『AZ』 5号
明敏なはずの私の頭脳は
一瞬
未知の無知と無能を露呈する

それは
悩みというような
なまぐさいものではないらしい

なぜなら
私はそこで一つの認識を得るから

問題を追いかけて
問題が姿をかくし
私は祈りの心に入る

私の祈りには もちろん
要求も
嘆願も
強請も
期待も
失望も
ない
なにもない

ニカワになった私の心をそのままに
魂は 私の魂は
ひとりで軟かく溶け出して
讃え歌をうたう

私の心は羅針盤を失っても
私の魂は
ねてもさめても
神のほめうたを歌っているのか

心があたまをもたげて
魂に視線をやると
その刹那
無知は全知に変貌するのか

無知よ
おまえは悦ばしい私の伴侶ではないか
無知よ
おまえあってこそ
私の人生は進行するのではないか

私は
無知を讃えて
まどろむのだ
やすらかに
                                    ――1960.5.16――
12 A.R.E..のプロモーター
 A.R.E.は『奇蹟の人』の読者はご存知のように、“研究と啓発のための協会(Association for Research and Enlightment)”の略称です。
 エドガー・ケイシーのことをもっと知りたくて『宇宙』の購読を申し込んだら、もうつぶれてありませんと言う。代りに送ってきたのがこのヘンテコな『AZ』という雑誌。がっかりするやら何やらで、継続郵送申込もしないでほうっておいたら、またこの5号を送ってきた ― そういう人も今この記事を読んでいるでしょう。
 ケイシーの共鳴者のみなさん、どうか気長にこの運動の展開を見守って下さい。AZは海のようなものです。海はウミ ― 産みです。海からもろもろの生物がめばえるのですからね。
 AZからスブドを知って、霊的修練を始めるかたも沢山いますし、AZからケイシーのことを知ってサイキックの世界に目をひらく人もおります。またAZの縁でリンサンと友だちになり、お嫁さんを見つけてもらった青年もいます。ABCD、EFG・・・です。いろいろと豊かです。
 だからAZをあまりいじめないで下さい。自由価代金ゼロを払込んでくれる人も、送ってこられても封を切らぬ人、ウンともスンとも言わぬ人、いろいろありますが、みんな大切な「お客さん」です。ただどうか、『AZ』を読まぬ人も、この雑誌を人目にふれる玄関の床にでも置いてくれる親切気を出して下さいな。
 ところで、A.R.E.もAZという親木から出てくるタクマシキ枝の一つです。将来有望であればこそ大器晩成、育つのにひまがかかります。『奇蹟の人』のあとがきに書いたように、私は「両腕にかかえきれないほどの贈物をもっている』のです。それはウソではございません。
 しかし、私は8人の家族をやしない、スブドのヘルパーをやり、会社のトリシマラレ役をやって、その他もろもろに忙しいのです。翻訳しようと思っている本も5、6冊あり、正にアレモコレモの典型で、本号“すべりこみのページ”の光子ママの言うとおり、オモチャを腕一杯かかえ込んでいる赤ちゃんよろしくのかっこうなのです。
 でも、光子ママにことばを返すようですみませんが、私は“にぎり屋”ではないのです。仕事はオカネ同様、どんどん四方八方に散らしていますし、いい人が出来てくればヒサシもオモチャもみんな差上げちゃう性質です。
 そこで、この章ではA.R.E.発展の経過報告と将来の見通しを申し上げます。
 本年4月の初めに、彗星のごとく吉岡恒という人物が現れました。貫禄・年配ともに申し分なく、ゾッコンA.R.E.に惚れこんで来たのです。まず翻訳を手伝いましょうということで、『沈没大陸アトランティス』の原本を私の所から持ってゆきました。そしてバリバリと完成しました。(これは今私が原稿を検討中、近く出します)