『AZ』 5号
   せかいじう一れつはみな兄弟や
      たにんというはさらにないぞや
   高山にくらしているもたにそこに
      くらしているもおなじたましい

 私は天理教について大して深い研究もしていないが、この無学なおミキ婆さんの「お筆先」からほとばしるものは、文学博士の大論文よりも、はるかに人の心を打つ。
 世界中を「一列」と考える心は、実に偉大な魂にちがいない。他人という意識がなくなれば、「このみちはうちもせかいもへだてない」という実感も生まれるのである。この人類同胞感の欠けているものは、高山に暮す身ともなれば、谷底の人間を見おろして快哉を叫ぶ。谷底の人間は、山の頂きに羨望と嫉妬の目をむける。いずれも「せかいじう一れつ」の心から離れている。運命のいたずら(実は摂理だが)で、高山から谷底に蹴落とされれば、人をにくみ世を呪う。逆に、谷底から高山に、瞬時にして引き上げられれば、有頂天になってさまざまの悪行をなす。みな愚かなことである。
 しかしこのごろ、『AZ』の反響がいろいろ届くようになると、この世のなかには、実に沢山の不幸な人があって、あるいは貧苦に泣き、あるいは病苦に悩まされ、あるいは肉親の死別に断腸の想いをしているさまを知らされる。
 現に今朝も机に向かっていると、私よりもはるかに若いくせに、暗い不幸なふんい気をもった学生が来て、卒業試験に失敗したが、どうか英語の単位を下さいと頼みに来る。去年の試験にはちょうど父が急死するようなことになり、今年の試験は前日に寮が火災にあって勉強どころではなかったとか、きいてみると、どうしてこうも不運が続くのかと首をかしげたくなるような身の上話である。
 不幸のために人間が暗くなるのか、あるいは心が暗いために不幸を招くのか。生長の家流に心の持ちかたを変えれば、ある程度人生は好転するかもしれないが、人間の不幸・不運にはもっともっと深い「根」があるようである。
 だれにでも出来る、やさしい「道」を見つけねばならない。





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 これはエドガー・ケイシーのリーディング記録を、A.R.E.が編集した『百問百答』One Hundred Questions and Answers の抄訳である。今後、随時すこしずつ訳出して、そのうち全部をまとめて一冊にしたいと思っている。
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問14 医術にもいろいろ流派がありますが、どの流派が最も効果的でしょうか?

 あらゆる方法には、みな善い所があって、それぞれの位置を占めている。しかし、治療はどこから来るのだろう? 薬を施すにしても、脱臼の矯正や調整にしても、筋肉の緊張を和らげる方法にしても、電気治療にしても、結局は一つである。そして、治るという作用は内部から来るのだ! 治療を受ける個々人の意識では、とかく、あれこれの特定の方法が内部の治癒力をめざますのに効果があったと考えるけれども、実はその方法そのものによって治るのではない。(No.969 -1)


問15 それぞれの治療法において、治癒の源は何ですか?

 単なる病勢緩和ではなく、真の治癒がおこなわれたとすれば、その種類が霊的・磁力的・機械的・対症的・電気的・温熱的のうちのどれに入ろうとも、真に肉体に良好な影響を与えるかぎり、そこには宇宙的または聖なるものの力がはたらいている。魂がどういう世界や段階に存在しようとも、この法則は同じである!
 建設的な影響力は善のみから発する。善は神のみから発する。したがって、病いを癒やす作用は、それがどんな性質のものであっても、一つの源から出てくるのである。
 鎮静剤の注射も一時は効果がある――しかし、中途半端な真実は完全な虚偽よりも悪い。なぜなら、魂すらそれにあざむかれるからである!(No.336-1)


問16 肉体の病気は罪の結果ですか?

 物質界にもたらされるものは、まず精神界に胚胎される。したがって、われわれがすでに示したとおり、病気は罪である。それは必らずしも、人間の理解範囲内の「時」という契機に発するのではなく、永遠の魂のあらゆる経験の一部としてあらわれるものである。(No.3395-2)

問17 霊的(精神的)態度は、治癒のなかでどんな役割をしますか?

 聖書に示された数々の真理に、肉体が近づくほど、また霊的な事柄を通じて、自己の内部に潜在する能力に頼れば頼るほど、肉体における反応は速やかになる。なぜかというと、精神的・物質的どちらの場合でも、あらゆる治療は、肉体内の各原子と、脳の各反射作用とを、すべての原子や細胞のなかに宿る「聖なるもの」を認識させるように、同調させるからである。
 このような調整はすべて、肉体の諸中枢を、脳脊髄神経系や交感神経系の統合力の波長に合わせることである。そうすると、肉体は浄化され調整されて、肉体自身が自然に治癒をおこなうのである。(No.3384-2)


問20 肉体を更新し浄化することは可能ですか?

 これは、魂と心と身を「創造力」に献げる形式に関係してくる。神の「創造力」はあらゆる人の魂を通じて顕現することができるのであって、その人は復活の主イエスの甲冑を身にまとって立ち上がる。
 なぜなら、イエス・キリストはその道を示すにあたって、ある神秘的な薬液や不思議な波動などを用いず、単に「生命」そのものを生きる方法によったからである。
 悪を想わず、悪を言わず、悪を耳にしないこと。そのとき、真理がいのちの流れとして、心のすみずみを浸し、それに従い、肉体をも浄らかにし活力を与え失われた生気を取りもどしてくれる。( No.3688-1)
10 ケイシー百問百答より (その1)
   <健康問題>