そういう人種に限ってリンサン・スタイルにヒンシュクし、ヒンシュクという立派な漢語をキチンと漢字で書かないことを下品とみ、通俗と称する傾向がある。かれらは小脇にダテの洋書を抱えこみ、テレビ文化を人類の精神的自殺と難じ、丸山明宏をオカマ野郎と軽蔑し、スキャンティーと称する七色のナイロン・パンティーで売出した大阪娘鴨井羊子に呆れ返ってモノも言えないに決まっている。
 ザックバランになれない人間を精神分析してみると心の中に弱みをもっていることがわかる。要するにヤマシイのだ。公明天地に恥じないという人間はザックバランにならざるを得ない。なぜなら人間おたがい兄弟、なにも隠し立てしたり、ミエを張ったり、ポーズを作ったりする必要はないからだ。人を説得するにもザックバラン、ただそのままに心に浮かんだことを文飾なしに(文章にアヤをつけず)、こうだこうだと述べればいいので、どこかの学校の卒業式に祝辞をのべることを頼まれ、ボロを出さざるように、一晩かかって名文をでっち上げ、美辞麗句を錦のようにつづり上げ、子供たちをウンザリさせる罪悪をあえておかす連中はみなこの非ザック組である。
 いやになっちゃうのは日本中がこうしたヤカラで埋まっていることで、まことに息もつけない。社会の上層部をしめているお偉方がなかんずくそうであって、あとの有象無象がみんなそのマネをする。
 格式・威儀・カミシモーーこういうのはみな醜悪なハダカをかくす隠れミノである。全部そういうものを取ってしまったらどんなにサバサバするだろう。マリリン・モンローがおしりを振って世界中の男性(もちろん例外はあろうが)を征服したのは、やはりこのザックバランのおかげだ。下着のかわりに香水を着てねるというこのアメリカ娘にリンサンもずいぶんイカレたものだ。しかし日本人の共通性である“飽きっぽさ”に感染しているリンサンは、次の瞬間浜村美智子の男を知らぬ生娘ぶりに(?)にウツツを抜かしているウツケモノである。
 ヌケヌケと自己を語るというのはおそらく一種露出狂なので、私もまえドイツの雑誌のさし絵でみたが、山高帽をかぶった紳士が公園の草むらに身をかくしていて、妙齢の乙女が二人、星やスミレのことを話しながらさしかかると、にわかに立上り、ニョキッと一物を出してニタリとするあの楽しみ、心ある私にはよく分かる。リンサンもそのチャンスあらば、これに似通った偽悪行為をしょっ中やってのけたい。なぜなら世の中にはあまりにも沢山の、うんざりするほどの、モッタイぶり、気どりが存在するからだ。
 第一次大戦後のダダイズムという運動はやはりこういう反社会の破壊主義だったそうだ。ダダ的衝動は時代に関せず、反骨の士、気概のある青年には誰にでもあると思う。私の親友の画家池田錦太郎は数年まえ道でトカゲの死骸をひろってきてキャンバスにベタリと貼りつけた。絵具をゴテるよりよっぽど効果があると思ったからだ。それが古今の名画にくらべてどの位の価値の差があるかということは末の末の問題だ。大切なことは、トカゲと思ったとたん、かがみ込んでその気味わるきものをつまみ上げ、欣喜雀躍(よろこんでスズメ踊りをする)、わがアトリエに馳せかえる行動そのものの純粋さである。
 世の中にはザックバランになりたくてもなれないという人がいる。そういうのは仕方がないから他に学ぶことだ。まなぶとはまねぶこと、大いにマネをして下さい。そういう人をみつけ一挙一動に注意し、そのひと全体を消化吸収し、コツを会得することだ。 
6 未来に熱すること
アメリカには成功の技術を教える書物がたくさん出ている。ダイヤモンド社で出しているノーマン・ピールの本や日本教文社で出しているF.L.ホームズの本などがいい例である。〔私自身も数年前、後者の『こころの発見』という本を訳して出版した)
 これらの書物のなかによく出てくる言葉にヴィジュアライズ(visualize)という英語がある。視覚化という意味で、目にみえないものをまぶたの裏にマザマザと描き出すことである。
 要するに、おのれが失敗して尾羽打ち枯らし、橋の下で乞食をしている姿などを毎朝マザマザと心に描いているような人間にはロクなことがないということである。もちろん成功者はそんな馬鹿なことをしない。
 私が『挽歌』を訳したときに最上の協力者であった学友Y君(東大仏文卒)はすぐれた頭脳をもち、文学的資質を豊かにもっているので、近い将来に評論家または小説家になるものと期待しているが、一つ悪い例に引き出すことを許していただこう。
 それは1957年の秋から渡米留学生を全日本の学校教師から選抜する試験があった。私自身アメリカに行って、わずか1年であったが自分の人間改造にずいぶん役立った経験があったので、トンさん頑張れ(トンさんは彼の愛称)と励まして、試験をとにかく受けてもらった。もらったというのは変だが、かれの類稀な才能を野に埋もれさせるのは残念だし、ここでひとふんばりしてアメリカにでも行ってもらい、AZの出先機関としてあちらで縦横無尽の活躍をしてもらう下心だったのだ。
 ところが私は一つ奇妙な現象に気がついた。それは八王子の秀才ナンバーワンと幼児から称されたトンさんがひどく消極的で、例の「橋の下の乞食」的なヴィジュアライズをやっていることだ。当人がもし口に出しもし、胸にふかく思っていることは、もし失敗しても(これがいけいない)、どうせ気が進まないでひと(リンサンのこと)にすすめられてやったことだし、おれは傷つくことはあるまいぞ。いやまわりですこしは何かと蔭口を利くだろう、しかし、おれさえ失敗しても見苦しい振舞をしないように今から準備しておけばいい。
 こういうわけで愛するトンさんは勤め先の都立南多摩高校で同僚から「トンさん、こんど留学の試験をうけるんですってね。しっかりやってください」とあいさつされると、「いや競争は大変だし、たいてい駄目ですよ。あまりアテにしないことにしている」と答えるのだった。
 こういうのを謙譲とか謙遜とか言って日本では美徳の一つにされている。ここがAZの生き方では引っくりかえって大変な悪徳になる。という訳を、トンさんにはわるいが、分析してみると、
 第一に卑怯である。男子がいったん何かやろうと心に決したら(たとえ刺戟が他人から来たにしても)、逃げ道を作っておくべきではない。進軍するには渡った橋を片端から切り落とすことだ。そうでなくては死に物狂いの千人力が出ない。向う三軒両隣を気にする生き方はダメである。よくある例だが、高校などで、男子生徒ですら間ぎわまで同級生に自分がどこの大学を受けるかを絶対に明かさない。もし落ちたら恥さらしだという気の弱さである。いいではないか、落ちた先のことを考えず百尺竿頭ずんと飛べ。
 第二に、自分を侮辱しているという罪である。どうせ落ちるでしょう、ぼくよりまだまだできる人がたくさんいるのだから。そうか、それなら最初から受験しなければいい。百万人の競争相手があろうと、馬場に並んだ馬の考えてよいことといったら、ただまっすぐ前を見て他の馬に先がけてゴールインすることだ。馬は人間より純粋だ。走ること意外に考えない。人間は余計なことを考える。人間をロクでもないのに仕替えて安心している。
 ある青年が私に述懐した。「ぼくは人の前に立って走るのは性に合わない。不安でソワソワしてどうにもならなくなる。中程かビリが一番ラクだ。うしろに誰もしないんだから・・・・・。」
 こんな腰抜けでは困る。こんな男にどんなことができるだろう。池に子供が落ちたとき、野次馬のうしろでガヤガヤ言っているのがこういう手合だ。
AZの人間革命