『AZ』11号
いつも自分だけのために性的な楽しみを求めようとしていると推測するのはまちがっていないでしょうか?」
 「まちがっていません」と言うのが努力さんの答え。
 「もしあなたがそのことを分かっているならば、あなたは自分自身を忘れるべきです。」
 「私は自分を忘れるなんていうことはできませんが、私の妻を私と同時に満足させようとして、あらゆる努力を払ってきたことだけは申し上げることができます。」
 「それであなたは成功していましたか?」
 「不幸にして成功していません。」
 「あなたのベッドの相手を幸福にしようとつとめることと、自分自身を忘れることは 、全く別のものです。そう思いませんか?」
 「忘れるということは、どうも私には分かりません。ただ私は本能的にそれをやっているだけです」とエピック氏(享楽氏)が横から言う。
 「それはすばらしい。おそらくあなたは、われわれのテクニックをずっと昔、多分前世でマスターしたのでしょう。さあみなさん、私はこのエロスの町のすべての人々が、人生の最大の楽しみを求めていることを知っています。しかしもう今のままで、できるかぎりの最大の楽しみに到達したと考えがちな人が沢山います。ここでもしだれかがやって来て、進歩にはまだ可能性があるということを指摘して、あなたがたの人生に光をあてると、努力さんのような人は、それじゃ、もう少し先に進もうかなどと願い始めます。しかし、努力さん、ここであなたに警告しなければならないのは、こうありたいという願いは、容易に努力に堕落してしまいます。そしてこの努力というものは全然効果がないのです。享楽さんはなぜそうなるのかを説明することはできないようですので、私が説明を試みてみましょう。あなたの性的結合の行為において、神さまにあなた自身をまかせてしまいなさい。これが私の教えの精髄です。」
 「女のことはなんにも考えないのか・・・」と享楽氏はひとりごとのようにつぶやいた。
 「そのとおりです。全然何も考えないのです。うまいことを言いました。」
 「しかし、あなたはまかせよと言いましたが、それをやれば、私が妻と理想的な一体の状態になる助けになるのかしら?」というのが努力さんの質問である。
 「そうじゃあない」と東洋人は簡単に否定する。「全托はあなたを神と一体にしますし、また全托はあなたの妻を神と一体にします」
 「そして二人とも神における融合をたのしむわけかな」と享楽氏は小さい声で自分自身に言う。
 「享楽さんはまた正しいことを言いました。この人は何でも知っていますが、ただ私のようには説明できないだけです」と老人は肯定する。
 「性的結合は実を言うと神における融合なのです。だからあなたが享楽の最高状態に達したならば、あなたは他のすべての人間とあなたを結びつけることができるようになります。それは人間だけではなく、動物や植物や物体その他宇宙内のあらゆるものと融合できるようになります。」
 「そうだなあ、ネコも私が好きなようだ」と享楽氏は何気なく言う。
 「私にもそれがわかります。だからこそ享楽さんはご自分の商売もまたうまく栄えているのです。物質はこの人に引きつけられています。というのは、物質は享楽さんの必要に応じて動いているからです。」
 白ひげをもったその老人はここで講話をおしまいにする。老人をめぐるすべての人は顔を上げて、この東洋人と享楽氏をかわるがわるじっと眺める。かれらは友だちの享楽氏を新しい理解のもとに見はじめる。かれは自分たち全部とちがっている。しかし今までその事実を知らなかった。
 あくる日、老いた東洋人はエロスの町を立ち去る。そしてこの話しのもっとも奇妙な部分は、享楽氏もその朝姿を隠し、かれのあらゆる所有物を置き去りにしたことである。もちろんその所有物のなかには、かれの妻と情婦たちもふくまれていた。
    (原題 MAKE YOUR SEXUAL UNION A SACRAMENT)
12 『AZの人間革命』をめぐって
 AZの人間革命 − これは私の新しい本の題名である。1960年12月29日に、『AZの金銭征服』が霞ヶ関書房から出て、新年を期して全国書店にドッと出ることになった。同書房の岡本正一社長から電話があって、次の本の原稿がないかと言う。このリンサンというオカイコ君、よほど桑をくって次々糸を吐き出さねばならぬらしい。そこで、次の本はと考えると、これは当然執筆中の『AZのエロス』だが、実はまだ三分の一ぐらいしか出来上がっていない。その間をふさぐものはまだ何もないので、よし『AZの秘密』を打ち出そうと三年前のホコリを払って棚からおろした。
 ところが、やはり三年間の進歩は大きいものだ。どうしても不満な章がだいぶあるので、容赦なく削って行ったら、計14章だけ残った。これにあと19章足さなけりゃいかぬ。そこでパッと閃いたのは、もう書き上がっている『AZ』誌10号11号分の原稿をぶちこむことだ。こうやってバタバタと計33章そろったので、これを『AZの人間革命』と名づけた。
 この方法はナカナカいいと思っている。雑誌のほうは、いくらブレーキをかけても、コンベヤ・ベルトにのっかったように、次々と原稿が出来てくるので、印刷になるまで2ヶ月も3ヶ月も古くなってゆく。雑誌内容の更新策として、こんな素晴らしいことはない。ようやくにして、出版速度が執筆速度に追いつくことになった。
 12月28日はこんなことで忙しく暮れたが、この日、日本生産性本部から電話があって、在欧通訳員の選抜試験の中間報告がとどいた。
 「スゲエ奴がいると試験係が言っているので、名前をきくとあんたですよ。英語はトップ、フランス語は三番だってさ」
 と、中小企業部の宮田氏がハズんだ声でしゃべっている。宮田氏にはこの夏鍛造コンサルタントの通訳で、だいぶお世話になっている。私は信じられぬ気持でいた。英語はともかく、フランス語は十年前お茶の水のアテネ・フランセで勉強したきりだったから、試験もタカラクジのつもりで、いいかげん書きとばし、40分も早く提出して帰ったほど、気がなかった。
 ヨーロッパに行けるということは、なるほど素敵なことにはちがいないが、行けるかもしれぬといって騒ぐのはむしろ周囲の人たちで、私自身の「意慾」は空々漠々として取りとめない。これは見栄ばってそう言うのではなく、自分でもそういう心のありかたが奇異に思われるのである。
 八年前アメリカに行ったときは、ずいぶん気負い立っていて、いかなる障碍あらんとも初志を貫徹せずんばやまずという気概があったが、このごろの私のたよりなさはどうしたものだろう。
 ヨーロッパ、特に英国はスブドにゆかりの深い所だし、ベネット博士その他