『AZ』 5号
 
問21 肉体が幼児期以降成長をつづけるのに、きまった型がありますか?

 肉体の各部分は種々の周期に従って変化する。肉体は7年ごとに完全に変化してしまうためである。しかし、この変化は絶えず進行しているから、部分によって異なった反射時期に変化するのである。(No.3688-1)


問22 白髪の原因は? またどうしたら自然の色を取りもどしたり、保存したりできますか?

 この原因は実に沢山あるが、一般的に言うと、頭皮の毛穴または毛髪自体の刺戟によっておこる。それは心配や憂慮のためもあるし、恐怖や驚愕から来ることもあり、また表皮の血液循環に或る成分が欠乏したせいもある。(No.1947-4)

 ジャガイモの皮しぼり汁を、毎週2,3回規則正しく飲用すれば、毛髪の自然の色を取りもどすうえに、他のいかなる科学的調合物よりも効果がある。(No.3051-3)

 白髪防止には、アイルランド系ジャガイモの皮から取ったジュースを1パイント(約2.6合)、すくなくとも週に1回飲め。ジャガイモそのものではなく、皮だけであることに注意。毛髪の自然色を保つのに効験がある。(No.3900-1)


問23 旧約聖書の時代と比べて、人間の寿命が短くなったわけは?

 当時の寿命はどのくらいだったか? 1千年近かったのである。こんにち、あなたがたの寿命はどうであろう? 神が各種族や神の掟を制定した者やダビデに与えた寿命はどのくらいだったか? 初めは千年、それから120才、80才と減ってきている。なぜか? 人間の罪は、自己の欲望のみを満たしたいという願である。
 こんにち、地上の諸国民のうち、自分の国土や環境のなかに創り上げてきたもの、また創り出しつつあるものに応じて、振動する国民はどこにいるだろうか? 平均寿命が60才から84才にまで延びた国民に注意するがいい。そうすれば、どの国民が神に奉仕しているかを判断できるだろう。これは審判である。これは、真理を知ろうと努める者、天国を研究しようとする者、自然の諸要素を分析しようとする者、人間の心を知ろうとする者に与えられたしるしである。(No.397 6-29)


問24 正しい食養は、平衡の取れた人生において、どういう役割を果たすか?

 何を食べるにしても、その食物が汝の欲するままの作用をするように留意せよ。植物、鉱物、あるいは各種成分の混合物が、異なった条件のもとに、異なった効果を生ずる理由が、しばしば考慮されている。それは個々の肉体の意識によるのである。たとえば、清水を一杯呑ませておいて、これは塩の作用をするぞと暗示をすれば、そのように作用することが多い。
 有機体(肉体)全体に対する印象もその通りである。血液中の各細胞・各血球は、それ自体が全宇宙であるからである。カナリアのように僅かの食物を取って、労働しようなどと考えてはならない。また重労働をやる人のように食べておいて、読心術師や大学教授の仕事をやろうと考えてはならない。それぞれの目的に合致した食物を取るべきである。宇宙は、種々の階層から成り立っており、それが相互依存の関係にあるからである。
 神を期待する気持で心を満たしている人は、天地間の萬物に――風や太陽や大地や花や地上の動物に――神の動きとあらわれを見るであろう。そして肉体もそのように構成されている。肉体を単なる食欲の満足のために取扱っていいものだろうか? あるいは、身と心と魂がそれを表現しようと選んだものを、よりよく成就し拡大する務めをはたす大切な「道具」として考えるべきであろうか? 何を、どこで、いつ、という問題は大して重要ではない――ただ肉体を通じて成就すべき目的と合致していればよいのである!
 古えの記録どおり、イスラエルの子たちが異教徒とともに暮し、すべての者が王の食卓から食べたとき、その食物は肉体の欲念をそそるようなものだった――たとえば強いアルコール飲料、不消化な肉、肉体の慾を増進する調味料などである。そのため、ダニエルが充分知っていたように、それは神に対する奉仕から人を遠ざけるものだった。しかし、ダニエルはむしろ、身体と心が、神を表わすためのより完全な水路となるように、ふつうの日常的な食物を与えられるほうを選んだ。
 食べすぎは飲みすぎと同じように大きな罪である。考え過ぎも行為過剰と同じように大きな罪である。イエスが身を以って示したように行なえ。汝の身と心を、人生に起こるあらゆる場合に備えて整えよ。イエスが唖の霊を追い出したとき、「われらいかなれば逐い出しえざりしか」とたずねた弟子に対するイエスの答をよく考えよ。「このたぐいは祈りと断食によらざれば、如何にすとも出でざるなり」
 それゆえ、汝の生をいとなむに当たって、肉体を調整することは必要であるが、さらに、汝の心と身を、汝の出入を、汝の日々の行動を、霊的確信と合致するものとせよ。そうすれば、必ずやその報いは、人の模範となる生活と、立派な身体と、ひらいた心と、愛にみちた精神とであろう!
 肝臓に故障があれば、心に感じたことを外に示すことができる人は少ない。なぜなら、血液は心臓を通る回数の二倍だけ肝臓を通るからである。肝臓は、心臓と肺臓の内と外の血液の浄化所である。したがって、日常の行為において、また研究において、一度話すまえに二度思いをめぐらせ――舌は一つであっても、目は二つあるからだ。心臓は一つだが、肝臓には七つの肝葉がある。そして、いま汝の両手にあるものを用いよ。そうすれば汝の目は一つとなって神への奉仕に役立ち、汝の舌はゆるんで正しい方向にむかうであろう。(No.341-31)
11 無知の詩
問題を追いかけて
そのまわりに
私の心はニカワのように固着する

そこは暗闇だし
手も足も出ぬ死点だ