もたつと辞職の決意を固めたのですが、やはり生活の不安など人間の弱さでズルズルとここまで来たのです。高給という物質力もTさんをたしかに引き留めていたのです。
 赤ちゃんは相当成熟していましたので、もちろん母胎から出てきたときは息をしていました。手術台には受け台もなく、赤ちゃんはそこからすべり落ちて、ヘソの緒だけにつながってぶらんぶらん回転していました。生きているのです。
 医者は平気です。モノとしか思っていません。赤ちゃんが下に引かれる力で、後産がすぐ出ました。頭を下に固い床に墜落です。当然、脳震とうで息絶えることを予期しているのです。Tさんは普通ならここで注射を打って、せめて苦痛を止めるものと思っていますと、僅か四、五十円の注射液がもったいないというので、自然に死ぬのを待つという経済的な方法を取るらしいのです。
 しばらくすると、死んだと思った赤ちゃんが泣き出しました。皆があわて出すと、医者は冷然と口中に手ぬぐいを押込み、鼻をつまみ、心臓を圧迫して窒息死させました。 
 (以下は私としては本当に書きにくいことですが、事実として、地上の地獄性がいかに惨憺たるものかということを知って頂くのが必要と思います)
 手ぬぐいを押し込まれた赤ちゃんは手足をビリビリさせて、ちょうど「スルメのように」(Tさんのことば)伸びてしまいました。
 赤ちゃんの「死体」は汚物入れのなかに放り込まれて、三十分もたちますとまた動き出して泣きかけたのです(何という生命力!)。医者は困ったやつという顔で、汚物入れの容器一杯に水をひたせと命じました。Tさんはもう見ておられず、横を向いていると、水を呑みこむ音や水中から空気を吐きだす音が、何とも言えぬ異様な響きで「グズグズ、グズグズ」と聞こえたそうです。今度こそ本当に死んだと思いました。
 また二十分・・・・・ふと気がづくと、赤ちゃんの涙ぐましい生命慾で、いつのまにか水面に鼻を出して呼吸を始めました。まだ生きている! 医者はセンタク板を出して上にのせました。水中に押込んで死なせるわけです。
 (ここまで聞いて私は、自分がそばにいたら、その偉い医者をなぐりつけて、赤ちゃんを大事に抱えて帰り、自分の肌でぬくめて、一生その子を育てようと思いました)
 この運命の赤ちゃんは、不思議にもこのような暴逆な仕打ちを受けながら息絶えず、それから二十分後、また泣き出したのです。その声はますます高くなり、夜ふけの病院中にひびきわたるようです。
 医者は言いました。
 「これじゃ近所迷惑だ。第一、病院内のオレたちが睡眠不足になる。よし始末する。Tさん、機械を出してくれ」
 機械とは四カ月以内の胎児をグチャグチャにすぶす目的のものです。Tさんはやっとここまで我慢しましたが、もう耐え切れず、機械をわたすと後ろも見ず、隣室に逃げ入りました。
 声はすぐ止まりました。しかし、その後のガチャガチャという音の長いこと。それは長く長く続きました。三十分も四十分も続きました。殺人鬼と罪のない幼児の魂との争闘・・・。
 「一時間も「つづいたかもしれません」
 おさない身体を切り刻まれて、この悲惨な劇は終了したのです。Tさんは翌日辞職しました。これ以上殺人の共犯者になることはできない。一人切りの坊ちゃんまで、何を感じるのか、性質がイライラして来ています。
 Tさんは、この恐ろしい職場にいたとき、毎日のように裏庭に穴を掘るとき、思わず手を合わせて線香の一本も上げたい気がしましたが、それをやるとこの悪事の業が自分一人にかかってくるような異様な恐怖におそわれたそうです。
 この悲劇の赤ちゃんの母親は、うぶ声をきいても眉一つ動かさず、殺されるさまをみても涙一つ出なかったそうです。狂気というほかない。
 ああ、すべては狂っている。妊婦も医者も看護婦も、またこれを聞いている私も!
 この地上を穢土とはうまく言ったものです。これ以上汚れた世界がほかにあろうとは思えないくらいです。

 妊娠中絶する親たちは、浮世に出して生活の苦労をさせるよりは、こうやって死なせたほうが、まだしも、という自分勝手な言訳で自分の気なぐさめ、ごまかしをやっているそうです。
 これは皆、わが身をかわいがるエゴイズムの醜さです。物質力に浸透されて、是非の判断がつかなくなった盲目の弱者の罪です。弱いから貧しいからと言って許されるものではありません。弱いのが罪です。貧しいのが罪です。
 子供が沢山で食えなくなったら、親のほうから食を節して、餓死するものだったら餓死するがいい。それが当たりまえの、人間らしい、美しい行為です。
 たとえ妊娠四カ月以内の物体といえる胎児でも、この八カ月の赤ちゃんと同じことだと思います。月数の計算値によって罪が軽くなるというものではありません。
 その医者はこうやって掻き集めた悪銭で、株を買い利殖をし、子供たちに最高の教育を与えてやっているそうです。一人の娘は、しかし、大学を卒えたかおえないかで急病で死んだと言います。罪の罰は必ずあります。その医者自身の臨終の苦悶を今から思いやられます。また後生の報いのおそろしさも想像できます。亡びに到る門を、大手を振って入ってゆく憐れなこの医者。人道の敵として、感情的に憎む以上の気持ちを私は持ちます。何と言っていいか、人間全体の罪の深さに想到して、ただ呆然とするばかりです。
 妊娠中絶は断じてやるべきではない。
 いわゆる妊娠調整(予防)も、その動機を深く反省しなくてはなりません。避妊とは生命に対する叛逆行為です。避妊をして自分の身を守るという心の浅間しさ、みにくさ!
 生活苦ということ自体が罪です。言訳はゆるされません。社会の罪ではない、本人の罪です。

 こういう「事実」を聞かされた私としては、今後の人生に大きな方向を与えられたことを知ります。何の縁か、身近の知人が、こういう場に立ち会ってその後数日間食事もノドを通らなかったショックを、私に伝えることによって、いくらか気が軽くなって帰って行った事件−−これを或る日の出来事として忘れ去ることはできません。
 養老院や孤児院も大切ですが、それにもまして、闇から闇にほうむられる幼い魂を受け入れて育てる施設が必要です、今!
 結婚ができないため、また世間が認めぬ道ならぬ関係のため、「幼児殺人院」の門をくぐる男女、また正式の夫婦でありながら未然の「間引き」をする親たち。いずれも弱い悲しい罪人です。
 世間の目から隠れたい母親のためなら、数ヶ月かくまいの場所を与えて、自然出産をさせてあげたい。また貧しい家庭の子ならば生れるとすぐ引取って、良い養父母の見つかるまで育てて上げたい。私は自分が乞食になっても、そういう仕事に一生を賭けたいと想います。私がノーベル賞の文豪になったり、巨万の利を博する実業家になったりする虚妄の人生より、たとえば10人の棄てられた児を引取って餓死する一生のほうが嬉しいと想います。
 神さま、幼い魂の幸いのために、どうか私にこういう仕事をやらせて下さい。そしてそのための勇気と力を与えて下さい。
AZの人間革命