るだろうが、私は「群集の中の一つの顔」は私一人のためにハリウッドにおいて作られたものだと信じた。
 そして、世界中の、私と同じ精神的血縁につながる人々は、私のこの「信じ方」を不思議なものと思わないであろう。
 この映画の主人公はその名もローンリーという。「孤独なるもの」である。孤独は私の精神的同朋の共通因子だ。その人間が銀幕の寵児であろうと、労働運動の大指導者であろうと、つまり百万人の人気を一身にあつめた人間であっても、孤独はかれの終生癒しがたい魂の傷であるということだ。
 孤独者を人づき合いのわるい、密室にこもった変人と定義した人間どもは誰だ。かれらは真の孤独を知らない。本当の孤独者は百万人の聴衆を相手に熱弁をふるってもなおかつ孤独である。これは感傷とは程遠い。
 私はここにきて本音を語る。AZの秘密は結局何者も悟りえない。世に探りうる秘密は多い。しかしAZの秘密は地上の人類にはほとんど解きがたい謎だ。皮膚と皮膚の接触にまで私は人々を引きつけておいて突き離す。冷酷のようだが仕方がない。AZの秘密はリンサンのなかにすらない。私は人の子だ。私のなかに何ものかを見出そうと努めるものはつまずく。私のなかになんの確証があるか。
 私を信じよとリンサンはくり返し言う。しかしこの要求が根っこから不可能であることは彼自身が知っている。私は人々を愛するが甘やかしはしない。私にとって人間はカスであり、生命のない物体以外のなにものでもない。
 人間−−君はその定義を知りたいか?
 人間、それは錯覚の束である。人は生まれてから死ぬまで幻覚のなかに生きている。どこから来てどこに行こうとしているか、人は全くの無智である。生まれた瞬間に死がそのまぶたにかぶさっているのに、その暗雲を払いのけようともしないほど人間は怠惰である。
 すべての人にはプライドというものがある。プライドを持てと馬鹿な教育者どもがいう。あたまのてっぺんから足のつま先まで、これほどにプライドで埋まった人間をつかまえて、これ以上にプライドをもてとは何という危険思想であることか。
 ローンリーをおとしいれたのは、かれを一番愛すると称していた女である。映画では幾分感傷的にこの女のことを描いている。だから大半の観衆は女の立場になってローンリーを憎む。いい気味だとさえ思う。さればこそ大衆は救いようもなく愚かだ。そして危険な存在である。
 女に心を許してはいけない。女には正直であってはいけない。母も妻も君をおとし入れるであろう。女を愚痴のかたまりと定義した釈迦は偉い。肌に百人の女を抱いても心には一人も許してはならない。甘ちゃんは事の成る寸前に女によって、最愛の女によって裏をかかれるであろう。
 友よ、この書物をよむ百万人の中の恐らくは一人以上である君よ、何ものも信じてはいけない。神すらも信じるな。神ーこれほどに人々の手垢によって汚された言葉があろうか。君自身をすら信じるな。自信などというものは最も食わせものの偽造紙幣である。自信など野良犬の餌にせよ。手になにものも支えとしてもつな。無所有を君のモットーとせよ。自己そのものをまず心より放せ。
 天地虚空のまっ只中にただ一人立て。足場のないところにすっくと立て。
 わが友よ、真に強き者よ!
 君は世界中の人々に冷酷とののしられ、詐欺漢と攻撃され、鬼とみなされるであろう。
 選ばれた者よ、ひるんではいけない。物事の価値を多数決で決めてはいけない。
 『AZの人間革命』をいまこの瞬間焼きすてるがよい。君がこの些々たる一冊の本に頼ることがないように。
 AZの人間革命ーーこれは精神の原爆だ。世界で最初に物質の原爆の洗礼を受けたこの国に、このように人類の運命を成就する一書が誕生したことに大いなる意味を見出すがよい。この秘密を手に握ったものには如何なることも可能である。
 しかしこの一書は焼きすてるがいい。リンサンの名も忘れよ、個人崇拝におちいらざらんがために!
 AZの秘密は君の一身そのものであると知れ。君のなかにこそこの宝を掘れ、掘れ、掘れ。私の言うべきことはすべて終わった。
 友よ、健やかなれ。
 わが愛する敵よ、いさぎよく、汝のゴールである死におもむくがいい。




                   
15 調子が変ります
 この本を書き出して三年も(おお1千日!)たってから、『AZの金銭征服』という本が霞ヶ関書房から出た。この三年間に、AZも私もものすごく変わった。1960年のXマスの翌日に、この本の原稿を読み返してみると、うたた今昔の感に耐えない。
 この本は、AZのほかの本をよんだ人が、
 「いったい、AZという思想はどういう具合でリンサンの頭に宿ったのかしらん?」と不思議に思った人がよみたがる本である。
 この本には、AZの原型が未分化の状態でゴタゴタに書かれている。『AZの金銭征服』で予言したのは、次に書かれる本が『AZのエロス』であるということだった。しかし、商業出版としての第一号の『AZの金銭征服』がかならずアタルという予想を持っている私は、きのう12月25日に『産経』の朝刊で霞ヶ関書房の広告をみたとたん、これはウカウカしておれんと思った。
 ブームというやつは、思いもかけぬ急ピッチでグッグッとのし上げてくるものであるから、一日かかって5枚しか書けないというような栄養失調の作家では、それに対処できないのである。『モンテクリスト伯』を書いたアレクサンドル・デュマのように、一度に6つも7つも連載小説を新聞に書けるという旺盛な筆力をもっていないと、残念ながら落伍する。
 だから、私が『AZのエロス』の出来上がるのをノンビリ待っていたら、バスに乗りおくれること必定である。そこで私は最旧作の『AZの秘密』を押入れjから出して読みかえすと、これもなかなかイカスじゃないかと思った。よし、この本をぶちこわし、ロクでもない章を抜いたあと最近の作品と一緒にして、『AZの人間革命』というタイトルをつけよう。そう決意した。
 この本は、私がAZという思想に取り憑かれたのと前後して、株式会社英瑞カンパニーを建てたころに書かれている。したがって、営利法人の「英瑞」と純粋思想の「AZ」が、ゴチャマゼに共存している。この区別は、その後三年の月日を経ておもむろに明確化し
AZの人間革命