『AZ』11号
人間はだれでも自動人形です。
 皇帝陛下も自動人形です。あなたの大統領も自動人形です。あなたの法王も自動人形です。しかしこういうことを言っても、どうか感情をきずつけないで下さい。この雑誌を読み終わるまで、おこるのは延ばしてくれませんか。
 自由意志は幻想です。ただし非常に役に立つ幻想ではありますが。こんなこ言うと、もし自由意志が幻想ならば、今この瞬間に死を選ぶとおっしゃるかもしれません。あなたの牧師さまや司祭さまは、過去何百年のあいだ、自由意志についてお説教を続けてきました。しかしあなたに今、真理を述べましょう。自由意志は、ちょうどまっ白くした砂糖のようなものです。それはあなたの歯をいためるでしょう。
 もしあなたが、いわゆる「自由な」意志に満足しているとすれば、決して「新しい」人生を開くことは望めません。そうですよ。あなたがたはたいてい何らかの変化よりも現状のほうをとるものです。だから現在のままでとどまる自由もあります。あなたは自分の耳を閉じて、永久に私のことばを聞かないようにすることもできます。それはあなたの自由です。しかしこの「私の自由」と呼んでいるものは、実はなんの自由でもありません。あなたは自動人形であって、環境のいうままに盲目的に環境の代弁者であるにすぎません。あなたは自由ではありません。決してそうではありません。あなたはあなたを取り巻くあらゆる人・動物・植物・鉱物の奴隷になっています。あなたはまだ自分自身の声を聞いたことがありません。あなたはまだ自分自身の姿を見たことはありません。あなたはまだ自分自身の手に触れたこともありません。
 あなたの存在のなかには、いくつかの異種の存在を飼っています。あなたは毎日この異種のペット(愛玩物)にえさをやっています。現在このペットたちの働きは大変さかんなので、あなたがどんなに自分のほんとうの「自己」を見たいと思っても、その目にはおおいが出来ています。しかしあなたのまわりにきっちりと出来上がっている殻は、ほんとうはあまり堅くはないものです。遅かれ早かれ、あなたの表面的アクセサリーは蹴散らかされて、無に帰してしまうでしょう。そこでAZのなかの兄弟たちよ、どうか楽な気持ちになって下さい。あなたが自動人形であって、あなたのなかに巣くっている寄生的ないろいろの力で、あちらこちらに追いまくられているという事実にもかかわらず、希望と勇気を持ちなさい。
 以上に述べたことにも関わらず、われわれは自動人形でなければならない宿命をもっています。われわれが望み得る唯一のことは、現在仕えている主人よりももっと偉大な主人に仕えることです。あなたの現在の主人は、あなたの奉仕に値しないような主人です。もしかすると、あなたは今あなたのイエス・キリスト、あなたのエホバ、あなたのアラー、あなたのゴータマ・ブッダに奉仕していると思っているかもしれません。しかしこの「あなたの」というのは、ほんとうはなんでしょう?それはまちがいなく「あなたのもの」以外の何ものでもありません。ところが、あなたはまだ「あなた」になっていないのです。なぜならあなたは、あなたのまわりにある低いいろいろの力の奴隷になっているからです。
 私がしゃべっていることを辛抱して聞いて下さい。私は熱にうかされてうわごとを言っているのではありません。ただ待ってくだされば真理が見えるようになります。人間の言葉はたいへん不器用なものなので、それを私の魂に合わせるためには、いろいろとねじ曲げねばなりません。
 私の魂が今ここで語っております。私の心はここに眠っています。あるいは別の言いかたをすれば、私は自分の心を眠らせておこうとしています。なぜなら、もし今私の心の手綱を離せば、それは私の魂を窒息させ、したがって私が真理を語るのをじゃまします。私は自動人形です。私は今仕えている主人よりも、もっと偉大な主人に仕えたいと思っている自動人形です。
       −英語版『AZ』1号1章 YOU ARE AN AUTOMATION
11 あなたの性的結合を聖なるものとせよ  (翻訳)
 「そんなことはしたくない・・・・・」
 それがあなたの答えなのか。私にはあなたの感じかたが分かっている。あなたは毎日曜に教会に行くことで、うわべをまじめに重々しくみせかけるのに充分であると感じているかもしれない。しかし性的結合などということばが出たらたまらない。あなたは、こんなことはあなたの内容の生活の秘密、極秘事項にしておきたい、という気持ちをもっていることも分かっている。そうすれば、あなたは人から隠れて行なうということによって、最大の楽しみを得ることができると思っているからだ。あなたはこのおいしいものをシャツの下に隠しておきたいと思っている。なぜならこのようなことは、何もかも知っているのは自分だけだということが確信できたとき、ますますスリルに富み楽しいものになるということを知っているからである。
 あなたの秘密のことがらに無礼な近づきかたをするので、あなたは私を憎んでいるかもしれない。「自分のことはほっといてくれ」というのが、この章の題を始めに見て起こった反応だったかもしれない。あなたの立場はよくわかる。あなたが安心するように、私は決して堅苦しいピューリタンでもないし、道徳を売りに来たのでもないということを告げなければならない。私はかってはベスト・セラーになった恋愛小説(性的小説と呼んだほうがよいかもしれない)の人気作家だったことのある父親の長男として生まれた。私の遺伝的傾向は、性に関係する感覚をできるだけ完全に満足させようとする方向にむかっている。それにもかかわらず、私はフロイトのような人間ではない。私は他人の性愛生活の過去の秘密にあまり興味はおぼえない。これから言うことは、“すり”が秘密であるというような意味では、セックスは秘密であるべきではないということである。セックスは太陽の白い光のなかに輝く真珠のようなものであり、またそうでなければならない。私は長いあいだ、なぜ多くの人々が、セックスのことを話さねばならなくなると、必ずやましい表情を浮かべるのだろうかと、不思議に思ってきた。あるいはその人たちは、人をごまかすにやにや笑いの外套の下に隠れようとする傾向をもっている。いまでは、なぜそういうふうにするかというわけが私にはわかる気がする。
 おそらく多くの人は、自分たちにあずけられたセックスの部分を、まちがって取扱っているということを自分で知っているのだろう。かれらは自分たちがそれにフェア・プレーを与えていないことを知っている。それにもかかわらず、かれらは現在の性的関係から、喜ばしい収穫を刈りとり続けることができると考えている。
 もしあなたが、あなたの赤ちゃんがチョコレートを食べるのに最大の喜びを味わっているときに、その手からチョコレートを奪ったとしたら、何が起こるだろうか。赤ちゃんはきっとワッと泣き出して、あなたのことをうらめしそうに見るであろう。このような残酷な父親の役割はしないほうがよい。