ってるじゃないか!」
「ハア」
「三百円で本当にいいのかい?」
「ハア」
「いや、だめだ。やっぱり悪いや。友だちのと同じ値にしてくれよ、小父さん」
「ハア」
このハアは実に強い、天下無敵だ。そのうち、二人の学生君、すっかり靴屋の小父さんと仲良しになって、ときどきウィスキーの小瓶をもって呑みにくるようになった。
「こんにちは」
また、二人でやってきた。
「いらっしゃいませ」
「商売どうだね? 小父さんみたいなやりかたで儲かるかなと、心配して来たよ」
「ハア」
そのうち、どこかの奥さんがコリーを一頭連れてご来店になった。
「この靴はおいくら」
「七百五十円でございます」
「じゃ、これで」
「はい、ではすぐお釣りを…」
「いいのよ、あとは」
そのまま、サッとお帰りになる。靴屋はそのあとを追おうともしない。
「ハアン!」
こんどは二人の大学生が呆れる番だ。
「ああいうのもいるんだね、小父さん」
「ハア、ありますよ。人間にはいろいろと…」
「すると小父さん、二百五十円もうかっちゃったね」
「でも、このあいだ、あなたがたに合計三百円値引きで差上げていますから、まだ五十円は損しています」
「なんだい、おれたちのせいにするなよ」
「でも、こうやってウィスキーをご馳走になっていますし、話し友だちもできたし、結局あたしはずいぶん得をいたしました。ハッハッハ」
はじめて哄笑が出た。二人の学生も顔を見合わせ、なんとなく嬉しくなり、
「ハッ…ハ、ハ」
そのうち調子が出て、
「ワッハッハッハ」と爆笑になった。何となく笑うのはいいものだ。
ノート一冊でも、Aの店で買おうと思って正札を見ておいたが、時間の都合で次の日にのばし、ふとBの店でガマ口を出したら、五円よけいに払わされた――こんな経験はだれにもあると思う。
こういうとき、いったいあなたは損をしたのか?
洋服工場を経営している木茂野氏が、産地にウール地を買付けに出かけた。出発予定の日に、運悪く小さい娘が崖から落ちて腕を折った。病院にかつぎ込んだりして、出発は次の日にのびた。
汽車を降りてすぐ問屋に電話をすると、原毛の関係で、今朝から布地が大はばに値上がりしたという。
「チェッ!」 舌打ちした木茂野氏は、いったい損をしたのか?