『AZ』13号
言いながら、一日おいて断わってきた。偉い人は組織と慣例を大事にする。個人はつねに最初にカットされる。
 私は学生時代鎌倉の円覚寺に、鈴木大拙氏を訪ねて行ったときの想い出を語った。白面の貧書生に、
 「きみ、紹介状もってきたか?」
 「いいえ、ありません」
 「そうか、忙しいからわしは会えぬ。帰ってくれ。」
 あの時の味気ない想いが縁になって、私は有名人を相手にせぬ習癖を身につけた。書いてあることと、書いたその当人とは違う。私がものを書くなら、うらおもてのない書きかたをしよう。そういった方針も、あの日ひそかに心のなかに生まれたもののようだ。また、自分がかりに有名になっても、大拙氏のテツはふまず、貧乏学生でも乞食女房でも、会いたいと言ってくる人には心よく会おう。そのような誓いもまだナマナマしく私のなかに生きている。
 神田氏と話しているうち、私がただ一人の同胞に会うために下関まで足を伸ばしたことが、十年も前の秘かな決意が実ったことであるのに気がついた。そしてあの時の傷心が今は充分に癒されて、思いもかけぬ同胞愛の花がここに咲き出そうとしていることを、しみじみと感じたのである。





 AZに快男子の数は砂の真砂(まさご)ほどに多いが・・・。
 なかでも、埼玉の草加(センベイで有名)に住む池田勉君は、快中の快である。かねがね、新聞雑誌ラジオを通じ冒険学校の猛者として津々浦々にその存在を知られた「名士」であるが、見たところ田舎の青年団長といった風格で、似而非(えせ)インテリ族にはあたまから軽蔑されそうに見える。
 彼と私のつながりは、昭和28、9年のころ私が都立足立高校で英語を講じていたころ、三年のホームルームに異彩を放つ大男がいた ――その時に始まる。この若者の成績はクラスでも上位にあり、もうちょっとやれば一番や二番はラクと思われたが、そこらの青白い優等生とちがって机にかじりつくことはせず、毎朝学校の始まる1、2時間前から校庭で掛け声も勇ましくボールを蹴立てている蹴球部のキャプテンであった。
 いけだ・つとむと正式に呼べば、たいして代わり栄えもしない名前であるが、私はひそかにイケダ・ベンとその名を呼び、ベンとはねるその音のひびきに非凡なものを感じていた。
 彼がふたたび私の生活の中に入ってきたのは、私が『AZの秘密』や『AZの楽天主義』を書き出したころで、給料などもらえるアテもない池袋の自宅オフィスにころがりこんで、「先生が気に入った!」と称し、数ヶ月機械のブローカーや慶応アンチョコの売り込みに協力した。(そのころ、われわれは喰うために何でもやっていたことは『AZの誕生』に詳しく出ている)
 『楽天主義』をガリ版でもいいから世に出せと、私にハッパをかけたのも彼だったし、冒険学校が始まってからは、その主要メンバーの一人として、詩人江口榛一に「グウタラめ!」と罵られても、その痛棒を甘んじて受ける剛気も見せた。
 金星より転生したという葉山の酒井愛神氏にぶつかってゆく気魄もすさまじく、その純真無邪気さは愛神先生に特に愛された。パンパン拍手の五井昌久先生の所にも一時は通いづめで、ひとたび師とたのめば体当たりにぶつかるその捨て身のまごころは、私に感銘を与えた。素直さと剛胆と――人間にとって最も必要なこの二つの性質がベン君のなかに同居している。
 彼はAZの魂みたいな存在だ。そのものズバリ。リンサンなどは、まだまだ金魚のウンコのように、知識をながながとおしりにつけて泳いでいる。池田勉は霊感のかたまりみたいな男だ。彼が口をひらくと、飛び出すコトバの一つ一つが光の球のようにみえる。息がつまりそうになることすらある。そのくらい、コトバに無駄がない。稀有の存在である。
 私はこの「快男子」を世に送ろうと思う。私の名代(みょうだい)というよりは、私のエッセンスとして。
 地方のAZ同胞よ、たとえ二人三人の小さいグループでも、この快男子を呼んで「AZ会」を開かないか。東京から室戸岬までの周遊券を買っても、それは五千円以下の値段だ。十や二十の地方グループで分担したら、たいした負担ではない。泊まる所と食事だけ面倒みてもらいたい。彼もセンベイ焼きの仕事やめて行くんだから、できれば「喜金」として彼に日当または講演料を払っていただきたい。貧しいグループは無理をしないように。勉君もオカネが目あてで出かけるのではないから、「もらい」がすくなくても平気の平左であろう。
 巻末の申込書をいちおう送っていただきたい。日時や巡回経路を研究して、いちばんよいスケジュールを立ててから、また通知することにしよう。
 これをチャンスに、全国のAZ同胞の地区的統合がしっかり出来れば嬉しいと思っている。
3 快男子・池田勉を呼ぼう
4 ノイローゼ卒業論文を求む
 ご承知のとおり、私は霞ヶ関版の“AZシリーズ”の一冊として『AZのノーローゼ解消』を出すことになっている。それと時を前後して、“ノイローゼ・クリニック”(ノイローゼ診療所)を開始する手はずを今着々とととのえている。
 ノイローゼの治療方法として、私が現在実施しているのは、
(1)話し合いによる心のしこりの解消。
(2)ランドーン法による“無意識解放”の実修。
(3)個人的・家系的カルマおよび憑霊(もしあれば)の解消のために、祈りをおこなう。
の三点であるが、これと同時に、過去においてノイローゼにかかりその苦悩をつぶさに嘗め、げんざいでは克服快癒している「先輩」の助言がきわめて重要である。
 人それぞれ機根と傾向が違っているので、同種の人生路を歩いている者同士では、ほんのちょっとしたヒントでも積年の問題が解決されることがある。
 このような理由で、『AZのノイローゼ解消』のなかには、同胞諸氏の“卒業論文”(やわらかいスタイルでも構わぬ)を相当数入れたいと思っている。
 そこでお願いであるが、現在ノイローゼの地獄に落ち込んでいる「後輩」のために、親切な手引きと助言を与えてやろうと思われるかたは、ぜひ次の要項に従って原稿を寄せていただきたい。
 1.二百字詰タテ書き原稿紙で十枚前後。
 2.住所・氏名・年令・職業を標題のよこにこの順序で明記。
 3.体験を主にした具体的なもの。手紙的な、また話しかけるような気持で、懇切に。
 4.謝礼として初版印税のページ数による按分比例額を呈上します。(採用分につき)
 5.送り先は  東京都世田谷区池尻町506 十菱 麟