『AZ』 5号
 吉岡さんはアトランティスで、もう120パーセントも参ってしまいました。惚れたハレタの段階ではなく、いのちを賭ける決意をしたのです。吉岡さんはもともと実業家です。金もうけはイヤというほどやりました。そしてイヤになりました。自分のオナカをふくらますワザは、もうおしまいになってしまったのです。
 吉岡さんはまず『奇蹟の人』の頒布をやろうと、東京のビズネスマンのあいだをグルグル廻りました。古い友だちのせいもありますが、時代が時代ですから、こういう本には飛びついて、心から吉岡さんにサンキューを言ったのです。そして驚くなかれ、1人で1ヶ月に百数十冊もさばいてしまいました。そのお買い上げ主がみんな主がみんなソウソウたる社長、会長、取締役の連中ですから、そのうち会社ぐるみケイシー党になることでしょう。
 吉岡さんは1月に千冊は配るよと張り切っています。これはカネモウケじゃなく、伝道の情熱です。とりわけ、アトランティスの本のなかで「一なる法則」(Law of One) という言葉に魂をつらぬかれて以来、吉岡さんは何でもヒトツという人生法則の体現者になりました。
 「わたしはロー・オブ・ワンの教祖だよ」と笑って言う吉岡さんは、A.R.E.日本支局の何かのポストにつけてくれと私にたのみました。
 プロモーター、これが吉岡さんの役名です。プロモートする人。グイグイ押す人、私の重い尻を押しまくる推進者、そんな意味です。
 吉岡プロモーターは、どこかから、こういう有意義な事業に対する賛同者・資金提供者をみつけてきて、A.R.E.の独立の事務所も設け、1万5千のリーディングを日本全国に配達する仕事をやるぞと張り切っています。
 神さまが応援して下されば、1千万円ぐらいの資金はできるでしょう。
 しかし、それまでは孔版印刷で、みなさん当分のあいだカンベンして下さい。『百問百答』と『続・百問百答』も、いま吉岡さんが翻訳をすすめています。ほかにも沢山の協力者が、食事問題、新時代の教育法、ピラミッドの秘密、霊的治療の実際などのパンフレットの訳出に、毎日努力してくださっています。
 もう少しです。仕事はすすんでいるのです。そして私は、来る人来る人に仕事を配給して、皆といっしょに歩武堂々と進軍をしています。ご安心下さい。
*すべりこみのページ*
☆ 前号にも紹介した浜崎洋至さん(神戸市生田区海岸通五商船甲南汽船KK勤務)から、アトランティス大陸について次のような手紙が来ました。関心のある人には貴重な内容を含んでいます。

拝啓 本日AZ3号拝受仕りました。
 アトランチス王国の記事は知らない人が多いので、大いに啓蒙してくださることを望みます。
 エドガー・ケイシーのアトランチスの陥没説は本当に在ったことなのです。アトランチスの陥没より前1,000年に、太平洋上にあったミューMu 大陸が陥没して居ります。Muより役1千数百年後にアトランチスが没したことは、ジェームスチャーチワードに依る訳本があります。印度の寺院の奥深く石に刻まれたナッカル書が現存しているのです。
 これを荒唐無稽であると、あなたは遠慮して申されて居りますが、この真実性を疑う訳には参りません。
 アトランチス及びエジプト更にマヤ方面に分散した人々は、総て母の国 Mu から渡った人達です。Mu は現在の太平洋上カロリン、マーシャル、ハワイ、イースター島を含む、東西6千哩南北3千哩に及ぶ大陸で、今から1万2千年前に陥没したのです。
 私が日本の童話の浦島太郎に大変興味を持ち出したのはこの Mu を知ってからです。このお話は1万2千年より以前浦島なる人が Mu 大陸に渡って、そこで一生を送り、年おいて日本に帰ってきた物語りを表現しているものです。現在天竜川の上流に浦島がここから亀に乗ったという遺跡があり、サイパン島に浦島がここで暮したという碑があったと帰還した兵隊さんに聞いたことがあります。昔は竜とか亀を舟のへさきに刻みました。現在舟のヘサキを竜頭と名称がある通りで、亀に乗ったと云うのは舟に乗ったことを意味します。
 その Mu が没して何億年も経ち、人々が Mu を知らない為に竜宮と名付け(竜宮は別にありますが)たものと思います。もう一つの竜宮は、お釈迦さんが竜宮からエンブダンゴと云う地金をとり寄せて、仏像を眉間の光で溶かして作ったと経文にあります。エンブダンゴとは白金で、当時 Mu 大陸では非常な化学工業の発達をしていたので、白金の精製も可能であったことを意味します。その仏像が現在の善光寺の本体であると伺って居ります。
 浦島が現在の海岸線と異なる山の中から亀に乗ったことは、当時温暖な気候で極地の氷が少なく、海水の水位が高かったことと、日本は北が沈み、南が隆起しているのと合せ考えて当然のことであると思います。
 Mu からアトランチスに渡ったのは、恐らく1万5千年以上前のことで、リーディングに色々な背の人々が居たと云うのもナッカル書にある記録と合致します。ナッカル書では当時アトランティスがエジプトに出兵していた時に、本国が沈み、兵士は分散してヨーロッパに留まったとあります。

 現在高天原は九州の山であるとの文献もありますが、私は Mu であったと思って居ります。古事記書紀などにイザナギイザナミ命が高天原に帰り天照大神に会っています。にも不拘歴代の天皇は一度も高天原に帰った記録はありません。即ち Mu の陥没以前と以降の差であると思うのです。

 第3号を見て思いついたことを書きました。もう亡くなられましたが藤村悟朗氏(昔浅草で歌劇に居られた方で榎本健一氏の先輩の方ですが)も Mu とアトランチスの研究家でした。

☆ もろもろの反響おもしろし。
 「霊の啖呵を切る麟公! 何を言い出すか、何をしでかすかわからない。まさに彼の存在はAZの中のXである。私のように小心翼々たる魂の悪党は、よほど努力せぬと素直についていけないような気がする」
 このかたは六十代の敬虔なクリスチャン、鎌倉市山ノ内368の山の上に、450坪の土地を借り、40坪の家を建て、悠々自適の毎日を送っている松尾則民さん。奥さんをなくされ寂しい日常ですので、鎌倉に遊ばれるかたはどうぞ立寄って、同胞の交わりを結んでください。いいかたです。

☆ そうかと思うと、年輩のかたから次のような戒めもいただく。
 「りんさん、お元気で何よりです。AZ3号正に拝読いたしました。個人雑誌で次から次へ