『AZ』11号
が、瞬時または短期間で治っていった。

 これはいかなることであるのか。その奇蹟は世に喧伝されることもなく、出口氏はひっそりとこの「変化」を身を秘め、医業に精進した仁者の道を歩んだのである。先祖の余慶、本人の努力その他が一夜にして結晶した結果であろうが、この結実を氏がいかに「職業」に生かしたかを見ることも、わき道ではあるまい。

 昭和10年ごろ、患者のなかに重症急性腎臓炎に悩む20歳の青年がいた。別の医師にかかっていたが、病勢はかばかしくなく、ついに病床から離れることのできぬ状態になり、ある夜出口氏は往診を依頼された。
 ひどい浮腫、呼吸の促迫、尿には蛋白、相当の重症である。氏は型通りの治療をしてから、まわりをみると、わずか一坪ほどの小屋同然の家にセンベイ布団を敷いて寝ている。あまりの貧しさに同情の念を駆られ、何心なく金50銭を与えて、慰め励ました。患者はもちろん大いに喜んだ。
 翌日午後往診すると、どうしたことか患者がいない。盲目の母親がポツンと坐っているので聞くと、今朝起きるや患者は常と変わらぬ元気で、浮腫もほとんど消え、母が止めるのもきかず工場にいってしまったという。
 その後6ヶ月たって、青年が帰省したとき受けた報告では、たしかにその日一夜のうちに全治して、従前どおり工場で元気に働けるようになったということであった。
 名医の一言は百薬に優るという実例を、私はこの治験記録にみて、これあるかなと膝を叩きたくなった。外見上やることは世間一般の医者と同じであるのに、何がここまでの変化を産むのか。
 出口倫氏はこの著書の冒頭に“脳波襞論”というのを掲げ、すこぶる独自の医学説を展開している。氏のいうところの波襞(はへき)は解剖学上のシワやヒダでなく、日夜変化して止まらぬ脳実質内の「波」である。
 人が快感を得、爽快をおぼえるとき(たとえば熟睡後)は、波襞が消失・減弱し、逆にイライラしたり苦痛を感ずるときは、波襞が発生・増強すると説かれている。
 脳の機能が真に健全になると
 1.判断力は正確になり
 2.感情はおだやかで偏せず
 3.意志は強固となり
 4.心は分裂せず
 5.執着から離れ、自由無碍となり
 6.変化に適応性が出て来
 7.行動は敏速になり
 8.事にのぞんで右顧左眄せず
 9.いったん始めたことでも途中で止めることになれば、ただちに行動を中止して   すこしも悔ゆることなく、かえって中止に対して喜びを覚える如し
 と説明されている。(同書19頁)

 著者は自己の一夜の「革命」を、この脳波襞論からみて、僅々一時間ほどで突如変異的に脳の調整がおこなわれたと解釈している。たしかにそのようなことはあるのである。解釈は他にも多々あろうが、傑僧盤珪が梅の香に鼻をうたれて大悟徹底したよに、つみ重ねた精進が一瞬にして開花結実し、まるっきり別個の人間に誕生するということは、史上数かぎりなくある事実である。
 しかし、ここにわれわれと世代を同じくして、この貴重な体験をもった人が実在するということは、実によろこばしいことである。
 さいわい、来る3月26日を予定する“AZ春の講演会”でも出口氏は客員として来講されるので、有志はぜひこの際同著書によって「人間変革」の秘密と生理学を研究されたい。
 おわりに、同書の巻末にある次の名歌を紹介して、この稿をとじたいと思う。
打てば響く
打てども鳴らず
時にまた
打たざるに鳴る
鐘はよい鐘
4 軽くなる
 かるがると、身を軽やかに、小鳥のように枝から枝へと飛びまわれば、空も青く、そよ風もあなたの頬をなでるだろう。
 軽くなることーーこれは人生の第一目標である。
 人は「軽さ」より「重み」のほうを大切にする傾向があるが、これはきっと象徴的にいって、地球の重力のせいであろう。
 どっしり構えた人間のほうを信用し、軽口たたく人間のほうは、文字どおりカルク見る。これはたいていの人のクセではあるが、重厚ごのみの人は案外に人生の甘き果汁を吸いそこなって、損な一生を送りがちだ。
 音楽でいえば、ベートーベンをきいて深刻な雰囲気にひたらないと芸術を味わった気がしないという人がいるが、シュトラウスもなかなかいいじゃないか。ビゼーだって、ショパンだって、棄てたものじゃない。
 会合などで沢山の人の顔を見まわしていると、一人か二人は、いやに重たい空気をただよわせている人がいる。みんなが笑ってもニコリともしない。片腹痛いという顔をして、ことさらに眉根をしかめてみせたり・・・。
 こういう人は病気である。重篤の心の病気だ。そういう人はまわりから微笑のベールでやんわりと包んであげて、心の氷をとかしてやりたいものだ。しかし、おおむね、こういう人の快癒には時間がかかる。
 重苦しい人間というのは、やはり荷物をしょっているのだ。すべて苦しみ悩みは、みな荷物で、これをかんたんに棄てきれないところに、悩みの深さはある。なかでも前世的なものは、かんたんには抜けない。重さという宿命で慢性に悩むことによって、その人はその人なりに人生修行しているのである。それにしても、他人の重さに感染しやすい人は、よくよく気をつけたほうがいい。それも自分に原因があるので、1グラムの小石を手にしていても、それを雪の山腹にころがせば、下に行けば行くほど大きな雪ダルマとなる。しかし、実体は1グラムの小石だから、陽光がゆたかに照せば、まわりの雪はとけて消えてしまう。しかし、消えるまでは1トンの