AZ時代;リスト
AZの金銭征服
 時計を見ると、もう朝の二時半、真夜中すぎて浜に出て、煙るような銀河を仰ぎながら、三十分ばかり魂の歌をうたい、星たちと語ってきた。
 宿にもどると、女中が、何となく嬉しそうにそばに寄ってくる。
 「静かなかたね。いい人って、みんなこんなに静かなんだわ。こないだ会ったあの人もちょうどあなたみたいだった…」
 と独り言のよう。
 そりゃそうだろう。私がいつも独りになって、魂の歌をうたったあとは、あたまのなかの雑音がすっかり静かになって、からだ全体が透明になるような気がするからだ。そして、私の身体から出る「波動」は周囲の人に影響を与える。
 二人で静かにしていると、女中部屋から四十代のオバサン女中の千代さんが、
 「おとうちゃん、寝ましょうよ」
 と声をかける。
 「おにいちゃんと言ってくれりゃ、寝て上げてもいいがね」
 私の無邪気さには取りつく島がないようだ。みんな静かになる。このオバチャンは夕方に芸者遊びをしたとき、私の小指からメノウの指輪をせびり取った人だ。
 「この齢になって、指輪ひとつないのよ」
 とこぼしたその声の淋しさに、私の指輪は勝手にスルスルと千代さんの指にはまった。ほんのニ、三時間まえに、「女ものなのに…」と変な顔をする土産物屋の女の子から、四百円で買った淡緑色のメノウである。なんとなく欲しくなり、なんとなく左の小指にはめていたのだ。千代さんのものになるとは、私も指輪もご存じなかった。
 四百円でも四万円でも、同じことだと思う。物はそれ自体の意思でアチコチに動きたがる。その通りにしてやれば、物もよろこび、人もよころぶ。それがコツだね。

 “巻きもどしをしない人生”と、この章に題をつけたが、私の本は書きっぱなし、人生も生きっぱなし、物は買いっぱなし、オカネは使いっぱなし、そして何もかもやりっぱなしだ。
 この本『AZの金銭征服』を書き出してからの私は、どんどんこの方向をたどって行き、問題を解決してしまった。第一章を書いていたころの私は、まだ物質的に不自由だったが、この道を行けば大丈夫という真理のダイヤモンドだけを持っていた。そしてその真理が徐々に外界にあらわれてきた。内から外への展開、それがすべてだ。
 うさ晴らしに芸者遊びをする者もいるが、私には晴らすべき「憂さ」もない。人が勧めれば芸者もあげるが、サービスするのは私のほうだ。女たちの心をやわらげ、浮き浮きさせ、飲みたい人には飲ましてやり、足りないものには足してやる。湯水のように使いまくるわけでもないが、出たいお金は出してやる。これじゃ全くのお大尽ですね。
 巻きもどしをしないと、こんなにうまく行くというお話。





 この本の出版のことである。
 タダでくれてやるような本である。あなたも私も、本当は、限りない富の所有者であることを教える本なのだから、私が何千冊刷ってタダで人々にわけてやったって、私の宇宙旅行の帳尻はビタ一文減りも増えもしない。
 前のほうで、出版の方法について、いろいろ思いついたことを書いた。実を言えば、私はその通りにしてもいいし、しなくてもいい。何十万円なければ本が出せない。それじゃつまらないではないか。
 そろそろ出来上りかけたこの「本」をじっと眺めていると、本クンがいろんなことを私に語りかける。
 「自分で読者をみつけて来ますから、早いとこ刷って下さいよ」
 ホイ来た、と私は答える。ガリ版でも何でもいいな。何十万円出来るのを待つよりも、さっさと現在の財力で出来ることをしてしまおう。
 直接には、いま雑誌『AZ』の縁でつながっている同胞が沢山いる。この人たちが、まず喜んでこの本を読んでくれるだろう。そしてその中の何人かが、立派に金銭征服のコツをつかんで、その幸福をもっと多くの人にわけて上げられるように、何万冊の本でも刷ってくれるだろう。
 私の本心は、日本中どこの家庭でも、この本が一冊ずつころがっているくらいにしたいのだが、ものには時と順序がある。私は、いろいろのアイディアをこの本に注入した。それだけでいいのだな。あとはアイディア自身がひとりでに結晶してくれる。
 さあ、出しましょう、出しましょう。
 どうやって送り出すか、などと考える必要はないらしい。いい本なら本のほうで出てくれる。さあ、出して下さい。
 楽だな。ほんとうにラクだ。
 AZ運動というものは、始めたときには何かとホネだったが、すべり出すとだんだんラクになる。最初はやらなければならぬと思ったが、近ごろは何もやらなくたっていいなというように考えが変わってきた。これは運動というものでもないらしい。何かが私の身体のなかに芽生えて、それが次第に大きくなるだけだ。モヤシがのびるようなものだ。ヒゲが伸びるようなものだ。
 私の本を読む人は、一ページ一ページごとに成長し変化してゆく。その証拠に、読む人の生活が変わってくる。この本の場合は、テーマが「金銭征服」であるから、読む人の経済生活が好転してくる。ご利益などと勿体ぶらないほうがいい。私の霊力でそんなことがおこるのじゃない。教祖にサイ銭を上げぬとバチがあたる、そんなことは誰も言わない。
 自然である。自然に何もかも変わって行く。どうも時代がそんなふうになってきているらしい。何百年何千年という物質の圧制から、人間が解放される時が来ているらしい。
 だいたい、オカネなんてものがなくなってしまうのではないかな。二十世紀の中頃に、日本国の十菱麟という男がこんな本を書いたっけと、あとでは笑い話になるのかもしれぬ。「むかしの人はいろいろ苦労したものですね」と。
 「どうやって出そうかしら?」などと、少しでも思うのだから、呆れたものである。健康な人なら、クソをするときに、どうやって出そうかなんて思うかしら? 何だってそうだ・悲しいときに、どうやって涙を出そうかなと考えるオバカサンがいますかね。
 出もの腫れもの所嫌わずというが、AZの本なんかその一つだ。自然現象なんだから、致し方がない。火山の爆発は、地球にとってのデモノハレモノである。見よ、あの凄い力。出るものは出るんだな。人間一匹どう思おうと、どう感じようと、知ったことではない。凄いな火山。凄いな洪水。凄いな台風も。
 私は台風が好きである。罹災者には申しわけないが、強い風が吹き出すと、私のなかの何ものか、魂とでもいうやつが、大喜びである。爽快と言うのか、奮い立つというのか、とにかく台風が来ると張り切ってしまう私。
 『AZの金銭征服』――この本も台風のように出て行くことだろう。何もかも消し飛ばして。すごいものである。
28.さあ、どうやって送り出すかな?