『AZ』 5号
 宮脇氏は、私の長女ひとみがかよっている画塾“小さい画家たちの家”の中心人物である。所在地は東京都世田谷区下代田町900。私が宮脇先生と初めて親しく胸を開いて語り合ったのは、ある日ヒョウ然と先生が私の宅を訪れ、「鬼ガ島」の話を伺ったときからである。
 数年前、宮脇氏は感ずる所あって、都会にサヨナラを告げ、一月分の食糧をリュックにつめ、一路八丈島に向かい、そこからさらに飛んで「鬼ガ島」、正しくは青ガ島の住民となった。
 なにしろ船は月に一度来るか来ないかであるから、この自発的島流しは最小限一ヶ月の禁固刑である。語れば長い、実に面白い話であった。青ガ島の人たちは「鬼ガ島」などと呼ばれるのを嫌い、なんでワシらが鬼なものかと敢然と人間宣言をやったものであるが、電燈もつき近代的自動車道路もある八丈島の人々からは、鬼ガ島、鬼ガ島と、いつも軽蔑的に考えられているらしい。
 宮脇公実先生がこの絶海の孤島に上陸をしたすこしまえに、何か学術調査団が某新聞の後援でこの島に滞在し、いろいろと島のことを調べ上げたらしい。このときの学者センセイたちの、島民に対する態度が、いかにも傲慢で、てんで見下げ果てた扱いであったことは、野菜がきわめてすくないこの島の人たちが指をくわえて眺めているのに、東京からワンサカと生野菜を船で運ばせ、自分たちだけタラフク食べ、喰い切れぬ残りは倉庫にしまい、カギをかけっぱなしにしてして帰ってしまった。あとでカギをぶちこわして調べてみたら、多量の野菜が腐っていたということでもわかる。
 この事件一つでも、東京のおエラいかたがたが、いかに思いやり薄く、自分勝手な連中であるかということがわかり、島民はますますソトモノに対する猜疑心を深めたのである。
 そこへたまたま、風貌怪偉なる芸術家宮脇公実氏が、飄々乎として敵前上陸したのだから、いったい何しに来たのかと島の有力者の面々が、いっせいに警戒したのは無理もない。
 この島は、小学校の校長先生が東大総長級に敬意を受けている土地柄である。その知識人ナンバー・ワンが宮脇画伯に剣もホロロの態度を示したのである。
 「この島では水が貴重品なんだ。どの井戸も、どの天水桶も、みなダレダレのものと決まっている。もしまちがって、道ばたでのどが渇いたからと言って、水を盗みのみしたら、大犯罪として袋たたきの目にあいますぞ」
 ふるえ上った宮脇画伯は、うたた人生の無常を感じて、人なきかたに孤影悄然、あれを思いこれを憂えつ、夜になったのも知らず外をさまよってから、トボトボと小学校に帰ると、校長先生なにを思ったか、
 「あゝ、お帰りなさい。よくよく、帰ってこられました。ごはんだけはタップリありますから、まあ今夜は私の所で食べて行って下さいよ」
 と手のひらを返したのは、あとで聞けば、この異邦人テッキリ自殺を決行にこの島に来たのかと、カンぐったためだった。
 そのとき、
 「お口に合いますかどうですか、島の野菜を召し上がって下さりますか」と山のように盛って出したのが青々とした、問題のアシタバ。
 なにやら怪しげな雑草めいて、画伯は戦時中のアカザやヨモギを思い出し、目をつぶって舌にもってゆくと、なんたる珍味! 頬も落ちそうな、というも誇張ではない。
 聞けば、島にはこのアシタバが豊かに繁茂し、ビタミンCの重要な供給源であるとのこと。大きいのは、1枚の葉っぱが2尺近い長さになるということで、東京辺の霜げたホーレン草など顔色なしだ。
 これは旨いと舌鼓を打てば、校長先生は口アングリ。東京から来た人で、堂々と、しかもオイシイオイシイとたべたのはあなた一人です。おかわりは幾らでもと、すっかり胸襟をひらいた。
 アシタバが取り持つ縁で、異邦人同士すっかり肝胆相照らす仲となり、島の名産イモショウチュウをふるまう段取りとなる。
 このショウチュウたるや、また天下の美禄、新宿あたりの臭いチュウとは比べものにならぬ。安いことも無類で、牛乳を買うくらいの気やすさで手に入る。軒なみに作っているといってもよいくらいのものだ。
 画伯もイケル口として、酒が入れば、肝胆も相照らすどころでなく、カンとタンとがたがいに所を変えるくらいの意気投合となった。そうなればしめたもので、校長先生のお声がかりで、島第一の旧家に寄寓する身となった。宮脇公実先生のメシは別の釜で先にたくほどのうやうやしい取扱いを受けたが、こちらから固辞して同じ釜にたいてもらった。

 これから宮脇大人得意の生活に入るのだが、長くなるので割愛する。ただ画伯が「島の王様」という愛(敬)称を奉られたことは事実で、宮脇先生の紹介状があれば、今でもその遺徳のいたすところ、だれでも青ガ島を気持ちよく訪問することができる。

 閑話休題(ソレハサテオキ)。
 本章の目的はアシタバの紹介であった。党首のプロフィールも描いたところで、問題のアシタバについて、AZ百万の読者に福音を伝えることにする。『辞苑』によると、アシタバはアシタグサまたはハチジョウソウとも呼ばれ、繖形科の多年生草本。わが国の西南の海浜に生じ、葉はウドに似て光沢あり、夏複繖形に白花を著ける。葉と茎を食用とする、とある。
 なによりも、アシタバの特徴は、旺盛な成長力、生命力である。ブッても叩いても、モクモクと生える。その漢方薬的効能もきっとあると思うので、この件については、東洋医学をやっている同胞柿崎泰賢氏に、調査がたを依頼してある。
 それでは次に、宮脇公実氏モノすところのプリントを載録しよう。
皆さまに「アシタ葉」の種子を差上げます
 「アシタ葉」は、伊豆青ガ島の植物で、現地では「エータバ」と呼ばれ、山や芋畑のアゼに播種だけして自然成長させ、一切の野菜食はこれのみに頼っています。厳密に云えば、この他にアザミ、ツワブキ、ホウキレバ等の新芽や、じねんじょ、キクラゲなど純然たる野性のものも珍重していますが、内地で見るいわゆる野菜は特志家の貧弱な試作程度で一般の口へは入りません。
 さて、青ガ島が年に数回しか船便のない絶海の孤島であることは、皆様もよくご存知の事と存じますが、東京よりも冬期は5度高く、夏期は5度低い亜熱帯で、このアシタ葉は冬を知らずに芽をふきつづけ、年間を通じて、湯が沸いてから、主婦を裏山へ「エータバ」摘みに走らせている、島民の生命の糧であるわけです。そうして、「アシタ葉」の語源は、今日新芽を摘んでも、明日また新芽が出るという生命力のたくましさからきているのだと、島民は誇らしげに語ります。
 もう数年前のこと、僅かな期間でしたが、ぼくは、この青ガ島で生活したことがあって、その時のことが何時までも忘れられず、想い出の数々をもつ「アシタ葉」を我家の庭で育てて、昨秋初めて採種したものを、皆さまにも差上げたくなった次第です。ぼくがこの種が欲しいと