ブラウン・ランドーンの方法
 肉体はもともと自由な霊の表現媒体としての使命をもっているのに、ガンジガラメに縛られて本然性を失ってしまえば、成人したあとに本来の姿を取りもどそうとしても、これはなかなかむずかしいことになる。
 こういうことが積み重なると、消化排泄器官がまず参ってしまう。感情や衝動を自由に表現する力をおさえられると、心臓と肺と肝臓、それから膵臓が悪影響を受け、とりわけ致命的なのは、肉体中の生命をつかさどる内分泌腺が衰えてしまうことだ。
 肉体をこの重圧から解放する方法、それは人類の宿題であり、夢である。しかし、そのほとんどは、重圧に耐えかねた肉体を救おうと、犯人である心が救済策を講じるにすぎないのである。従って、それは血をもって血を洗う結果におちいるだけで、真の解決は、心に汚されない隠れた主人公「魂」(Soul)が出馬して、「無意識」という手段で、生命の解放をおこなわねばならない。


内的筋肉とは?

 たしかにランドーンの考えかたはスブドそっくりである。霊ー魂ー心ー身という四段階の考えかたも、そのままである。しかし、ランドーンの生理学は、現代人にとって一層わかりやすいであろう。その一つが「内的筋肉」という概念である。
 「外的筋肉」というのは、いわゆるふつう言う筋肉のことであるから、判りいいが、内的筋肉の緊張となるとそれ自体では感じられない。しかし、内的筋肉がこわばると、すぐ神経系統にひびいて、エネルギーの自由な流れを阻害する。その結果、体内の器官や組織がいのちを失ってくる。
 この内的・外的という区別は、べつに医学用語であるわけではなく、ランドーンが造り出した言葉である。
 外的筋肉は意志で動かせるものである。つまり、動かそうと思えば動かせるものだ。目の前にあるエンピツを取ろうと思えば、反射的に腕と指の筋肉がはたらいてエンピツをつかむ。このような外的筋肉は、あなたの「意識」の支配下にある。
 それに反して、大小の内的筋肉は「意識」ではどうにもならないものである。たとえば脊椎にそった筋肉、心臓や胃などの内臓器官の筋肉繊維などである。
 特に血管の筋肉繊維は小さいものだが大切である。生きるも死ぬもこの繊維にかかっている。これが膨張したり収縮したりするにつれ、身体の全器官を流れる血液の調節がおこなわれる。それだけではない。脳の諸中枢に到る血流の調節もこの繊維の仕事である。ある脳中枢に血液が行かなくなると、その中枢の活動が減退する。
 つづいてその脳中枢からエネルギーの補給を受けている全器官が力をうしなう。やがては、その器官が縮小し活動も弱くなるのである。
 生殖器の活動や大きさ、その強さや持久性も、血液が調和の取れた流れかたをしているかどうかで決まってくる。それから、神秘的な内分泌腺健康と活動もそうだ。
 内的筋肉が緊張すると、咽喉の調子が狂って美しい声が出なくなったりする。
 アンマは外的筋肉をときほぐすかもしれないが、内的筋肉の凝りはどうにもならぬ。その凝りを放っておくと、生命自体を危くするようなおそろしい結果になる。内的筋肉の緊張は外的筋肉の緊張よりもずっとひどくなることもあるという事実を、よく記憶すべきだ。
 サロメチールやマッサージの厄介になる身体のこりも辛いが、内的筋肉のこりはもっとひどいもので、それが十年も続いた場合を想像するがいい。
 内的筋肉というものは始末に終えぬ代物で、凝ったことを知らせる神経がない。あなたの表面意識は、それを全然知らずに、何年もすごすことがあるのだ。


喜びのない人生

 喜びが自然とこみ上げてこないような人生は、病気の人生である。
 なぜ喜びの欠乏に悩むのか? それは「表現」が欠乏しているからである。
 なぜ表現ができないのか? それは「抑制」があるからである。そして抑制の原因は、内的筋肉の緊張にある。あなたの魂が、肉体をとおして、充分に自由に自己表現をすることを邪魔されているからである。
 内的緊張がつづくと、まず肉体のなかの「脳」が侵されてくる。
 ランドーンは脳について、実に面白い見方をしている。常識では頭のなかに脳が一つあるだけだと思っているが、ランド−ンは身体中に数かぎりない「脳」があると言っている。
 箇条書きにすると
(1)四つの大きな脳。一つは頭部に、三つは胴部にある。
(2)その一つ一つに、何千何万という区域が含まれている。
(3)その各区域のなかに、何百万という脳中枢がある。
(4)さらに、身体全体に、脳細胞群が何億と存在する。
 あなたの腕1本を取り上げてみよう。その筋肉の繊維の一つ一つの脳が電気的エネルギーを帯びているのだ。
 たとえば、小さい視覚中枢だけを考えてみても、実に1億6千万の「電線」が身体中に走って、あらゆる器官に「情報」を伝えているのである。


筋肉ベッドを発明した博士

 エール大学のアンダーソン博士は、50年まえに血流の平衡をはかる「筋肉ベッド」を発明した。
 これは、肉体内のほんのわずかの血流の動きも記録する装置である。わずか数滴の血が足指に流れても、このベッドの脚が下がる。逆に、その血が頭に向かうと、ベッドの頭部がさがる。このベッドは、また左右にも対角線にも動くのである。
 このベッドに乗せられた人は、まず目をつぶる。そして10秒間自分の右手の親指のことを考える。そうすると、その指に集まった血液がベッドを右のほうに傾斜させるのだ。
 また、ある内的筋肉が緊張すると、その部分に血が流れなくなる。筋肉繊維が収縮して血液を押し出すからである。そうすると、その内的筋肉につながっている脳中枢の血行がアンバランスになることも、この「筋肉ベッド」で証明された。
 頭痛や、脳作用の変調や、脳腫瘍などの原因は、みなこのようにして生じた血行の不調による。
 ここで注意すべきことは、血管が走っている場所ならどこでも、このような過程で病気がおこるということである。身体のどの部分でも、もし痛みを感じたとしたら、そこの血管がふくれ上がっているからである!
 ふくれ上がった血管群は、そのあいだに挟まった小さい神経繊維をしめつける。神経は悲鳴を上げる。万病が、血液の過剰か不足によっておこるということは、決して誇張ではない。