『AZ』11号
かの地のスブド中心者に会えるのはうれしい。また、いったん向うに行くときまれば、二年の契約で当分は米のメシにもありつけないが、英文で本を書きたいという昔からの希望も実現されそうな気がする。それから、私の敬慕する女流神秘家イヴリン・アンダーヒルの全著作も手に入れることができるだろうし、翻訳したい名著にもかずかずお目にかかれるだろう。
 アメリカ滞在一年が私を変化させた以上に、こんどの滞欧は私の人生に大きな区切りをつけそうだ。『AZ』のほうも、新しい文化風土に入れば、別種の発想で新しい問題を新しいスタイルに包んで書くこともできよう。
 私の大家族をみんな連れてゆくことなど問題外だが、すくなくとも妻と第四子聡ちゃんは連れて行けるだろう。月俸24万円という高給だから、故国の『AZ』発行にも相当財的支援が出来る。ウンヌンと好いことづくめではある。
 しかし、どうも私の「意慾」は熱しない。どんなふうに人生のサイコロが出ても、どれも同じ、淡々とした心で受けるだけ、なにもかも任せきりなんだから −− いったい、いつのまにこんなになったのかな?

 霞ヶ関書房から、こんな具合に次々AZものが出て行けば、このさきAZは日本の出版界のペットになるだろう。ふつうだったら、ここで著者が国外にいるのはたいへん不利益と考えられるが、私の使命はかならずしも日本の読書界でも名声を博することとは決まっていないし、与えられた道をすなおに歩むよりほかはない。
 場合によっては、『AZ』も個人雑誌ではなくして、色々の人に寄稿してもらい、編集と発行を別の人にまかせて、定価制のふつうの月刊誌としてゆくことも考えられる。
 とにかく、私は何をどうするかという気持ちがないのだから、私および私の仕事を神の「まないた」にのせて、存分に料理してもらおうと思っている。
 (と熱を吹いていたら、ヨーロッパ行きは見事補欠に落ちました。英国は一人しか取らないんですって。私はフランス語が弱かったので第二位 −後記)
AZオフィスだより
☆2月の静岡AZ大会につづいて、前橋の高田豊八同胞から、ぜひAZの大会を群馬でも開催したいから RIN SUN をうまく誘導してくれないかという手紙が、いつも顔なじみの郵便屋さんの威勢のよいかけ声とともに飛びこんできました。
「うん。これは、いよいよもってAZの株はうなぎのぼりだな。このぶんで伸びたら、池田首相の・・・・成長率8%ということなんぞは鼻でもないな」と、デスクの前で悦にいっていましたが、ここのところ夜も昼も駆け足の RIN SUN を、どのようにして前橋まで連れ出していくかということが、とにかく大問題でした。
 大会の3月19日は、すべて高田同胞が連絡、その他の準備をすませてくれていたので私と RIN SUN は、あまりすぐれない曇天をぼやきながらとにかく出かけました。あいにく前橋に着くと雨で、参会者も7名でしたが、みなそれぞれAZの熱愛者ばかりで、帰りには RIN SUN と私はいろいろ薫陶をうけて(男ばかりの会合でしたので、いっぱい出されて、みな陽気になっていたので)夜汽車にのりました。

☆AZの仕事は膨大なもので、 RIN SUN が夜も昼もなく駈けまわると、私もそれにつれていきおいスピーディーな行動を要求されます。しかし、スピーディーな行動にも、いきおい限度があってオフィスの仕事も万遍なく眼がとどかなくなりがちになります。朝寝坊の大湯照夫青年が、私の仕事のあとかたづけをしてくれていますが、まだまにあわない。そこで、たまには同胞から苦情が舞いこんだりという・・・AZ方程式で、どうにも現在の仕事を発展させていくには人手がたりないので、三月下旬より同胞の山田修司青年に専任で仕事をしてもらっています。彼は、仕事の鬼みたいな青年で、なるほどAZのために生を授かってきたんじゃあないかなと私は思ったりしています。オフィスにお立寄りの方は、きっとものごしのやわらかい山田青年に接することでしょう。

☆『AZ』10号は、印刷屋さんの中島朝一同胞が、あまりに仕事がいそがしく、たんまり儲けていらっしゃったので、(これは失礼!)ついつい遅れる結果になってしまいました。『マネービル新聞』や『ヨガ問答』の広告、それにAZシリーズを読んで、『AZ』の送本依頼を毎日山のようにいただきましたが、二月下旬よりオフィスには『AZ』誌在庫0冊。いろいろご迷惑をきめこむ結果になってしまいました。現在、1000冊印刷してこの調子ですから、なんとか対策を講じなくてはいけないと、編集企画の方も考慮中です。

☆昨秋の第一回AZ全国大会につぐ、春のAZ講演会は3月26日、山下フード・センター(東京・小田急線豪徳寺駅前)で開催されました。当日は朝より冷えびえとした雨が降って、ちょっと心配でしたが、参会者は実に95名。外来者も多く、いちおうAZの将来が約束されたような会合になりました。演壇中央には横文字で「1961年AZ春の講演会」と墨汁もあざやかに書かれ、右手には大湯青年の伯母さんの手になる草月流の立派な生花。演台には録音テープ用のマイクが2つ。知らずしらずのうちに会合の雰囲気はつくられていました。
 講演は多少の変更があって、次の10名の講師にそれぞれ話してもらいました。
 占星学の諸問題・・・・・・・・トービス星都
 手のひらの力は万人のもの・・・宮崎五郎
 解脱随想・・・・・・・・・・・出口 倫
 ゼロについて・・・・・・・・・池田 勉
 女運と金運・・・・・・・・・・高橋達怡
 日本の隠れたマスター・・・・・那波政良
 いろいろ・・・・・・・・・・・高田豊八
 無 それから・・・・・・・・・釘宮義人
 AZの飛躍・・・・・・・・・・十菱 麟
                  鶴子
 延々8時間30分にわたる講演でしたが、会場は時がたつにつれて、いよいよ水を打ったような静けさ。中にはノートをとる人もいて、予定時間を30分のばし午後6