『AZ』11号
時30分、次会を約束して散会しました。めずらしく夕刻より雪が振りだし、AZははてさていかにありけん −。
 私はひさしぶりに煙草に火をつけて、ぼんやり大役のあとの解放感にひたりました。

☆春の講演会に、はるばる前橋から高田豊八同胞が礁井式磁気治療機をもってきて、会場でも説明してくれましたが、この治療器は、前橋在住の礁井氏が発明したもので、在来の磁器治療器の欠陥を究明し、すでに中風、脊髄カリエスなどの難病を全治せしめたことから、非常に評判になっています。オフィスにも二個そなえつけがあって、毎日試用しています。お近くの方には貸し出しもしたいと思っていますから、お申しこみをどーぞ。
 なお、治療器の紹介パンフレットもありますし、治療器を購入したいというかたにもご便宜をはかりますから、ご一報下さい(価格 3700円)。

☆現代新社の枝見社長から話があって、スエーデンボルグの名著『天界と地獄』の取り次ぎをしました。今までに、スエーデンボルグのものは日本では数多く発刊されていなかったということと、完訳限定本ということでたちまち百冊を取り次ぎ、枝見社長のどぎもをぬきました。
 はたらきがわるくて、いつも奥さんにどなられても、AZだけは読まなければ気がすまないという同胞諸氏の熱意の片鱗をいかんなく発揮した近代にない美談でした。

☆『AZ』10号が、どっかりダンボール箱で届いたのがつい1週間前。今朝オフィスに出勤すると山田青年が、「10号もあと30冊ばかりになってしまってこまりましたね」という。「いやあ、別に心配はいらないさ」といったものの、どうも次号発行まで待ってもらわなくてはという心配が、やはり多少ないではない。
 「しかしいいさ。適当な時に適当に『AZ』はばらまかれちゃうんだから」と、なかば洛陽の紙価を高めたような気持ちで、私はその日曜日悦にいっていた。

☆4月3日、突如『週間実話』の記者があらわれて、変った仕事をしている人や普通の人間のモノサシでは、とてもスケールが大きすぎてどうにもならないというような、いわゆる怪物の先生方に登場してもらって、雑誌をけがさしていただきたいのですがという前置きで、冒険学校の校長さんである RIN SUN に、かれこれ2時間にわたってインタビューしていきました。すでに、その結果は同胞のみなさんの中には、ハハーンとお気づきの方もあるかと思います。4月24日号に4ページにわたって RIN SUN が登場いたしました。実話雑誌だけあって、おもしろおかしく料理されていますが、読んでみたいなあというかたは、本屋さんにあたってみるとよいと思います。

 ☆4月もなかば、13日は啄木忌「こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思う」ではないですが、われいそがしき。
 ではまた、12号でおめにかかりましょう。
                        4月13日記  ひろし記
◇すべりこみのページ◇
リンサンと私                         出口 倫
 リンサンとは最近2回日本心霊医学会の会場で会っただけである。第1回はリンサンが講師として『スブドから観たランドーン博士の無意識解放に就いて』の講演があってこれを拝聴したのであり、第2回はこの講演に対する研究討論があり、私もその追加というような意味で賛成的意見を述べたのである。全会終了後の新年晩餐会の席上で私の方から挨拶してお互いに名刺を交換したに過ぎぬ。それから幾日かしてリンサンから春の講演会に何か話をしてくれないだろうかという書面と個人雑誌AZを送って下さった。これが今までのリンサンと私の交渉の全貌であって親しく意見を交えたりお話ししたことは何もない。従って私にはリンサンを語る資格はないと思うのであるが、心霊医学会の第二回目のときに討論中のテーブルスピーチで私はリンサンからとんでもないことを聴取したのである。私は心中ひそかに探し求めていたのであった。
 初めてこのような人に逢ったのであるから驚いたといおうよりも心中頗る穏やかならぬものがあったのである。その時リンサンは無意識解放の話の中で人間がこのような状態になると自然になすべきことはなすようになり、してはならないことはしないようになるのである云々という一節があった。この自然にこのようになるという「自然」の二字が私には極めて貴重なのであり大きな意義を有するのである。別に考えなくても無意識のうちにこのようになって来るということである。それで私はその後間もなく起立して一言述べざるを得なくなったのである。即ち私は只今先生からこのようなことを承ったのであるが、このお言葉が他からの借り物やうけ売りでなく、ご自身の体験から出たものとすると、先生は余程高い次元を持っておられて極めて優れた世界観の上に立ち、自然の極めて楽しい世界に住んでおられるものと考えるとの意味の発言をしたのである。私は本題の講演よりもこの一節の事実によってリンサンに特別の関心をもつようになったのである。それからはリンサンがいよいよ透明に見えて来たのである。
 透明に見える人は初めてではないのであるが、これはその人の頭の中に矛盾撞着といったものが少なく不純を感ぜしめず、不透明なところが余り目立たない感じのするのをいうのである。私は過去三十年余来人とお話をしたり議論でもする場合には心の有りの儘を語ることには変りがないのであるが、その表現のし方、いいあらわし方には常に苦心をし相手の人に出来るだけ適当な表現を用うるように意を用いたのであるが、リンサンにはこのような心使いは全く無用である。心に浮かぶ儘にどんなことをいっても良く解ってくれる人であると考えるようになったのである。私は文章を書くにも人に話したりお答えしたりすることには殆ど考えることはないのであり、何でも自然に頭脳に浮かんでくるのであってこれには殆ど苦労することはないのであるが、いつもその表現のし方に一方ならず気を使うのである。それでリンサンに話すときに何の気がかりもなく小児のように至って無邪気に何事もお話が出来るのであろうと思われるのである。私は今かく考えるにすぎないのであるがこれは恐らく真実であろう。これは私にとっては極めて大きな出来事であって頗る心穏やかでない所以であるのである。私はこのような人には一生涯出くわすことが出来ないのであろうと半ば諦めていたのであり、身辺甚だ寂莫を感じていたからである。これに今度送られてきた個人雑誌AZを見ていよいよその感を深くし、身辺俄かに賑やかになったように思われるのである。
                     (東京都杉並区大宮前 無限の家)