『AZ』11号
してこの脂肪は案外に熱感度がよくて、厚さ1ミクロンほどの表層では実に敏感に、外物の熱(悩み)をキャッチする。わかりやすく言えば、自分がいま五百万円の借金で日夜あたまを痛めているとすれば、隣席の学生が百円札を落として帰りの電車賃の工面に苦慮している心のなかが解らないようなものである。自分に悩みがなく、明鏡止水の心境であれば、実にツマラヌちっぽけな人の悩みでも、ありありとよくわかるものだ。
 ふつうの人はだれでも何かしら悩みがあるから、それと同種の悩みをもった人がいると、自然に関心をもってそばに寄り、親身にその悩みをきいてやる。
 「それはですねえ、こうなんです」
 とお為ごかしに解決の助力もしてやるが、実は他人をダシにして、自分の問題を考えているのである。おおむね、人間はかくのこときエゴイストなんだけれど ・・・。
 ところで猫というヤツも相当のエゴイストだね。あのエゴイズムが美しいといって、古来ネコ党は沢山いる。金持ちの奥さんで沢山のネコ族をはんべらしている人がいるが、あれはやはり猫に親近感をおぼえて、同気相引く現象を呈しているのであって、猫好きには底抜けのお人善しはアンマリいない。
 そのネコの鼻が冷たいというのは、これもまた素晴らしい象徴であるわい。だいたい、人相学では鼻が自我をあらわすとされ、
 「オレが、オレが」
 というときには、自分の鼻をさす人が相当多いものだ。あのかっこうは、その人のエゴイズム丸見えで、あまりいい感じではないが、そのエゴ象徴がダンゴ鼻ならご愛嬌である。鼻もその大きさに応じて、エゴの強大を示すから、「鼻っぱしらが強いヤツ」という言いかたも偶然生れたものではない。
 その鼻が冷たい、しかも猫のーーと来ると、それはあからさまにエゴの冷たさである。これを女のお尻と並べるのは、やはりもってのほかである。だいたい、本質がまるで違う。女のお尻は、しばらく抱いていればホカホカと気持ちよくなるが、ネコの鼻など抱いていれば引っかかれるぐらいがオチだ。
 ネコの鼻のほうは敬遠して、オンナのお尻のほうを大切にしたがよろしいーーこれが私の言いたいことであるらしい。
3 仁医出口倫氏の神秘体験
 神秘体験というと、幽霊に出会ったとか、テーブルの上のメガホンが飛んだとか、その種のことまで含めて考える人もいるようだが、私はあくまで正しい神秘主義(Mysticism)の立場で、ものを言いたい。
 真の神秘体験は、一言にして、大いなるもの・無限者との融合体験である。この種の体験は、宗教家にかぎらず、古来の秀れた芸術家たちがしばしばそのなかに浸り、インスピレーションを引き出した源泉である。
 神秘体験は人格を高め、その人の生活を徐々に、あるいは急激に変える力をもっている。それは当然心身の浄化をともない、光風晴月の心境をみがき出すものである。
 私はこのほど縁あって、東京都杉並区大宮前六丁目459“無限の家”に浄居し、悠々自適の生活をいとなむ高風の士、出口倫氏(別名林一)と相識るを得、『人・病・癌』と題する著書を賜った。
 この著作は近来稀有の良書であり、特に一章をさいて、同氏の顕彰に一臂の労をとろうと思う。

 私ははじめ、この章に“三十種もの病気瞬時にして消ゆ”という長い題をつけようと思ったが、出口氏が昭和4年12月5日午前1時深更に得た体験は、単なる肉体疾患の奇蹟的治癒以上のものである。この神秘体験以後、氏が市井の霊術士に堕することもなく、自己の転職である医業にその体験を生かし、無数の病者によみがえりの悦びを与えた三十有余年の半生を、心より尊きものよと讃嘆せざるをえないのである。
 だが、事の順序として、まずその体験の一端を、氏の達文によってうかがおうと思う。


 「昭和4年(1929年、当時36歳)12月5日のことである。私は東京新宿の角筈一番地、屈指の繁華街に医院を開業していた。熟睡中何の予感もなしに、午前1時頃から約1時間、頭の中で突然清涼爽快な風が吹いているようなよい感じが続いた。それからも熟睡はそのまま朝起きるまでつづいたのである。その朝、いつもの様に起床して見ると頭脳は軽快、精神は如何にもさわやかであり、五体の束縛から全く解放されたような感じであった。
 二階の寝室から階段を降りて洗面し、食卓の前に坐って待っていた。東の円窓からは、朝陽が射し全身を照らしていた。不図見ると坐っている上半身、特に頭部、顔面部、頸部、上胸部、腹部一体から美しい後光が放射線上に、恰も孔雀が羽を拡げた様な、しかももっと軽快な色彩と光沢であり、各光線は長さ三尺位もあり、先端は自然にうすくなっていて、身体から発して四方八方に向かって徐かに動いている如く、実に美麗で繊細なものであって、約十分間位も続いたと思われた。これは決して幻覚や錯視でなく、現実に明瞭に見たのである。」

 これはたしかに、就眠中の「体験」により、全心身が霊化され、いわゆるオーラが強烈に放射された現象と思われるが、出口氏が朝食後いつものように書斎に入り、養心の趣味である書の稽古を始めたとき、墨をすりながら、不思議に想が動いて十数首の歌が出たというのが、この「変化」を発見した端緒である。
 いざ筆をとって紙に向かうと周辺のものことごとくが「清麗で悉く手ごたえ、眼ごたえのあるようであり、字が思うままに自由に書ける。頭も手も思いのままに働く」状態になっていた。午前9時から診察を始めて、さらに驚いたことは、
 1.あらゆる感覚が鋭敏になり
 2.頭の中が整えられ清澄であり
 3.物ごとの運びが順序よく
 4.患者の心のなかまではっきり解り
 5.内的には気丈夫で自信に充ちる
 状態になっていたのである。聴診のラッセル音も耳に近く明瞭に、「あたかも何かを語るごとく」聞こえた。この時以後、人生観、社会観、自然観、宇宙観が一変したばかりか、元来虚弱な氏の体質に巣くっていた三十余種の病気(胃炎・脱肛・神経質・肥厚性鼻炎・浮腫性麻痺性脚気・痛痒症・感冒・頑癬・胃酸過多症・肺結核・頭痛・歯槽膿漏・ムシ歯・膝関節ロイマチス・眩暈・冷え性・近視・その他)