で顔を合わせたとき、そこには電波のごとき暗黙の交感がある。これを友情とよんでいいかどうか解らない。もしこういう「同種人」を友と呼ぶならば、依然として私の友は現代にすくない。

 東京創元社から1960年9月に出ている『パリの王様』(河盛好蔵訳)をふと手にした。これは父のほうのアレクサンドル・デュマの小説体の伝記である。デュマはいうまでもなく『モンテ・クリスト伯』 の作者で、ヴィクトル・ユーゴーにつづいて十九世紀仏文壇の大御所となった人物である。
 デュマはバルザックと同時代の作家であるが、バルザックがあの脂っこい描写で読者をヘキエキさせていたのに反し、デュマはいやでも大衆を引っぱって行く“面白い”文章で全フランスを席捲した。
 1870年12月5日、デュマはその波瀾の一生を閉じたが、老文豪ユーゴーは故人を評して、次のように語ったといわれる。
 「彼は夏の夕立のように爽快で、人を喜ばせた男だった。彼の暗雲や、雷鳴や、いなずまはなんびとをも傷つけなかった。すべての人は、彼が干割れた大地にそそぐ夏の雨のようにやさしくて、寛大であることを知っていた」
 しかし、これは死者の上に棺の蓋をとじたあとの言葉である。生きているあいだのデュマはたくさんの敵を持っていた。世間からは詐欺師、好色漢、嘘つき、売名の名人と思われ、その名声は悪評とほぼ正対した。
 ヴォルテールのような、まともな作家は、
 「後世の人間が価値なしと思うようなものを決して書くな」と言ったが、デュマは全然正反対の立場で生きていた。それは充分にAZ的である。
 「なんというばかなことをいうのだ! 後世の人間が何を価値なしと見るか、そんなことをどうして知ることができよう。彼らがこの世界をいかに見るかというようなことを、われわれはきめることができるだろうか。それよりもむしろ、われわれは物語るに値すると信じることを書くべきで、われわれの作品のなかから気に入るものを選び、残りを棄てることを彼らに任すべきである」
 これはデュマの信念のほとばしりである。かれは同時代の民衆に自分のからだをぶつけた。「後世」などという抽象的な存在や、「古典的」などという文学史的な価値などは問題ではなかったのだ。かれは自分の血管のなかに民衆の血が流れていることを確かめ、民衆の鼓動のなかに自分の心臓の響きがハッキリききとれさえしたら、もうそれ以上に望む何ものもなかったのである。

 デュマは、他のドエライ人物たちと同じように、「自己宣伝」に対する“うしろめたさ”をもっていなかった。かれは新聞に次のような途方もない広告を出す。
 「先夜、『ネールの塔』上演のとき、あたしが度を失うほどあたしの顔をじっと見つめられたかたは、今夜も見物にいらっしゃるでしょうか。もしいらっしゃるなら申し上げたいことがあります。−−恋する女より」
 自作の宣伝として、これほど効果テキメンのものはない。パリの紳士が数百人も、その晩のデュマの芝居の切符を争い求めたのである。こんな“虫のいい”広告がトリックであることは、どうせすぐバレる。バレることは百も承知で、つかまれる尻尾など丸見えで、こういう人を喰った手を使うところに、デュマの豪快さがある。この豪快を私は愛する。
 デュマが青雲の志を抱いてパリについた最初の晩、スカンピンの身のくせして、家番にチップをさいそくされ、ルイ金貨を1枚もはずんでしまう。これは2か月分の部屋代である。自分がスッカラカンになった悲哀よりも、貧しい家番主婦がヘソの緒切って以来の「大事件」にアタフタするのを見る愉快さのほうが何百倍も大きいのである。
 虚栄じゃないか、と人は笑うかもしれぬ。しかし、虚栄にかぎらず、他の如何なる悪徳も、それが常人の考えおよばぬスケールで発展するとき、それは「偉大」という光芒を発する。

 あるとき、デュマは一千万人の読者を擁する『ラ・プレス』紙に“ジョセフ・バルサモ”という人気小説を連載していた。そのころ、かれはとんでもないことを仕出かした。それは、全然腹案なしに『祖国』『世紀』『立憲新聞』『太陽』『公共精神』『交際』という合計6つの新聞に連載小説を契約したことである。よほどの山師かキチガイじゃなければこんなことはするまいと人は思うだろう。すくなくともわが国の川端康成とか宇野浩二とか、その他いわゆる「作家的良心」のある人間たちは、こんなことをしない。ところが、デュマは良心クソ食らえという生きかたをした。
 おまけに、ちょうどそのころ、デュマがスペインからアルジェリアに突然旅立つという噂が流れ出した。『ラ・プレス』紙の副社長は大あわてでデュマの家にかけつけた。
 そのときの会話を引用しよう。

 「ああよかった。ともかくお目にかかれて安心しました」
 「見つかったとあれば仕方がないよ」
 「いや結構です。ぼくはあなたがほんとうにスペインへゆかれるんじゃないかと思って、びくびくしていましたよ」そういって副社長はホッとして額の汗をふいた。
 「ぼくは明日出発するぜ」
 「なんですって? 『ジョセフ・バルサモ』が佳境に入ったばかりだのに、出発されるんですか」
 「読者には待ってもらうんだね」
 「そんな無茶な。契約違反ですよ」
 「そういえば、そんなものに署名したっけ。いったい、どんな約束だったんだい。」
 「連載中はどんなことがあっても休まないこと、および、この小説が終わるまでは、ほかの新聞と契約しないこと。この二つです」
 「うん、思い出したよ」
 「それを聞いて安心しました。われわれの新聞はこのところ3パーセントばかり発行部数がふえています。読者はあなたの『ジョセフ・バルサモ』に夢中ですよ」
 「ほんとうかい。それなら、読者はきっとぼくが旅行から帰ってくるまで待ってくれるよ」
 「どうしても出かけるとおっしゃるのですか」
 「明日だよ。もうきまってるんだ」
 「契約はどうしてくださるんです」
 「完結さえすればいいんだろう。それはやるよ」
 「いつやっていただけます」
 「いますぐやろう。これから書くからぼくの肩越しに読んでみたまえ」
 副社長は身をかがめて、デュマが次のように書くのを読んだ。
 「力つきたジョセフ・バルサモは地面にばったりと倒れた。彼は目を閉じた。そして息絶えた」
 「死ぬんですか。ほんとうに死ぬんですか」
 「ごらんのとおりさ」とデュマは静かにペンを拭いて答えた。
 「ちがいます。あなたがわざと殺したんです。そんな無茶な!」
 「文句があるならいってみろ」
 
 
AZの人間革命