10人も20人も「不幸」をかかえて訪れてくるようなことがあると、みんなが帰ったあと気息エンエンとしたり、苦しい目には何回も会った。しかし人間は苦痛を通じて鍛錬されてくる。私は祈りとラティハンに専心した。そして「放電」と「充電」の時間的間隔も縮まってきた。そして「容量」も増大したのである。つまり一回の充電量である。
 で、今の状態−−ここでやっと章題にもどる。
 「充電量」が多いときは、自分でも“ふくれた感じ”があるのである。うんと真綿を着込んだ感じ。私の事務所にはたらく或る女性は、このごろ敏感に私の「変化」に気づくようになり、朝会うたびに、しげしげと見て、
 「今日はずいぶん大きいわ」とか、
 「けさは中の上というところね」とか、
 「どうしたんでしょう、小さいわ」と言う。
 人がきいたら何の話しかと思うだろうが、不思議に、かの女の「診断」は私の「自覚状態」と奇妙に一致するのである。私は真綿的感覚で、ふくれたとかしぼんだとか自分で知っているのだが、自分で上の下ぐらいかなと思っていると、かの女もピタリとそういう。
 それはオーラのようなものかもしれない。かの女にはそれが感知されるらしいのだ。
 「ふくれた感じ」がどんなものか、私の体験で説明してみよう。
 (1)いつもニコニコ笑いがこみ上げてくるような幸福感、充足感。
 (2)セカセカ仕事をやる気がおこらず、大きな流れに任せている感じ。
 (3)相当きつい荒い雰囲気をもった人が近づいても、逆にその人を包んでしまえる。比喩でなく、右のホッペタをぶたれても、よろこんで左の頬が出せる気持ち。
 (4)人の考えていること、感じていることがスッとわかる。とぎ澄ました感覚でなく、それとなく自然に風のようにこちらの心に映る。
 (5)アタマを使わずに、何がいちばん大切かとか、何を先にすべきかとか、複雑な事柄の処理がおのずから出来る。
 全くどうも結構づくめに聞こえるが、事実である。そしてこれがイエスの「力」と同質であることがわかる。この「電圧上昇」がグングン伸びて行ったら、イエスの奇蹟をこの身がおこなえるような気が、ほんとうにしてくる。そして、これが冒涜のことばでないこともわかる。
 イエスははっきり宣言した。
 「誠にまことに汝らに告ぐ、我を信ずるものは我がなす業をなさん、かつ之よりも大いなる業をなすべし」(ヨハネ伝第14章第12節)
 最後に、私が“ふくれた感じ”になるのは、次の原因による。
 (1)よく祈り、深いラティハンをし、神との融合一体感が強かったあと。
 (2)ぐっすりよく眠れたとき
 (3)高い波動をもった本や人にふれたとき
 疲れているときなどダメである。疲れるということ自体、「電圧低下」の証拠だからである。
 だれでも人間である以上「充電」はできる。私は自分だけが特別の人間だとは思っていない。この道を往けばイエスに行きつく。また、あなたも同じ道を歩いている。すべては同質である。
AZの人間革命
27 ひとつの誓い
 神さま、私のこの願いを、あなたが最善と思われる最も早い機会に、実現させて下さい。
 そのために、私はどんなことでもいたしますから、私がほかに何か、つまらない仕事をしておりましたら、それを全部取り上げて、この「一つの仕事」に集中させてください。

 1960年12月1日に私はこの文章を書いています。
 ある偶然で今日、知合いのTさんという中年夫人が私の事務所にやってきて、次のような驚くべき事実を知らせてくれました。
 Tさんは伊勢湾台風で荒廃した家を見すてて、息子さんと二人きりで東京に新生活を開くため上京してきたのです。それから数ヶ月、音沙汰がなかったのが、突然私のところに来られて、最初に見つけた勤め先の産婦人科病院を辞めたと報告しました。
 Tさんは助産婦の資格をもっていましたので、東京で仕事をみつけるのに苦労はなかったのですが、その最初の職場は恐ろしい「殺人工場」でした。
 私はこんな戦慄すべき残酷事が、東京の数かぎりない「産院」でおこなわれているとは 、夢にも思わなかったし、これが日本中、否世界中に毎日毎夜おこなわれている図を考えると、この世はこのまま地獄図だと、ただ暗然とするばかりです。
 政治家や宗教家はもうあてにならない。気づいたものが誰でも、一文なしでも何でも、今すぐ対策を立てねばならないときです。

 Tさんが勤めた産婦人科病院の院長は、東大出(おお、この憎むべき名門よ!)の偉いお医者さんです。経歴が立派だということが看板になって、押すな押すなと「赤ちゃん殺し」の志願者がつめかけてきます。
 法律で許されているからと、鬼のような男女は安心してやってきます。妊娠四カ月以内なら簡単な手続きですぐ出来る。五カ月以上産み月に近くなっても、自然流産という名目にすれば、平気で「殺人」ができる仕組です。
 こんな法律を通過させ、それを認めている日本の政府は何という悪のかたまりでしょう。原爆の二つや三つ落ちてきても、本来は文句を言えないはずです。ほかの文明国がやっているからという口実はゆるされません。
 神から離れた地上で日夜おこなわれていることのおそろしさよ。
 Tさんは、医者の手伝いをするだけでなく、グチャグチャに切断された堕胎児を病院の裏庭に穴を掘って埋める仕事までやらされました。目をつぶって、魚のアラのように棄てて急いで土をかける。
 こういう死体・汚物を引き取る業者は一人千円で始末を引き受けるが、四カ月以下は人間とされないのです。裏庭に埋めようとどうしようと、法律は黙認しています。ああ、それにしても、夜になって野良犬や野良猫がほじくり返して喰うかもしれません。人間の尊厳などと言っておれることじゃない。
 Tさんは辞職のキッカケになった一つの事件を語りました。それは聞くも忌まわしく、ありうべきこととも思えぬ残虐事です。
 八カ月の赤ちゃんをおなかに入れた女が来ました。危険なことは分っていても、むりにでも処理してくれというのです。処置料が一万四千円もかかるので、その金策をするのに二カ月かかったという話。それは不義の子というのではなく、貧しい家庭でもう四人も子供をかかえているので、これ以上出来たら一家心中だという必死な願いです。医者は「うん」と言いました。
 この医者は徹底した儲け主義で、電気料も節約するために8時で消燈、消毒液も倹約のため冬も暖めず水でやる。他は推して知ることができます。
 Tさんはどうなることかと思いながら、その場に立ち会っていました。勤め始めて二十日