『AZ』 5号
 きのう(2月19日)は、ひとつ失敗をやった。三菱石油とかいう大会社から労働問題に関する翻訳仕事がドッと出た。一週間の期限、お礼は5万円、だれもやる人がいない。「よし、やっタロ。」 また昔のクセが出た。家に帰ると、女房が「あなた、このまえみたいに途中でほうり出すんじゃない?」という。「ばか言え、ここらでもうけさせてやれという神様の思し召しだよ」と、私のなかの“動物”が答える。
 夜が明けて、ハリキッテ(のはずだが)仕事を始め出す。「つまらねえなあ」やりながら、別の自分がボヤく。石油従業員によって構成される労働組合は、そもそも・・・アア、イヤダ、イヤダ。
 労働という言葉がだいたいまずい。労して、クロウして働くようなやつらが、組合作ってどうなるものか。それをまた翻訳して精魂をつかれ果てさせているこのオレ! こういう段階的な仕事も、きっとやるように定められた人もいるのだろうが、このオレはどうしたって場ちがいだ。オレという馬鹿野郎は、何でまた、こんな仕事を引き受けて貴重な時間を浪費しているんだろう。
 クサクサしていると、電話が鳴った。
 「もしもし、センセイですか?」
 英瑞カンパニーの若き社員高畠君の声だ。センセイ社長、おもむろに答える。
 「うん、そうだよ。お早う、どうしたい?」
 「実は、きのうのやつ、例の石油の仕事なんですが・・・・。あのう・・・・・」と言いよどんで、「先方がもうやらなくてもいいって言うんです。ほかの課でホンヤクが出来ていたのが判ったそうです。相互連絡が行き届かずといって申訳ながっていましたが、とにかく、やれば二重になるので・・・・・。」
 ザマアミヤガレ! 私は快哉を叫んだ。動物め、ウロチョロするから、こんなことになるんだよ。儲けたい儲けたいと、ケチな根性を出すから、こんなドンデンガエシを喰うんだぜ。動物よ、キミの衝動はメクラである。あすのことさえ分らないじゃないか。
 私のなかのドウブツにはいい薬であった。
7 二りのおやねこ
あるところに おとうさんねこと。
  おかあさんねこが
    すんでいました
  そのおかあさんが。
    こねこ
  おうみました。
    二りはとてもかわいがっ
  ていました
       とうとう
  こねこはしんでしまいました
    そしてびんぼうに
       なてしまいました
         そのよる 
    だれかがまどからおかね
  とこめおなげつけました
そのおかねとこめでたのしくくらしました
               おわり

 以上は句読点も行かえもそのまま、今年小学校に入る吾が子竜ちゃんの作品です。
 おもしろいな。わが子に教えられるとはこのこと。おやじの33才の男は、自由を求めて、毎日七転八倒しているのに、この坊やは存在そのものが「自由」で、なんという天衣無縫の文章をかくことでしょう。
 パパは参った!
 親馬鹿チャンリンかもしれぬが、6才の坊やには全くかないません。
 人間には「おとうさん」と「おかあさん」がいます。「こども」が死ぬと、びんぼうになるのです。子猫の無邪気さがなくなると、だれでも苦労するのです。喰うや喰わずになるのです。
 よるになります。
 まっ暗な夜です。希望も何もないドンズマリです。どうしようもありません。自殺しようかと思います。
 そうすると、だれかが−−あゝ、だれでしょう。人間でしょうか?
 「だれか」が「窓」からオカネとコメをなげつけるのです。
 窓があってよかったね、その家に。窓がなかったら、もうおしまいだものね。
 何かしたから、何か入ってきたというのじゃありません。
 ただ、だれかが来て、米とお金を投げつけたのです。
 ありがたいことですね。
 ふたりのおやねこは、そのオカネとコメでたのしく暮しました。本当によかった。人生はいつもハッピー・エンドで、ほんとうによかった。
 みんな楽しく暮しましょう。
                                               (1960.2.24)
8 アシタバ党々首の横顔
 どうしてこうも、AZにつながる同胞たちはみんな善い人ばかりだろう。
 これから紹介するアシタバ党の頭領はは、自由党や社会党や共産党の、それぞれ一番偉い人よりもはるかに、なつかしいお人柄の持主である。政治の嫌いな人も、どうか読んで下さい。
 まずアシタバ党の「党是」を紹介する。
 アシタバ党は、党員のすべてが、その生きる道や主義主張を異にしながら、現代に明るく強く生き抜くことを党是とする。

 この党是は全くAZの理想と同じである。このような旗じるしを掲げた宮脇先生とはどういう人か。