問 スブドは霊的進歩に資する有効な方法ですか?
答 その通りである。前にも言ったとおり。
問 スブドによって魂の成長または魂の展開が促進されますか?
答 否。必ずしもそうではない。スブドのほかにも沢山の道がある。スブドは、大衆に対して、今まで現れた如何なる方法よりも単純な道を示したのである。それを理解するために、スブドですらそれ自身の名称レッテルを持たねばならないということは不幸なことである。人間は単に抽象的なもの、名前のない「なにか」を受け取るのでは満足しないからである。だれでも肉体的・精神的・霊的に進化・発展しようとする場合、きわめて重要な一段階は、「訓練」という宇宙的法則を認識することにある。原子の内部にも訓練がなくてはならぬ。ある元素にとって価値ある原子になるためには、あらかじめその原子は均衡のある調和の中に入らねばならない。
 それゆえ、肉体のなかでも、訓練によって調和を生み出すことが必要である。心的体においても同様である。霊的自覚をめざして進歩するときにも、ある人々にはつまらぬと思われる儀式によって調和を得なければならない。しかし、スブドは、統整と訓練を通じて魂の進化を開始する。散乱した心では何ごとにも到達できないからである。スブドはまず人間に必要な自己制御に焦点をあて、そののちに「真我」が姿をあらわす仕組みになっている。
問 スブドの効果、その将来、また利点と欠点について述べて下さい。
答 その効果と問うのか? それは個人によるのだから、この質問に対して一般的な解答を与えるのは困難である。しかし、正しくこの言葉を理解するならば、その効果は単純性にあると言いうる。スブドは、人間が物質主義と絶望のなかに突入して行く事態を救おうとする声に答えて、創られた運動である。そして人間を静止させ、内部を注視する機会を与えるものである。スブドの将来については、時間的に予測することは困難であるが、現在の物質界(可視界)における効果は、会員数の増加、体験の数々、きわめて簡単な指示に従い自己を発見できる事実にあらわれている。
 スブドの欠点があるとすれば、それは人間自身の意識のなかにある。つまり、人間が得たいと求めるものと、スブドが人間に発見させようとしているものとのあいだに存在する障壁である。真の自己発見の妨げとなる心の塵は長年月かかって積み重なったものであるから、これを瞬間的に除去することは期待しがたい。単純な方法ではあるが、スブドの運動は人間に、なによりも忍耐と持久心の美徳を学ぶことを要求する。
問 スブドにおける「開魂」はクリヤ・ヨガ(Kreya Yoga)の入門(イニシエーション)と似かよったものですか?
答 然り。ただし、スブドではこの力(複数)の知的理解によって妨げられない方法を与えるのに対し、ヨガ行者はチャクラを開くために知的準備を必要とする。しかし、似かよっているというだけでスブドの入門者には充分である。また、スブドによれば、大覚をひらき「真我」に達するための内部の力を呼びさますことができるというだけで、必要なことは全て尽きており、ヨガのようにクンダリーニ(次章参照)の力を高次の圏(サークル)に上げるために、数多くの美徳や種々の段階の力を働かすという面倒な準備をする必要はないのである。
AZの人間革命
21 クンダリーニとヨガについて
ーケイシー記録よりー
 前章にクンダリーニのことがでてきた。ヨガを研究したかたにはおなじみの言葉であるが、私はエドガー・ケイシーのリーディングにどのような解説が出ているか調べてみた。以下はその内容である。
 われわれは体内のクンダリーニの力を上昇させるような修練をみだりにしない。これを為すときは、そのような修練が体内の諸機関諸中枢に及ぼすはたらきを一つに統整するようなある種の経験をゆるがせにしない。
 このような修練がよくないというのではないが、子供にカミソリを与えたり、鉛筆をとぐのにカミソリを使うのにあまりよくない。身体の諸器官を調和させ統整させる目的のために手段をえらばぬ者も同じである。(5162−1)

 われわれの見るところでは、この実体(人)は一度以上、いわゆる霊眼・透視力・第三の眼の力を与えられた人々のなかに入っていたことがある。ライデン中枢が開けたり、松果体にそってクンダリーニの力がはたらくときは必ず、未来のことや今起こりつつある事柄が幻として見えてくるものである。
 このような能力を、この実体の満足のために用いるな。またこの実体がこの力を用いるように励ますこともいけない。むしろこの実体を訓練して、聖なる目的にかない、聖なる願いを果たさせるようにせよ。(4087−1)

問 クンダリーニが上昇を開始したり、体内を循環し始めたりしたときに、助けとなるような忠告を与えて下さい。
答 キリストの霊の意識をもって自己を包むようにせよ。これをなすには次のように宣言するとよい。「この身をキリスト意識で包みたまえ。体内にはたらくこの力に神の導きを与えたまえ」
 低い影響力を求めてはならぬ。キリストと一体になる聖意識に浸れ。(2072−11)

 この人の場合、ライデン腺(Lyden Gland)が開いたのである。その結果、クンダリーニの力が脊髄をつたって各中枢に及び、それらの中枢がひらいたために、身体の心的・霊能力の活動がおこったのである。この心理的反応はちょうど、ある人が多くの知識を得たが、それを実際の用に役立てないでいるようなものである。今や肉体の占領(憑霊)がおこって、体内の七つの中枢があたかも侵蝕されているような状態を呈し、この人は不眠を訴え、落着かず、まとまった行動もできなくなっている。この身体が他の人々を助けることに用いられるならば、このような障害も軽減され消失するだろう。(3421−1)
 つづいて『リーディング集録』(英文)の207・208頁に、ヨガに関するリーディングが沢山出ている。ヨガは日本においても一つのブームとなり、世間の人々もその名前だけはたいてい知っているようだ。しかし、ヨガ行法が、正しい指導者のないときは、時としてきわめて危険であることは、とかく見のがされやすいようだ。以下、私の主観をいれずに、E
・ケイシーによる「ヨガの価値評定」を紹介しよう。
 まずヨガの呼吸法である。これは心身に顕著な効果を与えるが、正しい行法に入るに