『AZ』 5号
 それとわかぬ小径を通って
 姿もみえぬそのゆきかい
 峠よ、
 あれは峠だ、と呼んで
 もう幾年こえない人が向こうの村に
 こちらの村に
 住んでいることだろう
 あれは、峠だ、と
 朝夕こころに呼んで。

 詩人は素直なこころの持主だから、やさしい言葉をとおして、深いいのちの真理がおのずから現れてくる。
 峠−−それはいったい何の象徴だろうか。
 「それだけでいつも峠には人の思いが懸かる」
 この詩は、たしかに私の魂のふかいどこかの琴線に、そっと触れたようである。
 多くの人のこえがたいある「峠」。数少ない人が「運命」の手にえらばれて、三日に一度、あるいは五日・十日にひとり、静かにこえてゆく「峠」。それは生死の峠のようでもあり、[悟り」または「回心」と呼ばれる峠のようでもある。
 こちらから向こうに、そしてむこうからこちらに、人々は無心に往き来する。峠をこえてどちらかの村に降りてゆく旅人たちを、村人はさりげなく眺めているだけかもしれない。
 旅人も村人とさりげないあいさつを交わして、また黙々と遠くの国に旅立つのであろう。ただ、峠だけは、
 「あれは峠だと、朝夕こころに呼んで」見上げる人々の心に残る。幾年もいくねんも。祖父や父が死んで、子や孫の代になっても、いつも変らず、「あれは峠だ」と呼ぶ声なき声は、人の心にこだましている。
 かなしさがこみ上げるときがある。
 涙の出ないかなしさが・・・。
 そういうとき、ひとは、魂の底にひたひたと寄せるきょうだいの嘆きを噛みしめて、しずかな、しずかな祈りの気持になる。
 あれは峠だと、朝夕こころに呼びながら・・・・・。
6 いったいオレはどうなるのか?
 まあ、聞いていただきたい。こういう不思議な男もいるものだということを。
 この雑誌の創刊号4ページに、「そこで私は、1960年から思い切ってオカネ儲けの態勢に切り替えることに決心した。それもキモをつぶさないで頂きたいが、一攫千金をねらうことにした」と書いたが、その方法としては「オカネを追いかけることはいっさい止めにして、坐り込んで何もしない」ことだと書いている。
 私は例によって、書いたことは忘れて、昔ながらの調子で仕事をしているうちに、どうも妙な現象に気がついた。
 まず、心と身体にムリをすることができなくなった。翻訳会社をやっている関係で、一度に沢山仕事が舞いこみ、これを明日までにと無理な注文、パートタイムの外部翻訳者も手一杯とわかると、昔なら「よし来た、オレがやっタル!」とばかり、猛然と仕事に取っくみ、徹夜も食事抜きも屁のカッパ、タイプもこわれんばかりに、打って打って打ちまくる。こうやって、1日に六千円も七千円も儲けることがよくあった。こういう芸当は、東京中いかなる翻訳練達者でも真似ができメエとあって、私はひそかにウデを誇ったものであるが、このごろトミに、特に「人間動物宣言」をこの号でやってからというもの、私の土性骨はフニャフニャになってしまった。
 雑誌を出したり本を出したりで、今年になってから請求書は山とたまり、両親妻弟子供3人そして私と、8人家族をやしなう最低必要額の月4万円は惰性で稼ぎ出すにしても、そのほかの「趣味的」AZ事業にどれだけかかるか見当もつかぬ。郵税だけでも毎日3百円は使うし、『AZ』が出るごとに2万円は否応なし、事務がふくれ上がれば人をたのむし、そのうち冒険学校の川瀬少年が大阪から上京すれば、「まあしばらくはウチにいたまえ」と子供ぶとんに押込んで寝てもらう。4月の2日ごろには女房にお産があるとサンバさんは言うし、つづいて6日には長男竜の入学式。ああ、このごろのわが家の財政はすさまじいもんだわい。こう慨嘆しても、必要なものは必要、月に10万円はどうしても要るぞと心に決めた私。
 ふつうなら、この決心がそのまま行動にあらわれて、夜に日をついで馬車ウマのごとく、リンサン獅子奮迅のハタラキという図になるのが当たりまえだが、このごろは逆に気が抜けて、どうも自分を駆り立てる気がしない。やはり創刊号に書いたとおりの「坐り込み」戦術に出てしまう。
 たまに、これじゃいけないと思うのか、松田専務にまかせた会社のほうに出かけてゆき、「なにかいい翻訳の仕事がないかな」と、2、3物色して気のすすみそうなやつをひろって家にもって帰る。パテント申請中の新案ライター、焔は電池でついて、懐中電灯にも使える二十世紀パイオニア・ランプ−−まことに立派で、面白い発明で、そのカタログを見事英語にすれば2千円のオカネが入るはずなんだが、どうも気が進まぬ。そのうち来客があったりして、そちらのほうに引っ込まれて、ふと気がつくともう期限の午後5時が来ているという次第。
 何かをやろう、やらねばならぬと考える、外の心と、気が進まぬというその気と、どちらが本物かと考えると、やはり後者のほうがふかく根を張っている。私のからだはその「気」のほうに、より一層従順であるらしい。
 こういう人間が「ケッタイな存在」であることはまちがいない。すくなくとも、朝8時に店をあけ、夜9時にヨロイ戸をおろす漬物屋の主人や、毎朝8時10分のバスで会社にかけつけるサラリーマンやお役人のなかには、そういう「変種」はまじっていない。私は好んで「変種」になっているのではないが、あのヨーロッパの小説のように、朝起きてみたら、自分がカブトムシかエビカニになっていたのである。
 さあ、こういったヘンブツの人生や行動を規定する法律も道徳も存在しないから困ったものである。レディ・メイドなら安上がりにもなろうが、6尺3寸のオスモウサンには注文服が高くつくようなものである。
 好きなことしかやれなくなった人間は、たいてい乾干しになるように昔から相場がきまっている。天地の恵みで餓死はしないにしても、良寛や白隠のような乞食坊主になるか。芭蕉や西行のような浮浪者になる。しかし一方なかにはエジソンのように幸運なヘンブツもいて、学校の先生に阿呆呼ばわりされ、おとなにブンなぐられて耳につぶしたりしながら、そのうち好きなことばかりやって世界の発明王なんかになるのもいる。こういう「変種人間学」においては、貧富の差別はそれほどの意味をもたないようだ。その人その人の、内心のねがいにもよるし、前世の応報もある。欲せずして富を致す人もいるし、その逆もある。
 いずれにしても、自分を真に生かそう、自分の運命を成就しようという気が強く鮮明になってくると、パンを得るためのあがきが、だんだんヒトゴトのように見えてくる。気がのらなくなる。同時に生活の不安が消えてくる。あれをどうしよう、これをどうしようの思いわずらいが無くなる。