『AZ』11号
 神はわれわれにセックスというあまいチョコレートを与えている。その効果はすばらしいものだ。神がそれを取り上げてやろうと言い出したら、喜ぶ人はほんの少しであろう。それにわれわれは、その喜びをあきらめる必要はない。苦行的な生活は、20世紀あるいはそれ以後の生活にあてはまることはめったにない。私は、そういう言いかたをお望みならば、享楽主義者である。私はこの地上に生きているかぎり、いろいろな種類の人間の楽しみを捨てたいとは思わない。しかしもし、地上の兄弟にさよならをせよと命令をされたらどうするか?そのときはその命令に従って満足しなければならないだろう。
 とにかくわれわれは、周囲のすべてのものから種々の楽しみを得る資格がある。たとえば食物・飲物・衣類・家・音楽・美術・楽しいおしゃべり・スポーツその他数かぎりない楽しみで、そのなかには性的結合もはいっている。しかし私が享楽主義者である度合は大変なもので、私は楽しみを最大なものにしたいと思う。たとえば性的結合の楽しみももちろんそうである。しかしこれは水平的なものではなくて垂直的にである。ところで、ここに「水平的および垂直的」と言ったのはどういう意味かあなたには分かるか。私は次のように説明してみる。
 ミスター・エピック(享楽氏)が一人の合法的妻と三人のおめかけを、エロスという名前の町にもっていたとする。エロスの市民たちは、享楽氏の生活を全く普通であり、社会的に受け入れられるものとして考えている。というのは、市民の多くもまた、複数の性的結合をエンジョイしているからだ。エロスの町の妻たちや愛人たちは、かれらの夫や情夫について全然ぐちをこぼさない。エロス市の女たちは、一人以上の男と肉体的にまじわることを嫌うという意味で、みんな有徳である。そのわけはなぜか知らないが、とにかくその町の習慣はそのようになっている。
 ある日、享楽氏はかれの性的パートナーの数を増やすことを考える。四人から五人へである。この町の人はだれでもかれの意図に反対はしない。多分その地位を志願するもう一人のきれいな女の子がでてくるだろう。ああ、こんなことを言うと何もかもおかしく聞こえ、ちょうど新聞の求人欄のような感じがする。享楽氏がもう一人、情夫を増やしたとしたら、かれは、いままではほかの四人の女に割り当てていた時間を減らして、新入者のための時間をひねり出さなければならないか、あるいは働く時間を減らして、かれの新しいペットに礼をつくさなければならないか、どちらかだ。もしこの計画が実現すれば、享楽氏が信ずるように、かれは楽しみの量をなんらかの意味で増やすことができるだろう。そのときかれがより幸福になるか、あるいは健康をそこなうような結果になるか、それは分からない。しかしこの場合、私は享楽氏のこのような行為を「水平的快楽追求」という範疇のなかに入れる。
 こんどは「垂直的快楽追求」を論ずることにする。この方向に向かう人間の楽しみの強化は、回数や量とは何の関係ももたない。享楽氏はかれの女たちの数をふやすことも減らすことも自由である。かれが性的交渉を1時間に1回、あるいは1週間に1回、あるいは1年に1回、あるいは1世紀に1回エンジョイしようと、それはどちらでもかまわない。このことは全くかれ次第である。方向は垂直でなければならない。かれは「何回ぐらい」とか「いくつぐらい」とか、「どのくらいすごく」というような論議を超越しなければならない。
 エロスは平和な町である。過去何世紀ものあいだ、だれも戦争や流血や原子爆発の話しを聞いたものはない。人々はそれぞれの趣味に従って自分の楽しみを自由に追求している。しかしものごとがこんなように進行していったならば、享楽氏は、水平から垂直への変化をこうむることもないだろう。
 別のある日、白いひげをした東方の人がエロスの町にやってくる。そして市民たちに感じのいい話しかたで説教を始める。好奇心の強いエロスの人々のなかには、かれの仮住まいにやってきて、東洋の珍しい話しを聞きに来るものも何人かいる。この老いた東洋人は、その教えをセックスのテーマにしぼっているようだ。これはまさにエロスの人々の趣味にピッタリと合った話しである。というのは、市民たちは皆かれらが現在享楽している楽しみを高めたり強くする秘密を知りたがっているからである。
 ある月夜の晩に、老人はエロスの市民のあるグループのために新しい講演を始める。そのグループにはわれわれの享楽氏もはいっている。
 「紳士および美しき淑女諸君」とかれは話し出す。「今晩私は非常におもしろいことをお話ししましょう。この話しを聞けば、もしかするとみなさんが全部、完全に変わって、これからの人生がまるっきり別のものになるかもしれません」
 静寂がその場をみたしている。享楽氏はいまや全身耳となって、ほかの連中よりもはるかに熱心に耳をかたむけている。
 「多分みなさんは、東洋の人たちはみんな賢い人間ばかりだと思っているかもしれませんが、これはかならずしもそうではないと申し上げねばなりません。ばかな者もいますし、賢い者もいます。ちょうどこのエロスの町とおんなじぐあいです。」かれはここでことばを切ってみんなの顔を見まわす。「今晩みなさんに、東洋ではどのような性的な実行がなされているかについて話しましょう。われわれのばかな人たちのなかには、男は女とちがった曲線をたどらなければならないという理論を主張する科学者がおります。わかりますか? 私はあなたが性的結合から引き出すあの喜びの程度の曲線について話しをしているのです。そのばかげた学説によると、その曲線の絶頂すなわちクライマックスは、決して男と女と同時にやってこないというのです。科学者たちはまた、このようなちがいが疑いもなく多くの場合にみられるので、これは全く正常のことであるとすら主張しています。それで男はこのカーブにおいて、女がかれに追いつくのを待たねばならない。少なくともかよわき異性を男が愛そうとするならば、そうしなければならないと言っています。」
 このとき享楽氏は立ち上がって次のように言う。「その話しは分かるきがします。というのは、この町の科学者のなかにも、同じ学説を信じているものがいるからです。しかし私はというと、これをまえから疑ってきました。というのは、私の経験では、曲線のクライマックスは私と私の女に正確に同時にやってくるからです。それに私は、わざわざその時期を同時にしようとして努力する必要もないのです。私はこのことをどこかの先生について研究したわけではありませんが、私の性質としてそれができるのです。」
 これを聞いて、努力氏がこんどは立ち上がって次のように言う。「それは私にはとても奇妙な話しです。実は享楽さんを含めて私の友だち全部が、私と同じ意見をもっていると考えてきたからです。それで、これが女のせいであって自分のせいではないのかどうかを知るために、女をいろいろに取り換えてきました。しかし結果はいつも同じだったのです。」
 「そうですね。この件についての状況は、私の国とこの町とほとんど同じようです。私の使命は、世界中を旅して、人々にこのクライマックスを同時にするテクニックを教えることです。私の直感でわかるのは、このエロスの町にも、享楽さんのような男性は非常に少ないが、努力さんのような人は沢山おります。
 努力さん、どうか充分注意をして私の言うことを聞きなさい。もしあなたがまじめに注意をむければ、やがてはあなたも享楽さんのようになる可能性も出てくるかもしれません。このテクニックでは努力は約に立たないのです。あなたがなすべきことは、あなたの肉体と精神を完全にやわらかく解くことです。努力さん、あなたは