『AZ』11号
☆11月20日                     石原?三郎
 麟先生
 AZ7号を拝受しました。丁度家庭にうれしい取り込みごとがあり、雑事に追廻わされているときでしたが、開封して読み始めましたら何かしら嬉しくなり一気に読んでしまいました。7号は本当に面白いですね。魂の奥底にピンと響くものがありますよ。縦横無尽に本当のことをブチマケているといった感じ。1.の「待て」は道元の在りしときの説法を彷彿とさせるし、4.の「人生の去就に迷う友に」は本当に親切な大文字ですね。
 8.の「わが人生慾は熾烈なり」には思わず喝采せずにはいられません。行間に流露するもの、これは「私の魂はついにこの『虚無』に到達して、俗世の喧騒から超脱し、肉体をもって持たず、世の内に属して外にあり、物質に練られて練られず、時空の制約を受けて受けず、空々莫々たる世界に出た。・・・・・劫初以来変らざるものを遂にわが身のうちに発見したのかもしれない。」という宣言の充溢した内容の片々であるらしい。「涅槃とは、おそらく仏陀の到りえた境地が、単なることばとして凝固したまま後世に残ったものにすぎないのであろう。」といい得る心境も麟先生の大光明の映発として嬉しい限りです。「20世紀の新しい人間典型」として私もその心境をここに求めないと思っております。7号読了後早速こうした喜びを書きたいと思ったのでしたが、すこし遅れました。 (清水市江尻本郷61)

☆ピカソは常に豹変する・・・・・
 精神界のピカソ・リンサンを頭目に・・・・・いずれおとらぬ宗教界の王者達の結集せる壮観! 偉大なるAZ。
   AZのお魚、採沢誠さんのお便りです。
   神戸市東灘区魚崎町魚崎505で泳いでおられます。

 おりからの郵便配達をのり越えて、8号の反響が次々にすべり込みました。

☆八号は内容の巾が相当広くなったようです。エロスの問題が大分入ってきましたね。AZのエロスの予告編 − 仲々PRがうまいですね。感心しました。「自由価の廃止」という言葉づらから見れば、たしかに淋しい感じがするかも知れませんが無料への昇華である以上少しもチューチョすることはない。むしろ会員外定価というものができたということは、馬の耳達への無駄なプレゼントがなくなって結構だと思います。マエコとアトコは“愛”をうまく表現した作品です。このような形のものが一般の人達には受けるでしょう。新しい人達の獲得には必要です。イエスも真理をたとえ話しで教えました。    (因島市重井町2903・峯松隆司)

☆「AZ」も既に7号を社会に送り、社会の浄化に大きな役割を果たして一周期が終わりました。続く第8号は印刷の活字も変り、ぐっと新鮮に気分も変った感じです。それから自由価が廃止になったということは、何といっても「AZ」の一段高き進歩です。実は私も「価」という一字にすっきりしないものを感じていました。それが今度の方法で全く自由になったので、本当に有難く思っています。
 7章を読んだときはいささかショックを受けました。そしてリンサン自らご承知の如く、その時は正直にいってAZもおちたものだと思いました。しかし、わずかな時がたつと共にいやおうなしに見直さねばならなくなりました。というのは、実は私も今まで男女の交際は性交欲に基くものと考えていたのであって、この一文は正に真実の姿をとらえたにすぎないからである。唯、性交だの、ヤリタイだのと普通一般の本には余り見当たらない、無遠慮な、露骨な表現を堂々と試みているので、我々の先入観念が無意識のうちに“下品”だ、と勘違いしたにすぎないのであって、真実はいかにしても曲げることの出来ないのは事実である。そして、この文章こそ自然であり、自由であって、他のごまかした、あいまいな、なまぬるいものより遥かに価値あるものと思うようになった。こんなところもAZ、さすがにリンサンの魅力はつきぬというものだ。
11章のマエコとアトコの物語もAZ的思想の心髄を表した好文です。4章のケイシーのリーディングからも得るところがありました。今度の機会には「手相学はどの程度信用出来るか」「人間が前生の記憶を失うのは何故か」についてケイシーはいかに答えているか発表していただけたら幸いです。
                (千葉県柏市布施1350番地・大学一美)

○すべりこみ、なかなか親しみがあってよい。自分の性格として名前が出ている人々とすぐ親しい気になり、土佐でも行こうかなどと言ったりしております。AZを読んでいたら気が大きくなり、勇気が出、自分もリンサンになった気になっている所です。すべりこみにあるようにうまくは書けません。2、3、7、11など「AZの教祖」にあったように、少し本性を現して来たのではないでしょうか。もっともっと人間のカメンを取り払って下さい。えらくおだてている様な文が多いような気がしますがどうでしょうか。       (奈良県秋篠町1125・内田善章)

○生まれてはじめてお目にかかる雑誌、世界にも類例のない(?)雑誌、肩がこらず気楽に面白く読めて、しかも色々の事を考えさせられる。教えられる雑誌、止めようと思ったが、(事情により自己の身辺を整えるため)当分止められない。
           (世田谷区玉川用賀町2−143 菅原方・水野谷武)

○本日8号拝受。
ますます充実した内容と筆の冴えに魅了され、一気に読み終えてしまいました。あとは次の号が来るまで反芻するばかりです。毎号詩は一つぐらい載せて下さい。
                 (兵庫県赤穂市加里屋1655・谷 茂)

☆AZも、号をかさねるにつれて、すべりこみのページがグングンふくれあがり、しまいにはこの雑誌のページを占領してしまいそうです。こう云っているあいだにも同胞の反響はひっきりなしにスベリ込んで来ます。次は奈良県吉野郡東吉野村鷲家の前田高顕さんです。

 不動サンや仁王サンの様に怒ろうが、観音サンのように微笑もうが、別に驚かぬようになった。と云って関心がないわけではない。文字と文字、行と行の間の或るものがピンピンと響く。明日の朝は手足の筋肉が伸びるであろう。

○先生の思想は成長の家に源流を発するだけあって非常に近いものですが、天衣無縫の点に家において異なっており、それが我々に共感を呼んで居ります。似ているようであって一種独特のものといえるでしょう。正に一宗の開祖というべきだと思います。          (茨城県那珂湊市和田の上・伊沢 宇)