にしてそこに映る鳥の陰をながめるだけのことである。人を説得しようとリキむ要もない。自分の存在を認めさせようと汗をかくにも及ばない。
 多くの人は、自己の一身を保全することにきゅうきゅうとしており、他人から無視され踏みつけにされることを恐れている。弱き者の本能がこれである。多弁をろうし、虚勢を張り 、屁理屈をデッチ上げ、おのが身を飾り、武具を身にまとう。
 きらびやかな者は実は貧しく、強そうに見える者の内心には臆病風が立っている。おおむね、外と内はうらはらである。

 十月十日の朝、私は南大阪「神光苑」の奥座敷に坐して、つらつら我が身の来しかた行くすえを考える。この身三十四才、五尺五寸、筋骨しなやかで、肌のきめは女に分けてやりたいほど細やかである。その声音は澄んで高く、私の先祖であるという藤原の公達(きんだち)の物腰を持っている。
 AZの本を読んで、荒肝を取りひしがれ、こんな文章を書く男はさぞかし荒っぽいサムライであろうと、半ば期待し半ば恐怖して私に会いに来る人々は、たいてい拍子抜けがする。虫も殺さぬ顔をした、ナマッチョロイ男がリンサンなりと判明するからである。
 しかし、外と内とは違う。造化の神は、どういう遠謀深慮か、強烈なオトコの魂のまわりにぐるりと白絹のころもをまとわせた。私の外皮であるオンナ性は、この世に処する適応性を私に与え、荒々しい世の浪風に体当たりをさせないような気質をこの身の内に育てた。しかし私のなかのオトコ性は、たえず隙をうかがって、白絹のころもを突きやぶり、嚢中の錐のように外に飛び出したがっている。
 かくして、私のなかには永遠の矛盾が日夜渦巻いている。この人間の内部には、AがありZがある。極端同士がなんとなく雑居している。混沌はその性としておのずから秩序を求める。秩序は思想の形をとり、徐々に醗酵して美(うま)き酒になろうとする。
 AZの思想が、かくも雑多な、広い範囲の人々の胸にくい込み、一人一人に生命躍動のエネルギーを与えつづけている理由は、実にこの私の永遠の矛盾性のなかにあるのである。オンナのなかのオトコ! 陰にくるまった陽! 地球のなかの熱火!
 天人女子はこういうオンナ・オトコをつかまえて、ずばりと刺した。
 「そのオトコを出しなさい。奥の奥にひそんだ“それ”を開いて出してみなさい」
 私はひるむ。この人物は、私以上に私のことを知っているらしい。しかし私にはこの人間(天人女史)を見抜くことができない。底知れぬ淵から、ある「声」がのぼってくる。私はひるんだのである。
 「その方法は?」
 「苦です。のしかかる苦労ではなく、自分から進んで取る苦、こちらから買う苦、求める苦・・・・・」
 二十代の苦闘の歴史が一瞬胸をかすめる。ああ、あの苦から解脱したいが一心で切り開いたこの道であった。しかしAZの思想と生活原理は、つまる所、苦にぶつかり、苦を創り、さらに苦を脱出するところの無限成長の道である。さればこそ、私は悟りすましたことを言いかけては、すぐまた迷うことを言う。これは私自身の魂の振幅がそのまま現れているのである。悟るということは完成である。楽というのは静止である。完成も静止もよい。人間は夜になれば眠るのである。しかし、あくまで前進を命ぜられる人間もある。尖兵としての使命をになわされた人間もいる。私もその一人だ。また、これを読んでいる人々のなかにも、十人か二十人はそういう人もいるであろう。
 多くの人は眠りこけるのがお好きである。だが、眠ってはならぬ人々もいる。生きて動いて闘って、心身ヘトヘトに砕け切って、やむなくぶっ倒れる眠りもある。完成はできる。いつでも出来る。しかし今は小成をすてて、先に進まねばならぬ人間である。
 AZは世界人類、有情無情の全存在を相手にしているが、その切り込みかたは決して万人向きではない。AZは一箇半箇の“そいつ”を、実は百万人も一億人もほしいと、欲ばった大上段の構えである。
 だから、だからである。初めは微であって大いによろしい。寄席芸人のお追従は無用だ 。不見転(みずてん)芸者の媚態は不潔である。
 「十菱さん、あなたはサファイアかメノウぐらいの宝石で収まってしまう危険性が出て来ていますよ。周囲が寄ってたかって、あなたを奉り、そういう程度にしてしまいそう。ダイヤモンドになるのに、それが惜しいなと申します」
 右(上)のようなことを、大和の方言でなだらかにおっしゃる気品高き天人女史の瞳をじっと見つめる。かわいい子には旅をさせる−−その慈愛が私の魂にビンビン来る。七、八年先の私の姿を見抜いているその言葉が、私の胴中にめり込む。凄烈な真剣勝負だ。

 だから言う。山中鹿之助ではないが、天よ地よ、われに七難八苦を与えたまえ。小成に安んじ、楽に流れようとするこの惰弱の身に、風よ波よ、なんじの鞭を与えよ。
 高楼を建て、地上の財宝をあつめ、千人の美姫を侍らせて芳酒佳肴に生を謳歌して、それが何だ! 私がこの世に生まれてきた目的はそんなケチなことではあるまい。このシャバ世界が絶えがたい穢土であることを百も承知で下生してきた私ではないか。私の魂の故郷が、あの天楽の音も妙な星の彼方の国であっても、今ここで私のなすべきことは郷愁の歌をうたうことではない。
 苦界に身を沈めよ。
 万人の涙を一口に呑みほし、万人の苦悩を一身に受けよ。そして鍛えよ。
 「打て、われを!」と大声疾呼するものがいる。ここに、わが魂のドン奥に!
AZの人間革命
18 AZという名の爆薬
 そんな題の映画を作ったら、ロングランの大ヒットになるかな−−というヤクタイもないことを考えつつ新しい章を書き出す。
 いわゆるマジメなものをなかなか書く気にならず、この所はどの章もタンカの連続だ。
 「そのこけ、そのこけ、AZが通る」である。イヤになったら、早くハガキを用意して“AZ執筆停止せよ”というやつを送ってもらいたい。
 AZはたしかにダイナマイトだ。堅い岩壁のドテッパラに風穴をあけて、もろもろの不浄を吹っ飛ばす。惰眠にふける世間に、新時代の到来を告げる高らかなラッパの音!
 AZは革命旗。ヘンポンと青空にひるがえる。特に若い人だ。希望は若い人にある。豊かなエネルギー、純情、献身、そして前進。AZで洗脳された若い人は幸いだ。かれらの肩に荷われる次代の日本はさいわいだ。もうジメジメとしたヤカラはいない。昨日払った五百円に今日も未練をかけているようなナメクジ野郎はいない。要領のいい三十男