『AZ』 5号
云ったとき島の人たちは「種はあげるが、冬の寒い東京では育つまい」と、問題にしなかったのですが、ところが、ところがです。以下ぼくの実験をご紹介しましょう。

 (1)播種 

       
 (2)本葉

 (3)移植

 (4)日当り

 (5)施肥


 (6)摘心


 (7)観葉



 (8)調理


 (9)越冬



(10)採種 









 さて、我家では、一皿のオシタシに四方からわっと箸が集中する、一家あげての「アシタバ党」ですが、冬場はどうしても成長が遅く、最近はあまり僕の口に入らないので、何だか身体のハリを失った感じで、温かくなるのを待ちこがれている現況です。実際に、この草に、そんなポパイ的な特効があるかどうかは、まだ専門家の御意見を伺っていませんので、気分の問題があるかもしれませんが、僕の場合は、程よくこれを食っていることが、仕事へ心よく情熱をかきたててくれる源泉であることはたしかです。ただし、これを試食させた悪友の一人が、この匂いと味から、直ちにセックスと直結させたがりましたが、我家では、まだそのデータをとっていませんし、僕の感じでは、それ程ショッキングなものではないと思いますので、わが悪友の学説を僕は保証しない事にします。体力補強、不老薬として、味けない化学薬品よりも、僕にとっては珍宝なのが、偽らざる僕の実感でしょうか。
(イ)昭和32年10月・・・・・簡単なビニールのフレーム床・・・1週間で発芽
                 双葉で越冬。
(ロ)   33年2月末・・・・地下蒔き・・・1週間で発芽。
(イ)は  33年霜どけと共に本葉出はじめる。
(ロ)も  1ヵ月後に本葉出る。
本葉2、3枚で半数移してみた。移植可能。相当乱暴に扱っても大丈夫。
移植しないほうはヒョロヒョロ。数回移植してみたら株が太くなった。
日陰でも育つ(現地では山の木蔭が多かった)が、日当りのよい方が株が大き
くなる。
ぼくは肥料に金をかけないで、落葉の灰、下肥、油粕、米のとぎ汁などを混ぜ
たものを施したが、現地では、火山灰と牛の糞の中で育っているのであるから、下肥を使わない人は花屋さんにゆけば適当な化学総合肥料があると思う。
これが一番大切である。ケチには育たないようです。本葉が3,4枚出たら惜し
げなく新芽を摘む。すると、また出てくる。摘む。出る。摘む。出る。この新芽を食うのであるが、この時期では食ううちには入らない。舌にのせるだけ。
この葉は実に美しい。新芽根元の直径が2ミリぐらいになったら、それを摘むの
は、1枚置きぐらいにし、古い葉は枯れてゆくので、成長した葉が絶えず2,3枚
残るようにする。この葉は秋までに4・50センチの見事なものになる。(株の大
きさは径3〜4センチ)
右ぐらいに育つと新芽といえども茎根元の直径は4〜5ミリにもなり、20株もあれば、見て楽しみ乍らも週1回は、ちょっと舌鼓がうてる。オシタシ、鍋もの、テンプラ等何にしても実に美味しい。
新芽を摘んだので花を持たないまま越冬。
33年冬、(イ)ビニールで霜よけ、(ロ)ワラで霜除け、(ハ)霜除けなしの3種を試してみた。結果は、霜除けの必要なし。あの大雪にすっかり埋ってしまった(ハ)が、雪解けの間から力強い新芽を吹き上げた。
34年晩春から、種採り用として、最もよく育ったもの3株の、新芽を摘むことを中止した。下図の如くぐんぐん伸び、背丈約1米60に達し、白い人参のような花をつけ( 8月)、11月に採種出来た。採種用以外はよく芽を摘んで背丈を伸ばさない方がよい。
これは一年草か? 前年度に、新芽を摘まないものを2,3本残しておいたら、ヒョロヒョロと50センチほどに伸び、昨年中に花が咲いたが、よい種はとれない。花をもったら1年の寿命で終わったのに、芽をよく摘んだものは、採種したものを除き、三冬を越し、なお強い芽を吹いている。ぼくは、この奇蹟を一度専門家におたずねしたいと思っている。
 皆様も、どうか、僅かな種からどんどんふやして下さって、見て美しく食べて美味しく、然もたくましいそのものの成長ぶりをまのあたりにされて、有力なる「アシタバ党員」におなり下さるようお願いいたします。
 「アシタバ党は、党員のすべてが、その生きる道や主義主張を異にし乍ら、現代に明るく強く生き抜くことを党是とする」など如何でしょう。各界にエネルギッシュに活躍されている皆さま方が、「アシタ葉」の合言葉のもと、一層の御発展、御健勝を祈り上げます。
 なお、栽培法その他について、教えられたり教えたりの事がございましたら、どうぞお電話下さるようお願いします。
 昭和35年1月
                                    宮脇公実
                              電話(411)2962
9 せかいじう一れつはみな兄弟や
 静岡市柳町水神社前にお住まいの村田親弘氏から、アメリカのA.R.E.に呼びかける形式でぶあつい原稿が届いた。
 村田同胞は精力絶倫の人で、その父上は富士山の主神コノハナサクヤヒメノミコトとつながりを持つ丸山教の行者であったときく。その血統の故でもあるのか、村田同胞は国内の霊学諸派、各宗教をあまねく研究して、最近は私の訳書を通じてエドガー・ケイシーにも深い理解をもっておられる。
 『AZ』の読者には、宗教や霊のことなどアタマから毛嫌いされる人も多いので、私としてはあまり神がかったことは書きたくないのだが、宗教否定派の人々にも、この狭い地球の上にうまれ合わせた人間同士なのだから、なかには毛色の変ったのがいて妙なことに頭を突っ込んでいても、アレもボクのきょうだいの一人だわいという大らかな心で、認めていただきたいものである。
 また、同じ宗教的な人々でも、ワタシはキリスト教徒である、オレは念仏の信者なり、ボクは回教徒だと縄ばりをするまえに、小学校に入ったときから教えられている「ミンナ仲ヨク」の思想が、はたして自分の宗教に矛盾するかどうか、よく考えていただきたいものだ。
 村田氏の原稿をよんでいると、天理教の中山美岐子教祖の紹介のくだりになった。いわゆる「お筆先」のなかから、いくつか抜粋してあるのを読んでゆくと、どうしても私の魂をゆすぶる次の二首にぶつかった。